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平成の高校野球10大ニュース その8 2012年〜/22奪三振、大会6HR……大記録の誕生

楊順行スポーツライター
2017年夏、中村奨成(広陵)は、大会記録の6本のホームランを量産した(写真:岡沢克郎/アフロ)

 べらぼうな数字である。2012年夏、第94回全国高校野球選手権。桐光学園(神奈川)の松井裕樹(現楽天)は初戦、今治西(愛媛)から22三振を奪い、1試合最多奪三振の記録(従来は1925年の森田勇[東山中]の19、以後4人あり)を87年ぶりに塗り替えると、続く常総学院(茨城)戦でも19奪三振。常総学院・佐々木力監督が「18くらい取られるのでは……といっていたが、本当に取られた」というように、まるで劇画のようだった。

 なにしろ前述のように、打力が整備される夏に関しては20の大台すら一度もなく、春の最多は戸田善紀(PL学園・大阪、元阪急など)の21。松井の記録はこれをも上回る甲子園最多というわけだ(延長試合を除く)。そうそう、そういえば73年センバツで、江川卓(作新学院・栃木、元巨人)が20三振を奪った相手も松井と同じ今治西。もしかすると伝統的に、思い切り振ってくるチームなのかもしれない。

直球と変化球の腕の振りがまったく同じ

 それはともかく、松井。147キロに達するストレートと、鋭いスライダーは落差が大きい。前年の6月ころから、カウント球として習得に取り組んだスライダーは、改良に改良を重ねて伝家の宝刀となった。その夏の神奈川県大会では、46回3分の1を投げて68三振。今治西戦では3回まで7、6回まで13と奪三振ペースはまったく衰えず、8回終了時点で19と早くもタイに並ぶと、続く9回、先頭打者から空振りの三振を奪い、あっけなく大記録達成。3つのアウトを三振で締めたその9回、2死一塁のピンチを招いても動じない。口元がなにやら動いていたのは、

「相手の応援を自分の応援だと思い、歌いながらリズムを取っていました」

 当時まだ2年生だから、心臓もナミじゃなかったのだ。特筆ものは6回途中から9回2死まで続けた10者連続三振。これは従来記録の8を塗り替えておつりがくるもので、そこまで三振が増えると、自然と球数を要するものだが、「もともと球数が多い投手だから、スタミナはある」(桐光学園・野呂雅之監督)と、球威はまったく落ちなかった。今治西の大野康哉監督がうめくのは、「終盤まで思い切って腕を振ってくるし、直球とスライダーと腕の軌道がまったく同じ。低めには手を出すなと何回いっても、バットが止まらなかったのはそのせいでしょう」。

 桐光学園では、1年から中心投手の1人となった。ただ、大きく胸を反らすよう投球フォームは上半身に頼りがちで、そこは走り込みと、20球×10セットの200球の投げ込みで下半身を強化。それが、ストレートと変化球を同じ腕の振りで投げ分ける土台にある。「リリースだけに力を入れるように意識している」とは本人の言葉だが、それは元巨人・杉内俊哉がつねに口にしていたことだ。常総学院・佐々木監督はいみじくも「杉内君に匹敵するような左腕」と表現したが、杉内が98年夏の甲子園でノーヒット・ノーランを記録したとき、奪った三振は16。三振の数では、松井のほうが断然上をいっている。

 桐光学園は準々決勝で敗れたものの、松井は4試合いずれも二ケタ三振を記録。通算では68三振と、現タレントの板東英二(徳島商、元中日)が58年に記録した最多記録・83には及ばなかったが、考えてみてほしい。1試合22三振ということは、ほかのアウトはわずか5つ。打球はほとんど前に飛ばず、現に今治西戦では外野フライさえひとつもなく、この記録は令和になってもちょっと破られそうもない。

「記録は破られるためにある」のか

 とはいっても、アンタッチャブルと思われたものが破られるのが「記録」である。85年の夏、清原和博(PL学園・大阪、元西武など)が記録した一大会5本塁打もそのひとつだった。以降30年以上、並ぶ者さえいなかったが、一気に更新されたのが17年の夏だ。そのスーパー・スラッガーが、広陵(広島)の中村奨成(現広島)。中京大中京(愛知)との1回戦で2本塁打。秀岳館(熊本)との2回戦では9回に3ランを放ち1、2回戦で9打数7安打6打点、しかも3ホーマーだ。本人は「好投手との対戦は楽しかった」というが、これだけ打てればそりゃそうだろう。

 聖光学院(福島)との3回戦でも、9回に勝ち越し2ラン。これで一大会4本塁打とすると、天理(奈良)との準決勝ではまたも1試合2本で一気に清原を抜き去った。清原の場合、準々決勝以降の3試合で5本を放ったのは尋常じゃないが、まだラッキーゾーンのある時代で、5本のうち1本はそのラッキーゾーンに助けられた。だが中村は、6試合中4試合で架けたアーチがすべてスタンドインだから、清原と比しても遜色ない。

 広陵・中井哲之監督は、驚異の量産をこう評する。「ホームランはまぐれでしょうが、高校生であれだけバットをしならせて打てる打者は、そうはいません。打つだけじゃなく、微妙なコースに変化球がきても、バットがぴたっと止まるんです」。結局、この大会で中村が到達した領域は……

●新記録

・1大会個人最多本塁打 6

・1大会個人最多打点 17

・1大会個人最多塁打 43(準決勝での自身の記録を更新)

●タイ記録

・1大会個人最多安打 19

・1大会個人最多二塁打 6

 これは手前味噌になるが、清原の5本、中村の6本とも、僕はすべて現場で見ている。

まるで劇画のような2打席連続満塁弾

 そういえば、これはもう2度と達成されないだろうという快挙もこの目で見た。15年の第87回選抜高校野球、3月31日の準決勝第1試合だ。敦賀気比(福井)の六番・松本哲幣は、初回2死満塁で大阪桐蔭の左腕・田中誠也からレフトスタンドに満塁アーチをたたき込むと、2回にもやはり2死満塁から、レフトポール際にアーチ。1試合でグランドスラム2本さえ至難の業なのに、それが2イニング&2打席連続というのだから、達成確率はおそらく、天文学的数字ではないか。野球というスポーツが生まれて以来、洋の東西を問わずとほうもない数の試合が行われてきただろうが、もしかしたら史上初めてかも……何百年かに1回の天体ショーのごとく、おそらく、生きている間にもう一度見ることはないだろう。それほど、これもまた劇画のような快挙だった。

 空前絶後の2打席連続満塁弾だが、松本本人は、2本目の打球が左翼席に飛び込むまで満塁だと気がつかなかったというのがおもしろい。「一塁を回りかけたところで、ああ、満塁やったんや、とわかったんです。1本目は完璧な当たりでしたが、2本目は風が追ってくれたんで、びっくりでした」。この試合では、センバツ記録となる個人最多打点8もマークすると、東海大四(北海道)との決勝でも同点の8回、優勝を決める2ラン。1大会3ホーマーも清原、松井秀喜(星稜・石川、元巨人など)ら、歴代の名だたる打者に並んでいる。

 ほかにも14年夏には、健大高崎(群馬)の平山敦規が、93年ぶり史上2人目の大会8盗塁を記録。15年センバツでは、常総学院の宇草孔基と竹内諒の2人が、52年ぶりの一試合5盗塁。昨年夏なら、済美(愛媛)の矢野功一郎が史上初めての逆転満塁サヨナラ本塁打を放ち、近江(滋賀)の住谷湧也が記録した打率・769は、個人一大会最高を30年ぶりに更新した。ことほどさように……近年、史上初や大記録の更新が目立つ甲子園。令和最初の大会となるこの夏も、びっくりするような記録が生まれるかもしれない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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