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ドラフト候補カタログ【11】奥川恭伸(星稜高)

楊順行スポーツライター
豊かな表情も魅力の奥川恭伸(写真:アフロ)

 奥川恭伸を初めて見たのは、遅ればせながら2017年秋の北信越大会。前年、全国中学校軟式野球大会で石川・宇ノ気中のエースとして優勝し、星稜では1年の春からベンチ入りを果たした噂の逸材だ。すると、早くも夏の石川大会でデビュー。新チームでは1年生ながら背番号1を背負い、秋の石川大会準優勝で北信越に乗り込んできたのだった。やはり準優勝したその北信越大会を皮切りに、18年はセンバツ、夏、秋の北信越。19年もセンバツ、春の北信越、夏と取材したノートをひっくり返し、奥川の足跡をまとめてみる。

 まずは、17年秋の北信越大会だ。実はこの秋の星稜、エースだった竹谷理央が、右有鉤骨の手術のため石川の準々決勝でリタイア。翌センバツ出場のかかる北信越は、1年生エース・奥川の右腕が頼りだった。

「もともと、力があるチームではないと感じていた。さらにエースが不在ですから、どうなることかと思っていました」

 とは林和成監督だが、奥川は、北陸(福井)との1回戦を7安打10三振で完封。これには林監督も、

「自分とではなく打者と勝負できるし、ギアの入れどころなどは1年生離れしています」

 と脱帽だった。翌日、北越(新潟)との準々決勝では、本人も「まだまだ中学生の体です」と4回で息切れしたが、それでも8三振1失点だから立派なものだ。そして翌週、富山国際大付との準決勝でもまたまた魅せた。3安打7三振で7回コールドを完封するのだ。この試合では初回、147キロの自己最速をマーク。「打者を追い込むまでは八分の力で、決め球のまっすぐだけ全力で」とは奥川で、当時から投球術はずば抜けていた。ただ、連投となった翌日の日本航空石川との決勝は、5回7失点と大炎上で、

「この冬、どれだけ頑張るかでこれから先が決まってくると思います」

 と、体力不足という課題が明確だった。だが、秋のシーズン通算では公式戦8試合、53回3分の1を投げて奪三振63は奪三振率にして10.6。防御率2.85は1年生としては合格で、翌年のセンバツ出場に大きく貢献した。

18年センバツが全国デビュー

 その18年センバツでは初戦、富島(宮崎)との初戦で救援。6回3分の2を投げて6三振無失点と上々の甲子園デビューを飾ると、近江(滋賀)との3回戦は投打で躍動した。やはり救援で4回3分の2を無失点に抑え、打っては延長10回の2死一塁からサヨナラ二塁打だ。ただ翌日の準々決勝では、三重打線につかまり敗退。「制球力、スタミナをつけて戻ってきます」と本人、さらなるフィジカル強化を誓うことになる。

 そして、石川大会15回を14三振、無失点と圧巻の力量を見せて「戻ってきた」その夏、甲子園。藤蔭(大分)との開幕試合は、自己最速を3キロ更新する150キロをマークしたものの、8回を4失点とピリッとしなかった。「指のかかりがイマイチだった」とは本人だが、済美(愛媛)との2回戦では、4回までテンポよく1失点も足がつって降板。チームも最大6点差を追いつかれ、最後はタイブレークの13回、史上初の逆転サヨナラ本塁打という壮絶な敗戦の遠因となった。林監督によると、「暑さ対策はしていたんですが……甲子園独特の緊張感もあったでしょう」というが、奥川はのち、こう反省している。

「自己管理が甘かったんです。水分補給はしていたんですが、スポーツドリンクじゃなく、経口補水液にすべきでした」

 そして、2年生としては唯一、U18日本代表に名を連ね、たくさんの刺激をもらってスタートした新チーム。「すべてのボールの質を上げ、絶対的な存在になる」と心を新たにしたように、奥川は大きく飛躍した。日本代表からチームに戻り、調整段階だった石川大会では、金沢戦で4失点したが、以降は圧巻の0行進だ。

2年秋は圧巻のドクターK

 優勝した北信越大会から明治神宮大会では、7試合に登板し、48回3分の1を投げて自責0の防御率0・00である。奪った三振は65、与えた四死球はわずか3という完成度の高さだ。北信越では、松本第一(長野)との5回コールドで13三振。そのうちには10者連続も含み、11人目は三振逃れのためにセーフティーバントを試みたから、「長い間野球をしていますが、初めて見た」と林監督もびっくりだ。さらに、東海大諏訪(長野)を完封した翌日、啓新(福井)との決勝は延長15回、183球を投げ抜く力投。課題だったスタミナ面でも、大きな成長を見せていた。

 さらにさらに神宮大会では初戦、広陵(広島)を相手に7回を11三振。前年春以来あまり使っていなかったフォークが有効で、中井哲之監督は、

「変化球で簡単にカウントを取れる、あの精度。ウチは創志学園(岡山)の西(純矢)君を打ってきたので、速い球には慣れていますが、フォークがいいところに130キロ台で決まればちょっと打てません。スピードは西君でも、制球、緩急、精度では奥川君が上です」

 と、高校四天王の一人と比較していた。

 ここまでが、19年を迎えるまでの奥川の足跡である。そしてセンバツでは、履正社(大阪)を3安打17三振で完封し、夏は智弁和歌山との延長14回を23三振……などなど、決勝まで自責0の完璧投球を見せたのは記憶に新しい(これらは拙稿をご参照ください。https://news.yahoo.co.jp/byline/yonobuyuki/20190323-00119348/ https://news.yahoo.co.jp/byline/yonobuyuki/20190822-00139439/)。さらにU18W杯では、カナダ戦で7回を18三振……。奥川は結局、4回の甲子園で12試合を投げ、7勝3敗。87回3分の1で奪った三振はちょうど100、防御率は1.55を記録している。最後の夏、決勝で対戦した履正社・岡田龍生監督の言葉を締めくくりに。

「奥川君は今すぐ社会人、いや、プロでも通用するレベルじゃないですか」

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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