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白肌志向は白人への憧れか?―「色の白きは七難隠す」日本人女性の美白意識をたどる

米澤泉甲南女子大学教授
色白で肌理が細かい陶器肌を求める女性たち。それは白人への憧れに基づいているのか?(写真:アフロ)

美白化粧品は差別的?―ジョンソン・エンド・ジョンソンが発売を中止

 Black Lives Matterを受けて人種差別問題意識が高まりを見せる中、アメリカの医薬品大手であるジョンソン・エンド・ジョンソンが、肌を白くするために使われているシミ消しクリームを販売中止することになった。

 過去数週間にわたって、同社のNeutrogenaやClean&Clearのシミ消しクリームの商品名や訴えている効果が、肌の白さや「自然な肌の色よりも白い方がいい」と強調しているとして議論を呼んだからだという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5dd2393002944f14e816027737765be48022ce67

 本格的な夏を目前に、日本ではコロナ渦にも負けず、美白を謳った美容液、クリーム、日焼け止めなど「美白商戦」のまっただ中だが、今回のジョンソン・エンド・ジョンソンの決定は化粧品業界に波及するのだろうか。「白肌」を求める美白化粧品は差別的、売ってはいけない、買ってはいけないものとなってしまうのだろうか。

 そもそも、日本人女性の「白肌」志向は、白人への憧れに基づいているのだろうか。「美白」の歴史を振り返りながら、考えてみよう。

90年代に高まった美白意識 

 「美白」という言葉はいつ頃から使われるようになったのか。夏でも「美白」、白肌を死守するようになったのはいつからか。

 1966年、前田美波里の「太陽に愛されよう」以来、少なくとも80年代の前半までは、化粧品会社も夏になれば「小麦色の肌」をさかんに推奨していた。松田聖子の「小麦色のマーメイド」が流行したのは、1982年のことである。

 1985年のJAL沖縄キャンペーンガールに選ばれた君島十和子も小麦色の肌を誇示していたが、後にもともとは白い肌だったと述懐している。つまり、当時はわざわざ肌を焼いて小麦色にしていたのだ。夏はリゾート地で日焼けをする方が、カッコいいという意識が浸透していたためである。小麦肌は沖縄やハワイでバカンスを過ごせることの証でもあった。

 ところが、80年代の後半からオゾン層の破壊により地球上に降り注ぐ紫外線の有害性が指摘されるようになると、一転して化粧品会社は紫外線から肌を守る方向にシフトし始めた。紫外線こそがシミやシワ、老化の大敵だとわかったからである。

 サンオイルは日焼け止めに取って代わった。「メラニン生成を抑え、シミ、そばかすを防ぐ」さまざまな有効成分が開発されるようになった。コウジ酸、アルブチンなど美白有効成分を配合した医薬部外品には、「美白化粧品」「ホワイトニング」の名が与えられるようになった。

 このように、各化粧品会社がしのぎを削り、「夏は小麦肌」から「夏でも絶対焼かない」に変わったのが、90年代なのだ。90年代半ばには、一時的にガングロブームなども訪れるが、それは10代からぜいぜい20代前半を中心としたギャル世代の流行に留まっていた。

 「美白の女王」の異名を取った鈴木その子の活躍なども後押しし、90年代の後半には、美白ブームが起こるほど、市民権を得るようになった。

江戸の美人は白肌命

 もちろん、白い肌を求める美意識は、「美白」ブームとともに始まったわけではない。古くは平安時代から白い肌への憧れは存在していた。白い肌の持ち主は、戸外で労働に従事しなくてもいいことを意味する。それは限られた身分の高い人々、つまりは貴族階級への憧れをかき立てたが、実際のところ一般女性が屋内に籠もっているのは難しく、言わばないものねだりであった。

 一般女性が白肌を積極的に求めるようになったのは、江戸時代の後期である。当時の都である京都で出版された日本初の化粧指南書『都風俗化粧伝』(文化10年)には、色を白くするための方法や化粧品がさかんに紹介されている。何と言っても当時は色の白いことが美人の第一条件とされていたからだ。

 『都風俗化粧伝』の冒頭部は、次のようなインパクトのある文章で始まる。

人生まれながらにして三十二相揃いたる美人というのは至って少なきもの也。化粧の仕様、顔の作りようにて、よく美人となさむべし。その中にも色の白きを第一とす。色の白きは七難かくすと、諺にいえり。

出典:佐山半七丸『都風俗化粧伝』平凡社

 生まれながらの美人は少ないが、化粧の仕方、顔の作り方によって美人になれると書いてある。その中でも色の白さが一番重要であり、「色の白きは七難隠す」と言われているように、色が白ければ美人に見えるということである。

 当時求められていたのは、ただ白いだけでなく、肌理が細かく、透明感のある美しい肌である。まるで陶器のような美しい肌。それは現代にも通用する美意識だと言えるだろう。

陶器肌は日本の文化 

 このように見てくると、日本人女性の白肌志向は、1000年前から存在し、江戸時代に火がつき、さらに90年代の美白ブームを経て完成の域に達したと言えるだろう。

 よって、白肌志向は「白人への憧れ」に端を発するというよりも、連綿と続く白肌志向、美肌志向に基づいていると考えた方が腑に落ちるのではないだろうか。日本市場において美白化粧品を差別的とみなし、発売中止にする必要もないというわけだ。

 日本人女性の白肌や美肌へのこだわりは他の追随を許さないものがある。巷に溢れる美容雑誌や美容本を見る限り、それはある意味求道的とも言える。先日亡くなった美容家の佐伯チズさんも「美肌師」を自認していた。世界の美白化粧品市場も日本人女性が牽引していると言っても過言ではなく、白く輝く陶器肌は、日本の文化と言えるのかもしれない。 

甲南女子大学教授

1970年京都生まれ、京都在住。同志社大学文学部卒業。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。甲南女子大学人間科学部文化社会学科教授。専門は女子学(ファッション文化論、化粧文化論など)。扱うテーマは、コスメ、ブランド、雑誌からライフスタイル全般まで幅広い。著書は『おしゃれ嫌いー私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』『「くらし」の時代』『「女子」の誕生』『コスメの時代』『私に萌える女たち』『筋肉女子』など多数。

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