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堀内恒夫は、高卒ルーキーで開幕13連勝。佐々木朗希は? 奥川恭伸は?

楊順行スポーツライター
無観客試合ってどんな感じなんだろう(写真:ロイター/アフロ)

 明日6月19日、いよいよプロ野球が開幕する。1日違いだが、1966年の6月18日は、第1回ドラフト会議で巨人入りしたルーキー・堀内恒夫が、大洋戦で開幕から無傷の6連勝。さらに、無失点イニングを新人記録の41回に延ばした日だ。66年といえば、V9の2年目。かつて、ルーキー時代の思い出を聞いたことがある。キャンプから、手応えはあったのだという。

「ブルペンでピッチングしてみて、自信を持ったね。さすがにみんなタマは速いけど、オレのほうがもっと速い。(高橋)一三さん、倉田(誠)さん、渡辺(秀武)さん……一軍予備軍といわれている人たちと比べたら、悪いけどオレのほうが早く上に上がれるな、と思った」

 ただ、さすがにデビュー戦は緊張したという。66年4月14日の、中日球場である。

「ウォーミングアップの第1球を、わざとバックネットに投げたんだよ。リラックスするためにね。前日に先発をいわれたとき、背中を汗が伝わっていくんだ。本番でも緊張して、森(昌彦・当時)さんのミットどころか、姿さえ見えない。相手に打たれることより、とにかくストライクが入るかどうか、そればかりが気になった。実際、ウォーミングアップでさえストライクが1球も入らなかったからね。しかもサードは長嶋(茂雄)さんでしょ、ファーストは王(貞治)さん、ショートは広岡(達朗)さん……。とにかくすごい内野ですよ。ストライク入んなきゃ、なにいわれるかわかんない。ただ、“ええい、いったれ!”とストレートを投げてみたら、ど真ん中のストライク。あれでホッとしたね」

第1球はバックネットへ

 運も味方した。この日の天気は雨と見越した巨人は、前日の中日戦で本来の先発予定投手を使ってしまっていた。そのローテーションの谷間で、ルーキーに初登板・初先発の機会が巡ってきていたこと。そして1対2とリードされた7回表、堀内の代打として出た柳田利夫が逆転打を放ち、チームもそのまま勝ったこと。6回を投げ2失点の堀内は、負け投手を免れたばかりか勝利投手になったから、ルーキーの開幕13連勝は、バックネットへの意識的な大暴投から始まっているわけだ。

 翌日には、どの新聞にも帽子を横っちょに曲げて力投する18歳の写真が躍った。以来横向きの帽子は堀内のトレードマークになるが、これ、わざと1サイズ大きめの帽子をかぶり、投げ終わったあとずれやすいように演出したことはよく知られている。

「プロになった以上、自分のキャラクターをアピールしなきゃいかん、と。フィニッシュで首を振って帽子がずれると、いかにも力投してるって感じになるんじゃないかと思ってね。ただでさえノーコンでボールがどこいくかわかんねえのに、帽子を飛ばすくらい力投すれば相手の腰も引けるだろうし。実はバックネットへの暴投も、大きな帽子も、高校(甲府商)時代の監督(菅沼八十八郎氏・故人)のアイデアなんだ。“どうせ緊張するだろうから、1球バックネットにいってみろ”とか“帽子を飛ばして相手打者をびびらせろ”とかね」

 菅沼は、堀内を一目見てすぐ、こいつのピッチングを全国の野球ファンに見てもらいたいと思ったという。めっぽう速いまっすぐと、独特なカーブの落差。投げるだけじゃなくバッティング、守備、そして鼻っ柱の強さ……。すべてに高校生離れしていた。そして菅沼が見抜いたとおり、堀内は記念すべき第1回のドラフト会議で巨人に1位指名され、全国のファンにいやというほどその姿を見せつける。のちに400勝する大投手・金田正一も、堀内のピッチャーとしての才能を感じ取り、かわいがっていた。さしもの堀内が緊張したという初登板の試合前、取り囲む報道陣に“みんな、今日はこの子が先発なんだから、そっとしといてやってくれや”。天才的で生意気なルーキーに、かつての自分を見たのかもしれない。

 初先発で初勝利という上々の滑り出しをした堀内。しかし、そのノーコンぶりもあって、まだ首脳陣の信頼を得るまではいかなかった。次回のリリーフ登板は1安打1四球で1死もとれずに降板し、即二軍落ち。そこで、「コントロールをつけるためにちょっと力を加減して投げてみた」ら、多少は制球がよくなって5月末に一軍に合流すると再度、ルーキーの快進撃が始まった。

4連続完封、44回無失点

 30日の大洋戦、2度目の先発で3安打完封から6月6日のサンケイ戦、12日の広島戦、18日の大洋戦と4連続完封の離れ業だ。投げるのがおもしろくてしようがない。大先輩・森のサインにも平気で首を振り、試合後は試合後で「プロって大したことない」式のビッグマウスを披露する。マスコミはそれをおもしろおかしく報道し、堀内はいつしか“甲府の小天狗”“悪太郎”などという異名をさずかった。

「いいじゃん、なにをいったって。グラウンドで結果を出せばいいんだろ。生意気? 勝てばそう見えるのよ。まっすぐとカーブしかなくて、相手がカーブとわかったとしても、打たれる気はしなかった。プロの打者といっても、全然怖くはなかったね。だってウチにはONがいるんですよ。一番いいバッターが二人ね。そのONを従えて投げてるんだから、どのバッターも怖くないよ」

 うなりを上げるまっすぐに、一度浮き上がってから落ちてくるようなカーブ。このたった2種類のボールで、海千山千、もうプロで何年もメシを食っている相手に、堀内が積み重ねた連続無失点イニングは44。規定投球回に達し、投手成績1位に躍り出たときの防御率が0.15。堀内が投げれば負けない……いつしかチームにそんなムードが芽生え、白星街道はオールスターをはさんで13まで延びた。

「次の試合は広島に0対2で負けるんだけど、ウチが安仁屋(宗八)さんに9回2死までノーヒット。負けるとしたらこんな展開だろうな、という負け方だった。まあ、気が楽になったよ。1回負けても、すぐ勝てると思ったし、プロでやれる手応えもつかんだしね」

 こうして、66年のペナントレースで残した堀内の記録16勝2敗、防御率1・39は勝率とともに1位、沢村賞と新人王も獲得した。

「これからは高卒ルーキーで2ケタ勝つのはなかなかむずかしいだろうね。少なくとも、開幕から13連勝はもう、ちょっと破られないでしょう」

 さてさて。佐々木朗希(ロッテ)、あるいは奥川恭伸(ヤクルト)といった今季の高卒ルーキーたちはどうだろうか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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