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さあ、ドラフト。とっておきを探せ! その6 松本竜也[Honda鈴鹿]

楊順行スポーツライター
Honda鈴鹿が出場を決めた社会人の都市対抗野球大会は、11月22日開幕(写真:アフロ)

 松本竜也、というと元巨人の投手で、野球賭博への関与で失格選手となった人物が検索に引っかかるけれど、同姓同名です、念のため。

 こちらは、2016年のセンバツで優勝した智弁学園高のメンバーである。ただし、当時はまだ新2年生。エースに村上頌樹(現東洋大4年)がいて、その夏の甲子園でもベンチ入りはしたものの、松本の登板はない。2年の新チームからエースになると、17年センバツでは熊本工を3安打12三振で完封するなどし、進路が注目された。だがプロ志望はせず。高校の小坂将商監督が社会人野球の経験者であり、「母子家庭なので、大学よりも……」とHonda鈴鹿入りを選択した。すると1年目から都市対抗予選に登板し、さらに日本選手権本戦では先発したから、高卒ルーキーとしては非凡なものがあったのだろう。

「最初は、思ったよりも通用した感じです。ただ、1年目の日本選手権本番では、(三菱)重工名古屋に3回途中でKO。オープン戦ではなんとか通じても、公式戦では必死さが違います。こっちは自信も余裕もなく、へこみましたね。ただ昨年は、社会人の水にも慣れて少しは落ち着いた投球ができるようになりました」

 と松本はいう。

自己最速を5キロ更新の151キロ!

 その笑顔が、いい。取材前、チームの先輩に「ちゃんと話せよ!」といじられていたが、愛されるキャラクターなのだろう。現にコロナ禍での自主練習の期間中は、ポジションの違う畔上翔主将が「いつも、いっしょに走ってくれました」。そのランニングや体づくりの成果なのか、7月1日、6回途中から救援した日本新薬とのオープン戦では、151キロを計測。それまでの自己最速を、5キロも上回る数字だった。これには、本人が一番驚いた。

「えっ、と思いましたけど、そのあとも149とかが出た」ことで、成長を実感したという。ただ、球速は150キロを突破したが、理想は「"打てそうやな"という球で空振りを取るキレや質。小学生時代は藤川球児さんにあこがれました。前田健太さんのように、リリースでイッキに100に達する力感のないフォームが理想です」。

 筋肉量の増加は、まっすぐばかりか、変化球の質も向上させてくれた。持ち球はフォーク、チェンジアップ、カーブ。さらに"これ"という変化球を身につけたいと思っていたが、昨年キャッチボール相手だった瀧中瞭太(現楽天)のカットボールを「いいな」と直感。習得に挑戦した今季、それがモノになりつつある。履正社高で16年センバツに準優勝し、明治大で活躍する竹田祐(3年)は、中学時代からボーイズでのライバル。

「ぎり、こっちが負けていましたね(笑)。ぼくが手こずることも、あっちはすんなりやるタイプです。でも、向こうは準優勝ですが、僕は一応センバツ優勝メンバー」

 1、2年目は東京ドームの都市対抗本戦でベンチ入りできていない。「ただ眺めているだけの不甲斐なさ、歯がゆさを今年は晴らしたい。そしてもし登板できたら、責任ある投球をしたいですね」という松本。Honda鈴鹿は、13年以降は毎年のようにプロに投手を送り込んでおり、投手育成には定評がある。プロへの切符が届けば、これもライバル・竹田に先んじることになる。

まつもと・りゅうや/Honda鈴鹿/投手/右投右打/1999年9月18日生まれ/奈良県出身/178cm86kg/智弁学園高

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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