2019年高校野球10大ニュース【7】11月/あの「松井5敬遠」以来。明徳義塾と星稜の再戦は?

星稜・林和成監督は、1992年夏の"あの一戦"の当事者だった(写真:アフロ)

 星稜(石川)が1点を先制したあとの4回表だ。明徳義塾(高知)は、先頭打者がヒットで出ると次の三番・鈴木大照が強攻。連打でチャンスを拡大すると、その後死球、適時打、犠飛などで4点を奪い、試合をひっくり返した。つねづね「野球は確率のスポーツ」という明徳・馬淵史郎監督。1点を追う無死一塁では、手堅くバントという手も考えられたが、強気で攻めたのが逆転につながった。

「今日は、小細工はあまり使わんかったんよ。最近トシとったんか、限界を感じてね。ビッグイニングをつくらないとよう勝てん」

 たとえば5回の無死一、三塁でも、二番打者にスクイズの素振りは一切なし。結果は凡退したが、「あそこでスクイズするようじゃ、いまの甲子園では上に行けんね。これが(甲子園出場のかかる)四国大会なら文句なしにバントじゃけど」とだみ声が響く。

 11月15日、明治神宮大会の1回戦。四国大会を制した明徳と、北信越覇者・星稜の激突だ。1992年夏の甲子園で、明徳が松井秀喜を5敬遠して勝利した因縁の両者が、そのとき以来27年ぶりの公式戦で顔を合わせた。馬淵監督によると、「練習試合は何回もしているけどね」。一方92年、三塁を守る松井の1学年下で、三遊間を組んでいたのが林和成・現星稜監督だった。

 林"遊撃手"はその明徳戦、二番打者として2回、ホームを踏んだ。星稜が敗れたスコアは2対3。5回にはヒットで出て、1死から松井の敬遠で二進したのが点に結びつくなど、星稜の得点はすべて林監督が記録したわけだ。当時の林監督は、「守り優先、打つほうではつなぎ役というプレースタイルでした」。だが、2011年に母校の監督に就任してから目ざしてきたのは、「打てるチーム」だ。

「コーチや部長を務めていた時代、第一ストライクからがんがん打ついまの現在の高校野球を見ながら、"打たないと勝てないんだ"と痛感したんです。何点リードしていても勝負はわからないし、実際にそれを経験していますからね」

ドラマチックな試合が多い星稜

 そうなのだ。林監督が率いて以降の星稜は、14年夏の石川大会決勝では、8点を追う9回裏に一挙9点という、マンガのような逆転サヨナラ勝ち。さらに17年秋の県大会も、5点差を追う7回に大量7点で日本航空石川を逆転して優勝と、相変わらずドラマチックなチームである。林監督は92年の明徳戦を振り返り、「選手は選手、指導者となると別ものです」と話していたという。そして馬淵監督に対しては「尊敬する監督の一人。なんでも吸収したい」と、27年ぶりの再戦を楽しみにしていた。

 さて試合は、4対1と逆転した明徳が5回、鈴木の3ランなどで突き放すと、星稜も食い下がったが終わってみれば8対5。またも軍配は明徳に上がることになる。「同じ11安打ずつなのに、いいところで効果的にヒットが出たね。チーム力はむこうが上ですよ。火を吹くような当たりが正面をついたり、どう転ぶかわからないゲームやったね」と馬淵監督。林監督は、

「馬淵さんとは、今回初めてお会いしました。試合できるのは喜びですが、意識しないつもりでも、意識してしまいます。百戦錬磨の監督で、どこでなにを仕掛けてくるか考えながらやっていました。ふだんならバントの場面で強攻策など、流れを読む目はさすがです。ハイスコアの展開と読んで、序盤からエンドランなどで攻めてきたんでしょう。采配の差が出ました」

 ちなみにこの試合は、明徳の投手として松井を5敬遠した、河野和洋・帝京平成大監督も観戦。「ずっと当たっていなかったので、こうして全国大会で見られるのは幸せ。次は甲子園で見たいですね」。

 甲子園では、なにかとドラマの主役となる両校のことだ。出場が確定的な来春のセンバツで、本当に対戦したりして。