ドラフト候補カタログ【13】韮沢雄也(花咲徳栄高)

(写真:アフロ)

 8月26日、高校日本代表と大学日本代表の対戦があった。侍ジャパンとして、U18W杯に挑む高校日本代表の壮行試合だ。注目はむろん、先発の佐々木朗希(大船渡・岩手)。1回で降板したが、いきなりバットをへし折るなど150キロ台のストレートを連発して大学生をその気にさせ、試合は結局4対4で引き分けた。試合後に設けられた取材時間。佐々木や、やはり大注目の奥川恭伸(星稜・石川)などにはメディアが殺到するだろうから、ゆっくり話せそうな選手にフォーカスした。

 韮沢雄也。2018、19年夏の甲子園に出場した、花咲徳栄(埼玉)のショートである。本職の一塁手不在の代表メンバーで、この試合は不慣れなファーストを守った。打席では4打数無安打。守っても、セカンドに任せるべき打球に飛び出して一塁を空けてしまうなどしてしまい、当然他社の記者はノーマークで、与えられた取材時間を一人で独占できた。だれも取材に来ないねぇ、ドラフト候補なのに……と冷やかすと、

「いいんです、僕は。皆さん、佐々木あたりの話を聞きたいでしょうから」

 と笑った。取材はほぼ雑談に終始したが、おもしろかったのは一塁守備について。

「やっぱり、むずかしいですね。(佐々木)朗希の牽制球なんか、マジで怖いです。一度あまりの勢いに押されたミットが、そのまま顔を直撃しました」

 これには笑った。もっとも、だ。さほど注目度の高くなかった韮沢だが、W杯本番のフタを開けてみれば、三番を打って29打数10安打の打率.345。木のバットにも対応してベストナインを獲得する活躍を見せたから、のちに考えると、壮行試合後の独占取材はなかなか貴重だったのである。

コシヒカリとスキーで育った

 実は、甲子園でちょこっと話をしていた。新潟県魚沼市の出身。小・中学校では、新潟市内のチームに所属していた。筆者も新潟出身だから、魚沼から新潟市内まではかなり距離があるのはよくわかる。通うのが大変だっただろうな……と聞いてみると、

「両親が車で送迎してくれるんですが、片道1時間半ほどはかかります。小学生のころは車酔いがひどくて……だからせっかく練習に行っても、しばらくは気持ち悪くて使いものになりませんでした」

 本人はいたって真面目なのだが、これにも思わず笑ってしまう。だがその新潟シニアでは、キャプテンとしてジャイアンツカップに出場し、花咲徳栄では1年秋から三番・ショートの座をつかんだ。ただ本人によると、「最初は米がダメでした」。なるほど、魚沼といえば屈指の米どころで、韮沢も実家では祖父の手になるコシヒカリを当たり前に食べていたとか。ブランド米と寮の食事を比べてはちょっと気の毒だが、育ち盛りの高校生だからすぐに順応し、入学時からは10キロ以上も体重が増えている。

 それはともあれ、センス抜群のショートとして2年続けて出場した夏の甲子園では通算8打数3安打、5盗塁と俊足ぶりも見せていた。2年だった18年夏は、同じ2年でいまやプロ注目の左腕・及川雅貴(横浜・南神奈川)から初回、中前にはじき返す先制打を放っている。その一打がひとつのきっかけだった、と韮沢はいう。

「練習試合で対戦したときは、セカンドフライに打ち取られていました。そこから、いろいろな打者を参考にしながら、足を上げるタイミングを早めに取るようにしていたんです。それが結果として出たのが、あのヒットでした」

 この夏も明石商(兵庫)に惜敗はしたが、自身は151キロ右腕・中森俊介から3打数1安打。定評があるバットコントロールの巧みさでお手本にしたのは、2年先輩の西川愛也(現西武)だ。

「先輩を見よう見まねするうち、インサイドアウトから広角に打てるようになったんです」

 守備でもときに、三遊間の深い位置で打球を処理し、苦しい体勢でも強い球を一塁に送る。出身の魚沼市は、国内有数の豪雪地帯だ。聞くと、根尾昂(現中日)ほどではないにしても、幼いころからスキーに親しんでいたというから、バランス感覚と体幹の強さは、そこにもルーツがあるのだろう。花咲徳栄のショートいえば岡崎大輔(現オリックス)、西川と立て続けにプロ入りしている。韮沢は、果たして……。