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ヘルタースケルター化する私たち ~平成女子の身体に起こったこととは?~

米澤泉甲南女子大学教授
メス使わず注射一本で気軽にトライできるプチ整形は、もはやエステ感覚だ。(写真:アフロ)

私たちは全身が顔なのです―他者を魅了する身体へ

 平成が始まった頃、まだ私たちの顔や身体は今から考えると「ナチュラル」の範疇に収まっていた。着ていた服は、原色のスーツやワンピースで派手だったけれど、ワンレンの髪はまだ黒く、眉毛も自然に太かった。ボディをコンシャスする手段も、せいぜい「グッドアップブラ」などの下着に頼っていた。カラコンも、マツエクも、プチ整形も、美容医療もそこにはまだ含まれていなかったのである。

 しかし、一方で個性的なファッションで自己表現した80年代もそろそろ過去のものになろうとしていた。もはや着る物で自己表現する時代ではない。リアルクローズが注目されはじめ、何を着るかよりも誰が着るかが重視されるようになりつつあった。抜群のスタイルを誇るスーパーモデルも憧れの存在となっていた。着る物よりも着る者が問われる時代に入ったのである。  

 こうして、外見至上主義社会が到来した。茶髪、ガングロ、目力、プチ整形といった言葉が世間を賑わし、カラーリングされた頭のてっぺんからネイルアートを施したつま先まで、全身が見られる対象になっていく。人々を魅了する美しい身体を作り上げるためなら、整形も厭わない。マンガ家の岡崎京子が、全身整形美女主人公にした『ヘルタースケルター』の連載を開始したのが、1995年のことである。まさに世は、「コスメの時代」が本格的に始まろうとしていた。

 この頃、雑誌『25ans』のカリスマ読者として登場した究極のコスメフリークである叶姉妹は、こう言った。「私たちは全身が顔なのです。」そう、平成の私たちの身体に起こった一つ目の大きな変化は全身が顔になったことである。見られるのは顔だけではない。手を加えれば、すべてが他者を惹き付ける「顔」になるのだ。よって、カラーリングもネイルアートもタトゥーも全身脱毛もすべて平成という時代に一般化した。『ヘルタースケルター』の主人公りりこを彷彿とさせる叶恭子と美香の「完璧」な身体は、これから私たちの身体に現実に起こることを予感させるのに十分だった。

「美人は誰でもなれる」―化粧は自己プロデュースの手段へ

 全身が「顔」になるにつれ、美意識や化粧に対する意識も大きく変化していった。平成の初めはまだ女子高生もそれほど化粧をしていなかったことを思い起こしてほしい。現在ではJS(女子小学生)でもメイクをする時代だが、80年代のオリーブ少女はまだ夏休みにしか化粧をしていなかった。化粧は大人へのパスポートであり、基本的に高校を卒業してからするものだったのだ。

 しかし、制服姿に当たり前のようにメイクをしてしまうコギャルの登場は、化粧に地殻変動をもたらした。ガングロに白い口紅、マジックで描いたかのようなアイラインにマスカラの3本重ねで強調された目力。彼女たちの独特の化粧は身だしなみの範疇を大きく超えただけでなく、モテることや「好感度」を全く無視したものであった。もはや化粧は大人の女性へのパスポートなどではなく、「ウチらの流行りもん」になったのだ。プリクラをカワイく撮りたいから、みんながカワイイっていうから。その美意識は時に常識を大きく逸脱することになるが、コギャルたちは全く気にしなかった。常識よりも仲間内の価値観が大切だったのだ。大人になるのを待つよりも、今を生きることが最優先だったのである。

 そして、コギャルだけでなく、みんなが化粧に夢中になる時代がやってきた。資生堂のピエヌが「メイク魂に火をつけろ」と煽った。スーパーモデルに端を発するモードメイクが大流行し、街にはアムラーが溢れた。化粧していないように見せるナチュラルメイクが賞賛され、美の秘訣を問われた女優やモデルが「何もしていないんです」とすまして答えたのは昭和の話となった。

 『紀香バディ』『十和子塾』『IKKO女の法則』―キレイな人ほど何かをしている。努力している。合言葉は「美は一日にしてならず」である。生まれつき整っている美人よりも努力して美を勝ち取った美人に軍配が上がる。なぜなら、化粧は欠点を隠す手段ではなく、自分自身を魅せる自己プロデュースの手段となったからだ。

 こうして、女性たちは『美人へのレッスン』(斉藤薫)に夢中になった。『an・an』が井川遥を表紙に「美人は誰でもなれる」という特集を組んだのは、2004年のことである。そこでは、「美人になれる!その思い込みが、あなたを輝かせる!」という見出しのもと、次のような文が続く。 

顔立ちや手足の長さなど、生まれ持った資質だけが決めてではありません。

 時代に合ったキレイのポイントをつかめば、誰だって美人になれるのです!

 そんな美人道の第一ステップは「私も絶対なれる」と信じること。ぜひ心して!

出典:(『an・an』2004年10月20日号)

 このように、女性たちを焚きつけたうえで、実際に『an・an』誌上で『美女入門』し、『桃栗三年、美女三十年』、まさに平成の時代に「美人」となった林真理子が太鼓判を押している。

「現代美人の要素は顔だけじゃない。トータルな美が必要なの。」(林真理子)

 平成女子に起こった二つ目の変化は、「美人は誰でもなれる」ようになったことである。ただし、「美は一日にしてならず」であることを忘れてはいけない。美人とは美人道を究めた人に与えられる称号なのである。

ヘルタースケルター化した身体―脱げない顔から着替える「顔」へ

 2012年に蜷川実花は『ヘルタースケルター』を実写化した。その頃になると、私たちの身体はすっかりヘルタースケルターの世界に近づいていた。カラコンやマツエク(まつ毛のエクステ)やジェルネイルは当たり前。どこまでが私の身体でどこからが装着されたモノなのかわからない。大きな目になりたければ、鼻を高くしたければ、あごをすっきりさせたければプチ整形すればいい。アンチエイジングも必須となり、美容医療の名のもとに、身体にさまざまな「治療」を施されるようになった。美魔女、大人女子。とうとう、自分の好きな顔に、自分の好きな年齢になれる時代がやってきたのである。

 岡崎京子が『ヘルタースケルター』を描いていた頃はまだ、芸能界という遠い世界の絵空事で、一般の女子にはリアリティがあまりなかったかもしれない。しかし、時代はその世界に急速に追いついた。ヘルタースケルターの世界が現実のものとなったのである。

 平成も終わりに近づいた頃からは、化粧だけでなく、さまざまなテクノロジーを駆使して、生まれ持った顔や身体を脱ぎ、思うように着替えられるようになった。「ものまねメイク」でざわちんが人気となったのも、そんな理由からだろう。ざわちんがどんな顔をしているかよりも、どんな顔にでもなれることが、評価される世の中だ。 

 そして、今や「コスメアプリ」のお蔭で、私たちは一瞬で「顔」を着替えるのが当たり前となった。写真に写る自分の顔は、初めから編集され、メイクを施されている。少女マンガのようなデカ目、動物顔から変顔まで。毎日私たちは顔を着替え、顔で遊ぶ。

 平成女子の身体に起こった三つ目の変化は、顔で着せ替えができるようになったことである。昭和の顔は人格と固く結びつけられていた。着替えたいと思っても簡単には着替えられなかった。自分の顔を脱ぐことができなかった。しかし、平成の顔はそうではない。全身が顔になり、誰でも美人になり、着せ替えが当たり前になった。すっかり人格から解き放たれた「顔」は、次の時代にどうなっていくのだろうか。ますます奥行きを欠いていくのだろうか。それとも奥行きを取り戻すのだろうか。

甲南女子大学教授

1970年京都生まれ、京都在住。同志社大学文学部卒業。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。甲南女子大学人間科学部文化社会学科教授。専門は女子学(ファッション文化論、化粧文化論など)。扱うテーマは、コスメ、ブランド、雑誌からライフスタイル全般まで幅広い。著書は『おしゃれ嫌いー私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』『「くらし」の時代』『「女子」の誕生』『コスメの時代』『私に萌える女たち』『筋肉女子』など多数。

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