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いまさらながら……2017年夏の甲子園、名采配をプレーバック。(その10・花咲徳栄)

楊順行スポーツライター
「望む富士山 われらをいざなう」。校歌のごとく1歩1歩頂点に近づいた花咲徳栄(写真:岡沢克郎/アフロ)

▼第14日 決勝

花咲徳栄 202 064 000=14

広  陵 011 011 000=4

 この試合も、花咲徳栄(埼玉)の先制パンチは強烈だった。初回太刀岡蓮、千丸剛、西川愛也の3連打で、広陵(広島)の先発・平元銀次郎がわずか10球を投じるうちに2点の先制だ。先手必勝。徳栄は以後も中押し、ダメ押しと攻撃の手をゆるめず、埼玉県勢として初めて夏の頂点に立った。

 岩井隆監督はいう。

「相手の強力打線対ウチの投手という図式。ピッチャーがどれだけ抑えるかがポイントでした。綱脇(慧)と清水(達也)が、中村(奨成)君と2回ずつ対戦したとして、それぞれヒット1本ずつならOK、と。また相手ピッチャーがかわすタイプなので、打線は踏み込んで低い打球を打とう、と指示しました」

 野球というゲームは本来は後攻が有利といわれるが、甲子園での徳栄は、6試合ともすべて先攻。これ、先手必勝という思惑どおり。じゃんけんで勝てば先攻を取り、負けたとしても相手は後攻を取る確率が高いから、結果としてすべて先攻だったわけだ。

「埼玉からずっと、先攻ですよ」

 と教えてくれたのはサードを守る高井悠太郎だが、正確を期すと、実力差のある3回戦までの2試合は実は後攻め。ただ、いよいよ正念場となる4回戦から、徳栄は確かにすべて先攻だ。

「まずは先手先手で攻めたい。それと埼玉では3、6回の2度、グラウンド整備があります。先攻ならピッチャーがその間と、さらに自軍の攻撃中に休めますから、それを有効に使わないテはない」(岩井監督)

周到な計算が導いた先制パンチ

 先手先手。先制パンチを成功させるためには、昨夏の甲子園から秋まで一番を打っていた千丸を今春から二番にした。好打者の三番・西川とセットにすることで、得点力が増すというわけだ。代わって一番には、急成長の太刀岡が入る。

 威力を増した先制パンチは、甲子園でも的確に相手を捉えた。開星(島根)との初戦は、1回表に太刀岡が二塁打で出ると、千丸が送ったあと西川が先制適時打。日本航空石川との2回戦も、太刀岡の四球から始まって、高井の二塁打などで初回に5点。前橋育英(群馬)との3回戦も、ヒットで出た千丸を西川が二塁打で還すなど計4点。決勝のこの日を含め、6戦中4戦で初回に先制している。終わってみれば、徳栄がこの大会で相手にリードを許したのは、準決勝(対東海大菅生・西東京)の1〜3回だけ。まさに、先手必勝だ。

 6試合とも9得点以上の優勝というのは、史上初めてだという。チーム打率.351、総得点61は1試合平均10点超だ。そして、スタメンの全員が打点を記録しているように、どこからでも得点できる打線には切れ目がなかった。

 もうひとつ特筆したいのは、ピンチでの粘り強さだ。象徴的なのが、東海大菅生との準決勝である。6対4と2点リードで迎えた9回の守り。1死一、二塁から田中幹也の遊撃への強い打球を、岩瀬誠良が大きくはじく。併殺、ゲームセットでもおかしくなかったが、同点に追いつかれたうえになおも1死二塁とサヨナラ負けのピンチだ。だが……徳栄の守備陣は落ち着いていた。

 ちょっと話はそれるが、3年連続出場の徳栄、過去2年はどういう巡り合わせか、終戦記念日の8月15日、黙とうを行う正午にちょうど試合を行っていた。それをきっかけに一昨年から、大会期間中に時間を見つけて、『ピースおおさか』の見学に出かけている。岩井監督はいう。

「大阪空襲にまつわる展示がさまざまあります。それらを見て、野球ができることは当たり前じゃないとそれぞれがなにかを感じ取ってほしい」

 戦時中はもちろん、戦後の人々が体験した、想像もつかないような耐乏生活の史料もそこにはある。この夏も、雨の順延が1日あり、2回戦は8月15日の予定だった。さらに1日順延して試合は16日になったが、徳栄ナインは今年も『ピースおおさか』を訪れている。高井が、明かしてくれた。

ピンチでの粘りを呼んだものは……

「ピンチでの守備……"もっと苦しい思いをした人がいるんだ"と思えばどうってことない、といってはきれい事すぎます。ですが、あの施設を見学する前よりも、少しはガマン強くなったのは確か」

 かくして菅生戦は、2ホーマーを放っている小玉佳吾を打ち取るなどでサヨナラのピンチを切り抜け(もっといえば10回裏も、1死二塁と一打サヨナラだった)、11回表にその高井の決勝二塁打が出て難敵を振り切っている。

 そして決勝は、14対4の大勝。優勝のお立ち台で、岩井監督がいう。 

「富士登山といっしょ。1球1球が頂上への1歩1歩だと、試合前に話しました」

"望む富士山 われらをいざなう"

 岩井監督の言葉と符合するような花咲徳栄の校歌が、満員のスタンドに大きく響いた。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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