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甲子園。善意の判官びいきならいいのか? 最終回の手拍子が愉快じゃない

楊順行スポーツライター
(ペイレスイメージズ/アフロ)

「最近の甲子園は、ファンが変わってきとんのかいな」

 監督として甲子園優勝経験もある、関西の重鎮がつぶやいた。

 ある試合で、リードされているB高校の9回、先頭打者が出塁した。すると、一、三塁側からネット裏のファンまで球場全体が、B高校アルプスのブラスバンドに合わせて、大きな手拍子を響かせる。

「見てみ、あのへんはさっきまで(対戦相手の)A高校を応援してたのに。もちろん、どっちを応援してもかまわへんのやけど、それにしても……野球の素人さんが多くなってんのかな」

 素人さん、で思い出すことがあった。S高校が甲子園に出場してくると、その高校特有の事情から、野球をよく知らない関係者も大挙して応援に駆けつけ、スタンドを埋める。すると、野球を見慣れていないものだから、明らかなファウルに対して、

「オオーッ!」

 と大歓声がわいたりする。常連の甲子園ファンなら、ハナも引っかけないような打球。取材仲間とは、「箸が転げても……」という慣用句に引っかけ、そうしたファンを"箸転げ"と呼んでいる。早稲田実(西東京)の清宮幸太郎(日本ハム)が登場した2015年あたりから、甲子園には、急激にそうした"箸転げ"ファンが増えてきたように思う。

"箸転げ"ファンが多すぎないか?

 2回戦。8対4で奈良大付を降した日大三(西東京)・小倉全由監督が、試合後にしみじみともらした。

「ああ、これかぁ……と思いましたね」

 8対3と5点をリードして迎えた9回の守りだ。1死からヒットを許すと、三塁側の奈良大付の応援団がここぞとばかりに盛り上がる。すると、球場全体が「待ってました!」とばかりに呼応し、手拍子ばかりか手にしたうちわを応援歌のリズムに合わせてたたき鳴らした。さらに代打が内野安打で続き、次打者のゴロを河村唯人投手が二塁へ悪送球。奈良大付が1点を返すと、お祭り騒ぎが最高潮に達した。日大三には気の毒なほどの空気だったが、結局は、8対4で逃げ切り。三木有造部長は、「ウチは西東京で早稲田実と対戦するときなど、アウェー状態には慣れていますから」と強がったが、小倉監督は「神宮でのそれとは、重圧が全然違いますよ。イヤでしたね……」と苦笑する。

 現に日置航主将は、

「応援で球場の雰囲気が一変するのは、奈良大付の初戦で見て、浮き足立たないように準備していましたが、正直"オレたちこんなに嫌われてるんだ"って気持ちが萎えかけました」。マウンドの河村は、「光星と東邦の試合がずっと頭をよぎっていました」という。

 2016年夏、第8日第3試合。東邦(愛知)と八戸学院光星(青森)の一戦は、光星が9対5とリードして9回の守りを迎えた。だが、東邦の先頭打者がヒットで出たことで盛り上がるアルプスに一般客も呼応。だれかが頭上でタオルを回しはじめると付和雷同し、球場全体でタオルが打ち振られ、声援と手拍子ともども、スタンドが東邦一色ムードになった。光星にとっては、自分たちでは制御できない完全アウェー状態である。結果光星は、悪夢のようなサヨナラ負けを喫してしまう。

球児の気持ちになってみれば……

 判官びいき。もともとは九郎判官・源義経に対する同情や哀惜の心情のことで、弱い立場に置かれている者に同情を寄せる心理だ。日本人が伝統的に抱く感情といわれ、甲子園でも、力量で上回る相手に健闘するチーム、あるいはその時点で劣勢のチームに対して、ファンが肩入れする傾向は昔からある。だが、東邦に対する肩入れ自体は判官びいきだとしても、実はこの日は、横浜(神奈川)と履正社(大阪)という優勝候補同士の好カードが第4試合に組まれていたことが伏線にある。

 早朝から詰めかけた観客のおそらくかなりの割合は、そのカードがお目当て。早朝からずっと席を立たず、いわば待ちくたびれていた。そこで、大差のついた第3試合である。退屈しのぎには、東邦が多少追いついたほうがおもしろいぞ、という心理がそこにはなかったか。そんな悪意のない期待感でも、積もり積もれば光星の選手にとっては高密度の重圧だ。なんとか2死にこぎ着けたものの、そこからヒットが出るたびに球場は魔物となり、さらに4連打で悪夢のサヨナラ負けを喫してしまうのだ。試合後の光星の選手たちは、「周りみんなが敵に見えました……」と唇をかんでいる。日大三の河村が「自分もいま、ああなりかけている」と思い出したのは、これだ。

 自然発生する球場の一体感なら、また違うと思う。たとえば、09年夏の決勝。中京大中京(愛知)につけられた6点差を、9回2死から猛然と追い上げる日本文理(新潟)の打者・伊藤直輝に対して、球場は「イトウ! イトウ!」とエールを送ったが、これはアルプスのブラバンに誘導されたわけでもなく、追い上げる文理のひたむきさに、球場全体がいま、同じ場所にいることでなにかを共有してイトウコールとなったのだ。

 だが、近年の甲子園の手拍子は違う。ここで手拍子を打つと楽しいから、無節操に負けているほうを応援する。いわば、その場にいることで参加型イベントと錯覚し、判官びいきの免罪符を借りた自己陶酔。だが悪意はないにしても、結果的には日大三・日置主将の言葉のように、一人の手拍子がとてつもない重圧となるのだ。イベント感覚で手を打つ人々には、自分の行為がどれだけ選手の心を萎えさせるか、そのことを肝に銘じてほしい。

自己参加型イベントではない

 15年には清宮の登場によって、また高校野球芸人なるものの露出が増えて注目度が増し、

「じゃあ、見に行ってみようか」

 と、初めて甲子園に足を運ぶ人が増えたこと自体は望ましい。そして実際、そこに身を置いてみると、甲子園のスタンドは一種の祝祭空間だ。青い空、緑の芝、風、球音が五官をくすぐり、気持ちがハイになる。そのテンションが、盛り上がらなきゃソンとばかりに、手拍子に雷同させるのだろうか。

 だがお祭りには、長い伝統の間に積み上げられた暗黙の禁忌があるはずだ。負けているほうを応援するのは高校野球ファンの共通心理だとしても、節度を欠くと見苦しい。タオルを回す応援が、大会本部の自粛要請によって見られなくなったのは慶賀の至りだが、手拍子ばかりは制御のしようがない。ファンの甲子園"民度"の熟成を願うしかないのか。

 そして、不思議なことに。準決勝では、金足農(秋田)に対して1点を追う9回、日大三が1死から走者を出しても、"負けているほうを応援しましょう手拍子"は起こらなかった。なぜだ? 

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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