センバツのお気に入り 第6日/21世紀枠・熊本西とのご縁

アルプススタンドにもさまざまな物語があるんです(写真:岡沢克郎/アフロ)

 世間は星稜(石川)と習志野(千葉)のサイン盗み疑惑で騒々しいでしょうから、こんなときこそほのぼのとした話題を。

「相手の応援も自分のものに聞こえ、ものすごくいい場所でした。ただ、1巡目は自分のピッチングができましたが、2巡目からはきっちり合わせられた。レベルの高さを感じました」

 21世紀枠で出場の熊本西。昨年のこの大会では準優勝し、過去に3回の全国制覇がある強豪・智弁和歌山と、1回戦の最後に対戦した。熊本西は2回に1点を先制するが、1、2回と智弁の強力打線をゼロに抑えていた霜上幸太郎が3、4回で大量11失点。結局2対13と大敗し、今大会に出場した21世紀枠の3校は、いずれも初戦で姿を消したことになる。その、試合前。一塁側アルプスで、なんとも貴重な出会いをした。

 昨年の11月。このページに、『悲しい事故で思い出した熊本西・1985年夏の甲子園』(https://news.yahoo.co.jp/byline/yonobuyuki/20181120-00104761/)を掲載した。熊本西の選手が、練習試合中の事故で亡くなったことにあわせ、1985年の夏の甲子園に同校が初出場したときの思い出について記したものだ。一部に、こうある。『このときの熊本西は、甲子園でも磐城(福島)に勝って1回戦を突破。2回戦で敗れたが印象はさわやかで、当時のエース・廣田太郎君には手記を依頼し、作っていた雑誌に掲載した記憶がある』。

ひょんなことから34年ぶりの再会

 その廣田さんが、である。つたない一文を目にして、連絡してきてくれたのだ。なんでも、母校のセンバツ出場によって、34年前のエースとして地元・熊本のメディアに取材を受け、そのメディアに私の連絡先を調べてもらったのだという。そのときの連絡では、「もちろん、試合はアルプスで応援します」とのこと。で大会第6日、34年ぶりに廣田さんと再会とあいなったわけだ。本当にたまたまだったんです、と廣田さんは切り出した。

「私の作文が掲載された雑誌ですが、引っ越しを繰り返したこともあって、見当たらなくなっていたんです。母校が21世紀枠の推薦を受けたこともあって、知人と"昔作文を書いたんだ"という話をしているときに、偶然にネットニュースで楊さんの記事を拝見し、"ああ、この方だ"と。それで地元メディアの方にお願いし、連絡先がわかったんです」

 当時の甲子園に出場したメンバーを中心に、アルプスに11人で詰めかけた廣田さん。作文をお願いしたことがあるとはいえ、ほとんど初対面である。だけど当時のことを思い出すと、初対面とは思えないほどに話が弾んだ。夏の開会式の入場行進で全チームがそろい、一斉に前進するときのふるえるような感激。2回戦では東農大二(群馬)に敗れたけれど、相手応援席の農大名物・大根おどりが楽しそうに見えたこと。進学した大学では草野球を続け、速球派として投げれば三振だらけだったこと。そして、フィールドを見ながら付け加えた。

「私もそうでしたけど、こんなにたくさんの人に見てもらうことってないですからね。後輩たちは幸せです。それと自分のときもいまでも、夏の開会式で全チームがそろって前に出るシーンを見ると、鳥肌が立ちますね。年のせいか、涙腺がゆるむんです」

 試合は、7回までで降板したエース・霜上が9回2死からマウンドに戻り、大会屈指の好打者といわれる黒川史陽を左飛に抑えた。霜上は「注意していた」黒川に2安打されたが、ほかの4打席は2三振を含んで打ち取り、「ヒットも会心の当たりではなく、相手投手の思うつぼでした」と黒川に首をひねらせている。それでも、と霜上。

「全国というレベルの高さを感じさせてくれた大会でした。だけど、自分たちにも上れない高さじゃないとも思います」

 試合終了後、廣田さんから連絡をいただいた。

「試合が終わったあと、アルプスの前に選手たちが整列してお辞儀してくれたとき、やっぱり涙が出ましたねぇ」

 それにしても……熊本西の出場をきっかけに、34年ぶりの出会いが生まれたりするのだから、高校野球っておもしろいのだ。