平成の高校野球10大ニュース その10 2018年/節目の100回大会、そして平成最多勝は

制作にあたった知人からは、涙ぐましい苦労話を聞いた(撮影/筆者)

 朝日新聞出版の「全国高等学校野球選手権大会100回史」を入手した。1915年創設の第1回全国中等学校優勝野球大会から昨年の夏まで、甲子園の全試合の結果、ベンチ入りメンバーはもちろん、地方大会のスコアまで網羅した労作である。で、去年100回を終えた夏の甲子園、中京大中京(愛知)の7回を筆頭に、優勝したことがあるのはちょうど60校。ただ、のべにすると98校しかない。去年の夏前にもちょっと書いたが、実は100回のうち、いわゆる夏の甲子園が行われなかったことが2回あり、だからのべ100校ではないわけだ。

 18年の第4回は、全国の14代表が決まり、それぞれが試合に備えて関西入り(当時は鳴尾球場)したものの、全国に広がる米騒動の余波で、大会は中止。41年の第27回は、年末に太平洋戦争が開戦するほど軍事色が濃くなり、学徒を居住地にとどめるためにスポーツの全国的な催しが中止された。この2回、全国優勝校こそないが、地方大会は行われたため、大会の回数自体はカウントしている。大会は100回行われているのに、優勝校が98と計算が合わないのはそのためだ。

春を連覇した大阪桐蔭、節目の夏も!

 それはともかく、記念すべきその第100回大会の優勝は大阪桐蔭。センバツも前年に続いて連覇しているから、春夏連覇の達成となった。大阪桐蔭は、藤浪晋太郎(現阪神)らのいた2012年にも春夏連覇を遂げている。2度目の偉業は史上初めてで、節目の大会にふさわしかった。ちなみに、大会総入場者数も史上初めて100万人の大台を突破。100回大会で100万オーバーというのは、ちょっとできすぎといってもいい。

 決勝の相手は金足農(秋田)。秋田勢は、第1回大会で秋田中(現秋田)が準優勝しており、103年ぶりの決勝進出という巡り合わせだ。もし金足農が勝てば秋田勢どころか、東北として悲願の初優勝となるところだったが、地方大会から一人で投げ抜いてきたエース・吉田輝星(現日本ハム)が最後に力尽きた。初回の無死一、三塁は2死までこぎ着けたものの、根尾昂(現中日)に四球のあと、暴投と二塁打などで桐蔭が3点を先制。4回、宮崎仁斗の3ランで勝負は決まった。大阪桐蔭・西谷浩一監督はいう。

「昨年(17年)夏、3回戦で負けた翌日から"最高のチームを、本物のチームを、そして最強のチームをつくろう"とスタートし、必ず春夏連覇を達成しようといい続けてきました。100回大会で、大きな目標にチャレンジできることにワクワクしていましたが、そういう全員の思いが実って、新しい優勝の大旗を一番に手にできました」

 思えば17年の桐蔭もセンバツを制覇し、春夏連覇に挑戦したのだった。だが、優勝有力の声のなか、仙台育英(宮城)との3回戦で、まさかのサヨナラ負け。ゲームセットのはずの内野ゴロを、一塁を踏みそこねてセーフにしてしまったのが、新チームで主将になった中川卓也だ。その中川ら、当時の主力が多く残ったチームが1年後、今度は本当に春夏連覇を達成したわけだ。

平成の甲子園勝ち星ランキングは……

 新調された3代目の優勝旗を最初に手にしたのは、横綱相撲の大阪桐蔭。これで春夏通じて8回目の優勝となり、回数ではPL学園(大阪)を抜き、中京大中京の11回に次ぐ2位となった。夏5回の優勝は松山商(愛媛)に並ぶ3位タイで、驚異的なのは、春夏ともに決勝の負けがないことだ。西谷監督にとっても、春夏7回目の優勝は監督としては歴代トップ。通算55勝(9敗)は歴代3位ながら、勝率・859も、PL黄金時代の中村順司氏をしのぐ。なにしろ、4勝1敗ではその数字が下がるのだからすごい。

 そして……19年のセンバツで幕を閉じた「平成」の甲子園。ちょうど30年間の甲子園通算勝利数でも、大阪桐蔭はトップに躍り出ている。以下がそのランキングで、

1 大阪桐蔭  63勝12敗…8(春26勝7敗…3  夏37勝5敗…5) …のあとの数字は優勝回数、以下同

 智弁和歌山 63勝31敗…3(春27勝11敗…1 夏36勝20敗…2)

3 明徳義塾  50勝31敗…1(春19勝14敗   夏31勝17敗…1)

4 横  浜  41勝24敗…3(春17勝11敗…2 夏24勝13敗…1)

 仙台育英  41勝29敗  (春10勝10敗  夏31勝29敗)

 大阪桐蔭にしても智弁和歌山にしても、勝ち星の63はすべて、平成になってから記録したもの。智弁の昭和時代は甲子園0勝2敗だし、桐蔭は出場すらできていないのだ。令和も両横綱の時代になるのか、それとも……。

 思い返せば……100回大会の閉会式、甲子園上空には、大快挙を達成した大阪桐蔭を祝福するような虹。これもまた、できすぎだった。