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「やっぱコウナが一番っす」。かつて栗原陵矢(SB)は、高橋光成(西武)をベタぼめした

楊順行スポーツライター
2013年夏、前橋育英時代の高橋光成。細いねぇ〜(写真:岡沢克郎/アフロ)

「やっぱりコウナ(高橋光成)が一番っすね。球威、圧力……捕るだけでも大変っす」

 すっかりソフトバンクのレギュラーに定着した栗原陵矢が目を丸くしていたのは、高校3年(当時春江工[現坂井])だった2014年のことである。

 大阪桐蔭が優勝した夏の甲子園後の、U18アジア選手権。準優勝を果たした高校日本代表のメンバーがすごい。捕手の岸田行倫(当時報徳学園)、内野の岡本和真(当時智弁学園)と香月一也(当時大阪桐蔭)はいま巨人のチームメイトで、外野に浅間大基(日本ハム・当時横浜)……。当時捕手だった栗原はそのなかで、夏の甲子園には出場していないものの、人柄を評価されて主将に推されていた。

 そしてこのときの高校日本代表、投手陣もすごい。飯塚悟史(DeNA・当時日本文理)、小島和哉(ロッテ・当時浦和学院)、この秋のドラフト候補・森田駿哉(Honda鈴鹿・当時富山商)……なかでも栗原が、球を受けた実感で一押ししたのが高橋光成(西武・当時前橋育英)だった。高橋もやはり、夏の甲子園には出られていないが、タイで行われたこの大会、フィリピン戦に先発して5回を7三振で零封するなど、2試合を防御率0.00。本人は、

「Maxは変わらなくても、常時平均してスピードが出るようになったし、キレもよくなっていると思います」

 と話している。

高橋光成に、ほめられた

 これは一度書いたことがあるが、高校時代の高橋光成にほめられたことがある。上背に恵まれた高橋。前橋育英に入学すると、1年夏からベンチ入りした。新チームではエースとして、12年秋の県大会優勝。だがその時点では制球などに課題山積だった。事実関東大会では、浦和学院戦の5回に3四死球と制球を乱し、初戦敗退している。ふたたび群馬を制して挑んだ13年春の関東大会も、決勝で再度浦和学院に敗れた。だが迎えた夏は、大きくバージョンアップしたと荒井直樹監督は明かす。

「夏が始まる時点のコウナは、まだまだだったんですが、勝ち進むごとにぐんぐん調子を上げていきました。東農大二との決勝では4安打完封で、ラストボールが自己最速の148キロですから」

 甲子園では、もうひと伸びした。岩国商との初戦は、145キロの速球に縦横のスライダーがさえて9連続三振を奪うなど、13三振5安打で1対0の完封勝利。続く樟南戦も5安打完封で、スコアは初戦と同じ1対0。中1日での3回戦は、横浜を相手に1失点も自責は0。評判の浅間と高浜祐仁(日本ハム)をつごう6打数無安打と完璧に封じ、3試合で防御率0・00だ。さらに常総学院との準々決勝では救援で5回を零封し、4者連続を含む10三振。9回2死の土壇場では同点三塁打を放ち、サヨナラ勝ちを呼び込んでいる。

 準決勝では、日大山形を1失点完投でここも自責は0。結局、延岡学園との決勝の途中まで自責0を44回続けた。で2年夏の高橋は、6試合50回を投げて46三振、自責点2、防御率0・36という破格の成績で優勝投手となっている。

ロッテ小島と春夏優勝投手対決も

 取材に出向いたのは、年が明けた15年の2月。バント練習で骨折した右手親指の具合はどうか、この冬のトレーニングの成果は……などと、取材が一段落したあとだ。ふと高橋を見ると、ユニフォームに通されたベルトの先が右側にきている。あれ? 右利きだったらふつう、ベルトの先端は自分の左側にこないか? 

「そうなんです。気がついてくれた人は初めてです。ありがとうございます」

 本人によると、ベルトを逆に回す動きで、偏っていた骨盤のゆがみが調整できたり、肩こりや腰痛予防になるとどこかで聞いたらしい。

「ホントかどうかはわかりませんが、毎日の蓄積なので、去年夏の群馬大会前から続けています。いまは、とくに意識しなくてもこれがふつうになっている。マネをしてくれる人が増えればいいんですが(笑)」

 因果関係は定かじゃないが、その13年夏に高橋は急成長を遂げたのだ。あれから7年。いまの高橋は、もうベルトを逆に通してはいないが、すっかり中心投手としての風格が出てきた。そういえば7月の西武とロッテの一戦では、高橋と小島が先発したことがあった。小島は、13年センバツの優勝投手。同年春夏甲子園の優勝投手同士が投げ合うのは希有な例らしく、しかもどちらも優勝時点では2年生だったというのは、おそらく史上初めてではないか。さてさて、この高橋らの1996年度生まれ世代、なにかいい呼び名はないですかね。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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