ドラフト2018 逸材発掘! その4 柿木蓮

センバツでは根尾昂に譲った優勝投手を、第100回の夏の甲子園で手にした柿木蓮(写真:岡沢克郎/アフロ)

 もう時効だからいいだろう。

「太ったんすよねぇ」

 8月、U-18アジア選手権の高校代表と、大学日本代表との壮行試合のあと。2度目の春夏連覇を果たした大阪桐蔭のエース・柿木蓮が、「内緒ですよ」といいながらそうもらしたのだ。大事な大会前ということもあり、体重増というのはちょっと体裁が悪かったのだろう。

 直前まで、夏の甲子園の激戦でチーム6試合のすべてに登板して完投が4。準決勝と決勝の連投は、一人で投げ抜いた柿木。36回を投げて39の三振を奪い、防御率はちょうど1.00という抜群の安定感だった。大会中、自己最速の151キロをマークした直球はもちろん、スライダーのキレ、制球ともグンと増したのが安定の土台にある。そして、6試合すべてに登板しながら、体重が減るどころかむしろ増えたというのだ。なんとも恐るべきスタミナじゃないか。 

 甲子園で柿木の成長がうかがえたのは、作新学院との初戦、9回だ。8回までは、直球を軸にカットボールを有効に使い、作新打線を3安打無四球8三振と、無得点に抑えていた。スコアは3対0。9回の2死三塁からタイムリーを浴びて完封こそ逃したが、一昨年の優勝校を相手に堂々の1失点完投だった。やはり春夏連覇を狙った昨夏。仙台育英との3回戦は、1対0で迎えた9回2死一、二塁から、平凡なショートゴロを野手の凡ミスで生かしてしまう。当時はウブな2年生。試合終了のはずが2死満塁になり、動揺したままサヨナラ打を浴びたのが柿木だった。いわば9回は、鬼門だったわけだ。

「去年は9回に悔しい思いをした。去年と違い、3対0なので変に気負わずにいったつもりですが、いざとなったらやはりちょっと焦りがありました(笑)」

「低めのゴロゾーン」への制球

 自賛したのは9回、連打で無死一、二塁というピンチでの併殺だ。低めに絶妙に制球し、思惑通り内野ゴロを打たせたのは、日常の練習で「低めのゴロゾーン」(柿木)に投げることを磨いてきたからだ。柿木はいう。

「軸はまっすぐなんですが、やはり変化球が使えると楽になりますね。これが4回目の甲子園で、9回を投げきって勝ったのは初めて。自信になります」

 ムキになって力で抑え込むのではなく、ゴロを打たせてゲッツーを。さらに、初めて死球を与えて2死一、二塁と、大詰めで一打同点のピンチを迎えても、最後の打者は冷静に変化球で打ち取っている。

 実は柿木には、思い入れがあった。佐賀・東松ボーイズ時代の2014年、たまたま取材したことがあったのだ。中学2年になったばかり。東京・大田スタジアムでの春季全国大会では125キロを計時し「まっすぐをもっと高めて、140キロを出したい」と話してくれたものだ。大田スタジアムのスピードガンは、もともと表示が遅めといわれている。実質はすでに130キロに達していただろう球速は翌年、すぐに大台に突入し、ボーイズ日本代表などのキャリアを積んで柿木は、大阪桐蔭に進んだ。

 背番号2で17年のセンバツに出場したときには、そういう思い出をきっかけに、よく雑談をした。「1年の夏に有鉤骨を骨折したので、その間はポール間走、ランジ、土手ダッシュ……とか、いろいろやりました。おかげで下半身が鍛えられた」「背番号2は、正捕手のケガで急きょ登録されたから。記者の人からは、"背番号2なのに、なぜピッチャー?"と何回も聞かれました」。エースとして春夏連覇を狙ったこの夏は、つねに多くの取材陣に囲まれていたが、当時は控え投手。なんとものんびりしたものだったのである。

甲子園12試合で防御率は0.86!

 先発を志願した決勝。金足農を2失点で完投して優勝投手となると、

「エースとしてやってきたことは、間違いではなかった。決勝のマウンドで最後まで投げて勝てたことがうれしい」

 と目を潤ませた。日本代表では、変化球の握りなどについて、ほかの投手から吸収し、「自分にはないものを持っているピッチャーばかりだったので、勉強になりました」とどん欲さを見せた柿木。4回出場した甲子園は、通算12試合で62回3分の2を投げて67の三振を奪い、防御率も0.86と出色だ。無尽蔵のスタミナで、さらなる高みに挑んでいく。

かきぎ・れん●2000年6月25日生まれ●投手●181センチ85キロ●右投右打●多久市立中央中(佐賀東松ボーイズ)→大阪桐蔭高