▼第5日第2試合

日本文理 250 000 020=9

鳴門渦潮 002 100 011=5

「左投手対策だけをしてきたのよ」

 9月に76歳となる日本文理(新潟)・大井道夫監督は、つるりとした頭をなでた。鳴門渦潮(徳島)のエースは、左腕の河野成季。徳島大会の大半を投げて3失点、イニング以上の三振を奪う好投手だ。対する文理打線は、四番までの3人を左打者が占める。で、対戦が決まってからは、ベンチ外の左の3投手を相手に、打撃練習を積んだ。フォーム、変化球の曲がり、球が速いなどの特徴は、3人それぞれが仮想・河野だ。

 大井監督自身、1959年の夏に準優勝した宇都宮工(栃木)の左腕エースだったから、左投手のいやがるバッティングは熟知している。左打者の狙いは、逆方向への打球を心がけることと、肩口から入ってくる甘いスライダーを叩くこと。初回、早くもそれが実った。1死一塁から左の三番・川村啓真が捉えたストレートは、左中間スタンドへの先制2ランだ。川村はいう。

「練習で左投手がたくさん投げてくれたので、打つイメージはしっかりとできていました」

 文理打線はその後も、2回途中までで9安打7得点と、河野を早々にKO。そのうち、2回・笠原達也の2ランも含め左打者が全打点をたたき出した。ついでにいえば8回、代打でダメ押し2点打を放った長谷川大も左打者で、結局9対5。文理打線は、この大会限りで勇退する大井監督にまず1勝をプレゼントした。

「とにかく打って、打って。ウチは細かいこと、できないからね」

 と大井監督。なるほど、2回までの7得点は、一塁に走者が出てもバントなどは用いず、いずれも強攻してのもの。むしろ無死一塁から試みた盗塁がアウトになっているくらいで、確かに文理打線、イケイケなのである。準優勝した2009年もそうだった。5試合で、成功したバントはわずか4つ。語りぐさになっている中京大中京との決勝、9回の5得点は2死走者なしからだから、ここもむろん強攻、強攻だ。

 

大井さんと対戦するのが夢なんです

 初戦を突破した文理、次の対戦相手は仙台育英(宮城)。大井監督がいう。

「大会前、早稲田OBの恒例の集まりがあったのよ。この大会に出る早稲田大OBの監督もみんな出席して、私を含めた5人全員が抱負を話したの。そしたら育英の佐々木(順一朗)がさ、"ひとつ勝って大井さんと対戦するのが夢です"なんていってくれてさ。それが実現するんだから、幸せな男です」

 文理と育英には、こんな縁もある。09年。文理は、センバツにも出場した。清峰(長崎)に0対4で敗れたが、剛腕投手・今村猛(現広島)から7安打したことで、選手たちは打力を過信した。だがその後、早稲田大の後輩・佐々木監督率いる仙台育英との練習試合では、自慢の打線が手も足も出なかった。そこから奮起し、1球バッティングなどで集中力を養った結果が、5試合で38得点という夏の甲子園につながる。決勝、9回2死からのドラマは、育英にたたきのめされたことが土台になっていたわけだ。

 気さくな受け答えで取材陣を楽しませる大井監督。育英戦の前も、こんなやりとりがあった。

「昨日はよく眠れましたか」

「やっぱりトシだから、何回かおしっこに起きるよね」

「(爆笑)」

 その、仙台育英戦。打撃戦という予想に反し、しびれるような投手戦になった。文理の稲垣豪人が、1回戦で15得点した育英の打線を内野ゴロの間の1点に抑える。だが文理打線も、育英の左腕・長谷川拓帆から7安打を放ちながら、相手の美技にも阻まれて無得点。結局、17年夏の大会で唯一となる0対1というスコアで敗れることになる。

 勇退が決まっていた大井監督にとっても、これが甲子園での最後の試合(結局、国体まで監督を続けることになる)。大井監督はいう。

「最後の試合を、子どもたちが連れてきてくれた甲子園で終われるなんて、幸せな男。しかもこんないい試合ができて、本当に幸せですよ」

 日本文理を率い、春夏通算14回の甲子園で12勝14敗。新潟勢全体でも通算31勝だから、新潟県民になった大井監督が三分の一以上占めている。新潟の功労者は今後も、総監督として高校野球を見守るつもりだ。