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8強ならずもニュー愛工大名電、SKB47で夏の甲子園30年ぶり勝利

楊順行スポーツライター
愛工大名電は、あのイチローもできなかった夏1勝を30年ぶりに達成(写真:岡沢克郎/アフロ)

「打撃は水ものといいますが、最近は油ものだと考えているんです」

 さすが書をよくし、登山を愛する風流人・倉野光生監督らしい表現だ。

「近年の高校野球では、バッティングが変わってきています。甲子園でも、長打で一気に得点できないと勝てない。つまり水ではなく、温度が上がるとどんどんヒートアップしていく油なんです」

 なるほど、たとえば昨年夏に優勝した花咲徳栄(埼玉)は、すべて先攻を取った6試合中4試合で初回に先制し、そのうちバントはわずか2だ(成功のみ)。なかには初回に5点、4点という大量得点にも成功している。また16年夏を制した作新学院(栃木)はほとんどバントをしないことで知られるし、15年夏の覇者・東海大相模(神奈川)は、バントよりエンドランなどのアグレッシブな攻撃が身上だ。

打撃は油もの

 そもそも愛工大名電(西愛知)といえば、バントが代名詞のチームだった。むろん山崎武司、イチローといった球史に残る打者を生んではいる。だが2005年のセンバツで、前年の準優勝を上回る初優勝を飾ったときには、徹底したバント戦法が特徴的だった。優勝までの5試合で、犠打の合計は26。明らかにバントの局面では、たとえ見え見えでも、選手によっては木製バットを使うケースすらあったのだ。率いたのは、97年9月就任の倉野監督である。

 ただし、その夏もセンバツ同様バント、バント、バントで臨んだが、延長13回のすえに清峰(長崎)に初戦で敗れている。バント企図は、相手にストレスはかけたとしても、ひとつのアウトをあげて楽にする半面もある。そのときの39のアウトのうち、セーフティーも含めてバントでのものが10なのだ。それでも、倉野監督は自分の野球を貫いてきた。だが監督就任以来、センバツでは12勝4敗という好成績をあげてはいても、夏は7回出場していずれも初戦敗退。そこへもってきて、昨今の"打線は油もの"の高校野球である。

 さらに昨夏は、準々決勝で中京大中京に長打力を見せつけられて敗退。秋も、やはり準々決勝で中京大中京の強力打線に3対10のコールド負けを喫した。ことここに至って倉野監督も「小技だけでは太刀打ちできない」と、ついに180度の方向転換を決断した。

 そこからは、徹底した振り込みと体づくりで打力を磨く。その結果が、この夏の西愛知大会7試合で64得点であり、106安打の打線だ。そのうちホームラン9、三塁打4、二塁打24という長打力で、ちなみに犠打数は8である。倉野監督はこの打線を、部員のうち47人の選手にかけて、SKB(スーパー攻撃的野球)47と命名したという。

2試合で犠打はゼロ

 白山(三重)との初戦も、その超攻撃的野球が十分に威力を見せつけた。15安打10得点のうち、ホームランが2本、二塁打も2本。かくしてチーム30年ぶり、倉野監督にとっての夏の甲子園初勝利は、10対0というチーム初の甲子園二ケタ得点で成し遂げられた。付け加えれば、バントはゼロである。通常、バント巧者が配される二番打者の西脇大晴によると、「6月に二番に座って以来、バントのサインは1回も出たことがありません」。

 夏は37年ぶりのベスト8がかかる3回戦は敗れたが、ここでもバントはゼロ(むろん、差のついた試合展開もあるのだが)。

「全国的な好投手でも打てるチームをつくっていきたいですね」

 と倉野監督。"油もの"の打撃が、これからもっとヒートアップしていきそうだ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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