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おめでとう! バドミントン金メダリスト・タカマツの高橋礼華さん結婚。そこで、思い出話を(1)

楊順行スポーツライター
松友美佐紀とのペアでリオ五輪金メダルの高橋礼華さん(左)(写真:エンリコ/アフロスポーツ)

「松友が入ってきたのは、私がウルスラ(聖ウルスラ学院英智・宮城)2年のとき。小学校時代から知っていましたが、小さくてケガも多いので、最初はついてこれるかな……と心配でしたね。初めてダブルスを組んだのは、インターハイが終わったあと。最初は部内でも勝てず、ちょっとやばいかなと思ったんです」

 高橋礼華さんはかつて、松友美佐紀とペアを組んだときのことをこう語っている。09年、高橋さんが日本ユニシスに入社するときのことだ。その松友とは7年後、2016年リオ五輪で金メダルを獲得することになるのだが、最初は「部内でも勝てなかった」というのがおもしろい。ただ、

「松友は前衛が速く、私が後衛で打ちやすい球をつくってくれるんですね。それと、私がこれまで組んだなかでは、前後の入れ替わりのリズムが一番ぴったり合う相手です」

 というから、相性そのものはよかったのだろう。その高橋さん、出場を目ざしていた東京五輪が延期。過酷な出場権争いも続くことになり、それには気力と体力が続かない……と引退を発表したのは8月のことだ。そして、年も押し詰まった12月30日。自身のツイッターで、日本ユニシス男子の金子祐樹選手との結婚を明らかに。金子は、高橋さんのかつてのパートナー・松友と、混合ダブルスのペアを組んでいる。高橋さんがいうように、「これもなにかの縁」なのだろう。

高校生でオグシオに善戦

 私も"なにかの縁"で、高橋さんが日本ユニシスに入社するときに取材する機会があった。そのときに聞いた金メダリストの高校時代を、少し紹介する。

 09年の、全日本総合。あの“オグシオ”が、一時たじたじだった。女子ダブルス。聖ウルスラ学院英智高の高橋(以下敬称略)/松友ペアは、準決勝で小椋久美子/潮田玲子と対戦した。コートサイドにずらっと並ぶカメラにも臆することなく、のびのびとプレー。高橋の強打、1学年下ながらインターハイで三冠を獲得した松友の前衛力で、1ゲームの序盤から必死に食らいついた。

 オグシオといえばこの大会、史上2組目の5連覇を狙っていた女王である。

「準決勝ですから“1ケタ(得点)はやばい、2ケタは取ろうね”と、松友と話していたんです。2ゲームともそれはできたんですが、やはり雰囲気に飲まれて自分たちの力が発揮できなかった。まだ高校生という感じで、オグシオさんたちに遊ばれました。でもベスト4は、高校3年間をいいかたちで締めくくれたと思います」

 高橋は、そう振り返った。この試合は結局、当時世界ランキング11位の相手に圧倒されはしたが、女子ダブルスで高校生がベスト4に進出したのは、80年代以降では初めてのことだった。2回戦では、08年の日本代表・松田友美/赤尾亜希にファイナル勝ちの金星を挙げるなど、社会人を相手にも通用する才能と、大きな可能性を感じさせる健闘だった。

 まあ、当然といえば当然かもしれない。その08年は全日本総合以外にも、ワイカト国際など2大会で単複を制覇(ダブルスのパートナーは米元小春)し、松友とのペアではヨネックスオープン・ジャパンで藤井瑞希/垣岩令佳に勝ち、ベスト16に進出しているのだ。世界ランキングでいえば、当時単複ともに100位前後。国内の社会人相手なら対等以上の勝負ができたどころか、フジカキといえばのち、ロンドンで銀メダルを獲得する強力ペアなのだ。

キャプテンなのに団体戦に出られない

 ただ高校時代の高橋にとってもっとも印象的なのは、全日本総合でもヨネックスオープン・ジャパンでもなく、08年のインターハイだという。キャプテンとして、会場の埼玉入りした当日。練習の体育館で汗に足を滑らせ、高橋は右足首の外側をねんざしてしまうのだ。アキレス腱を切ってしまったか、というほどの痛みに泣き、「そんな状態では、団体戦には出せない」という田所光男監督の冷酷な声にも泣いた。3日後には団体戦が始まったが、高橋はキャプテンなのに、チームメイトをベンチから必死に応援するしかできず、申し訳なさと歯がゆさに泣いた。そしてキャプテンの危機に全員が結束し、団体優勝をプレゼントしてくれたことでまた、泣いた。

 田所監督は、翌日からの個人戦・ダブルスでも、高橋を棄権させるつもりだった。シングルスにもエントリーしているパートナーの松友には、「(ダブルスは出られないかもしれないから)シングルスに集中しろ」と声をかけたほどだ。それも、あえて高橋にも聞こえるように……。

「せめて、個人戦だけは出たい」

 奈良から単身乗り込んでの高校生活で、最後のインターハイである。当然、強い思いがある。練習から必死に「もうプレーできます」とアピールした。そしてなんとか田所監督を納得させると高橋は、テーピングの上にサポーターを巻き、痛み止めを飲んで強行出場し、意地でダブルスのタイトルを獲得するのだ。あのとき……と高橋はいう。

「団体の優勝はうれしかったんですが、自分が出られなかった悔しさもありました。チームに迷惑をかけていると思う半面、3年間苦労してきたのに、なぜ自分はベンチで試合を見ているのか、複雑な気持ちでした」

 そういう経験があるだけに、団体戦にかける気持ちは人一倍だ。ユニシスへの正式入社前には、内定選手として団体戦のチャレンジリーグに参戦。入れ替え戦でも貴重な勝ち星を挙げ、当時創部2年目だったチームの、スピード2部昇格に貢献している。ユニシスは、松友が入社した10年から日本リーグ(現S/Jリーグ)1部に昇格すると、即優勝。高橋はこれを含めて6回の優勝すべてに貢献し、ほぼ松友とのペアでリーグ戦49勝8敗という高い勝率を残している。(続く)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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