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バブルW浅野からインスタグラマー渡辺直美まで ~ファッションリーダーで振り返る平成という時代~

米澤泉甲南女子大学教授
『VOGUE』のイベントで並ぶスーパーモデル冨永愛と「インスタの女王」渡辺直美(写真:Motoo Naka/アフロ)

 平成もあと数ヶ月。30年という歳月はちょうど一つの時代の区切りとして振り返るのに相応しい。そこで今回は、平成のファッションリーダーを取り上げて、時代を振り返ってみよう。女性たちに支持されたファッションリーダーから見えてくる時代の変化とは。

W浅野とバブルの時代(90年代前半)

 平成の始まりは、バブルのまっただ中であった。ワンレンボディコン。イケイケギャルなどという人種も生息していた時代である。そんな時代に数多くのファッション誌の表紙を飾ったのが、トレンディドラマの女王であるW浅野だ。浅野ゆう子と浅野温子。ともにロングヘアをなびかせ、スレンダーな体型の持ち主であったことから、彼女たちはファッションリーダーとしても大活躍した。

 『JJ』『CanCam』『ViVi』『Ray』赤文字雑誌と呼ばれる好感度を意識した女子大生雑誌も全盛期であった。ゆう子は比較的カジュアルなファッションを担当、温子はまさにバブル的な原色のワンピースやスーツ担当という違いはあったが、女子大生たちはW浅野に憧れ、キャンパスやディスコで長い髪をかき上げたのである。

 当時のW浅野は20代後半。今でいうアラサーであるが、彼女たちの醸し出す雰囲気は十分に「大人の女性」であった。タイトスカートにハイヒール、腰まで届くほどのロングヘア。大人の女の記号がまだ健在だった時代。だからこそ、女子大生たちも背伸びして、それらを身につけたのだ。大人の「いい女」になるために。高学歴、高収入、高身長-「三高」の男性に選ばれるために。成熟はまだ否定されず、少女はやがて大人になり結婚して母になるものと信じられていた。

 もちろん、「大人女子」などいう言葉はまだなく、スニーカーはウェディングドレスにも合わせられるとは考えられていなかった。平成の始まりは、まだきわめて昭和的な価値観のもとにファッションもなりたっていたのである。

スーパーモデルと安室奈美恵(90年代後半) 

 バブルが崩壊した頃から女性たちのお手本になり始めたのがスーパーモデルである。パリやミラノのコレクションでランウェイを歩く世界のトップモデルたち。クラウディア・シーファー、シンディ・クロフォード、ナオミ・キャンベル。今度は抜群のスタイルを誇る彼女たちが女性たちの憧れの存在になったのだ。背景には、シンプルなリアルクローズが流行する中で、何を着るかよりも誰が着るか、どんな「私」が服を着こなすのかということが重視されるようになったことが挙げられる。

 バブル時代から続くボディコンシャスなファッションの流行は、ますます見られる身体を女性たちに意識させるようになった。スーパーモデルのようなカラダになりたい。エステのTBCが「ナオミになろう」と呼びかけたのは96年(平成8年)のことであるが、一時は女性たちもかなり本気だったことがうかがえるだろう。

 とはいえ、『JJ』『ViVi』などに登場する身近なお手本は、梅宮アンナや梨花だった。ハーフやクオーターでありながら、親しみやすい雰囲気を持ち合わせた彼女たちは、言わば和製スーパーモデルとして人気になったのだ。シンプルでありながら、カルソン(現レギンス)などで身体の線を強調するモデル風のファッション「デルカジ」(モデル・カジュアル)が一大勢力となり、「アンナ・カジュアル」などもそこから派生して登場した。

 一方で、90年代半ばと言えば、コギャルが世間を騒がせた時代でもあった。ギャルが低年齢化したことを意味する「コギャル」は、高校生でありながら、「ガングロ」の濃いメイクを施し、ミニ丈の制服にルーズソックス、ブランドバッグを合わせるといった独特のスタイルで注目された。ファッションだけでなく、「チョベリグ」「KY」などのコギャル語や独特のポケベル使いなど話題に事欠かないコギャルの存在は、社会現象としてとらえられるまでになった。

 そんなコギャルとスーパーモデルを掛け合わせたのが、95年(平成7年)にデビューした平成の歌姫安室奈美恵である。細眉・小顔・ミニスカート・厚底ブーツ。安室奈美恵のファッションを真似たアムラーは96年(平成8年)の新語・流行語大賞のトップテンにも入った。安室奈美恵とはコギャル性とモード性を兼ね備えた未だかつてない最強のファッションアイコンだったのである。

 安室奈美恵が登場した平成の前半とは女性にとって、どんな時代だったのだろうか。男女雇用機会均等法も施行され、結婚だけが女の人生の花道ではなくなったものの、その道はまだガラスの天井に覆われていた。女性の生き方の選択肢が増えたとはいえ、目に見えるほどの変化は訪れていなかったのだ。バブル崩壊後の先行きが見えない時代の中で、制服にガングロメイクを施したコギャルたちは、未来を夢見るのではなく、「今、ここ」を刹那的に生きるためにあがいていたのだろう。 (参考記事:安室奈美恵という生き方 ~「この国の新しい女性たち」を導いた25年~)

エビちゃんOLになりたい(2000年代前半)

 しかし、いつまでもコギャルではいられない。ガングロにルーズソックスの季節は去り、コギャルたちもいつしか20代の半ばとなった。そんな彼女たちのお手本となったのが、エビちゃんこと蛯原友里やもえちゃんこと押切もえら『CanCam』のモデルである。

 『CanCam』と言えば、80年代から90年代にかけては『JJ』の後塵を拝していた赤文字雑誌であるが、ここにきて女子大生の枠組みにとらわれず、人気モデルのキャラクターを前面に押し出したことでトップの座に躍り出た。かわいい姫系「エビちゃんOL」クールでカッコいい「優OL」セクシーで華やかな「もえOL」、モデルのキャラクターになりきるためのアイテムとしてファッションが示されたのである。

 私に似合うかどうかや私らしさを追求するよりも、まるでコスプレのように、モデルのキャラクターになりきるために服を買う。雑誌の発売日には各地のデパートに『CanCam』掲載商品、エビちゃん着用のワンピが並び、「バカ売れ」する。やがては、欲しいと思ったその瞬間にケータイで服が買えるシステムが整っていく。

 「服を買うときは試着する」-ショッピングに不可欠であったプロセスがこの頃からしだいに抜け落ちていくようになった。熟慮する間もなく、ケータイのボタン(現在ではスマホ)が押されていく。欲しいものを「今、ここ」で「すぐに」手に入れるということ。それは、彼女たちがコギャル時代から実践してきた行動様式である。待つことを知らないコギャルのように欲しいものに手を伸ばす「エビちゃんOL」や「もえOL」たち。

 たとえ、今はモテワンピやセクシーなドレスを着ていても、その心にはルーズソックスやガングロが宿っている。現に押切もえはコギャルブームを牽引した雑誌の一つである『popteen』の人気読者モデルから『CanCam』の専属モデルになったという経歴の持ち主だ。

 「今日買って明日着るだけ」「買わなきゃヤバい!」「指名買いアイテム」のかけ声のもとに、同じ服が「バカ売れ」する時代。モデルのキャラクターになりきるためのコスプレ衣裳なのだから、同じものが売れても当然なのである。

 「エビちゃんOL」「優OL」「もえOL」日替わりで違うキャラになる、場所によって違う私になる。SNSの台頭とともに、いくつもの私を演じるのが当然の時代が到来しようとしていた。 

「大人女子」の誕生(2000年代後半~)

 一方で21世紀を迎える頃から、ファッション誌では大人の女性が「女子」と呼ばれるようになっていった。30代女子、40代女子、大人女子。2000年代も後半になると彼女たちがファッション誌の主役に躍り出た。とりわけ宝島社のファッション誌は確信犯的に「大人女子」という言葉を使うことで躍進し、赤文字雑誌に対抗する青文字雑誌と呼ばれるまでに成長したのである。

 赤文字雑誌が、常に好感度を意識し、女子大生、OL、専業主婦、というように役割に相応しい女らしさを提示するファッション誌であるとするならば、青文字雑誌は、役割にとらわれず「自分の好きな服を着る」ことを掲げたファッション誌であった。

 『Sweet』『InRed』『GLOW』『otonaMUSE』-世代に合わせた青文字雑誌が次々と創刊され女性たちの支持を得ていった。「28歳、一生女の子宣言!」「好きに生きてこそ、一生女子!」と各雑誌は女性たちを鼓舞し、梨花、平子理沙、吉川ひなのなどが、大人かわいい30代女子を、小泉今日子やYOUなどが自由に生きる40代女子を、それぞれ具現化していった。

 「大人女子」の活躍で、年齢や役割に相応しいファッションという概念は、この頃から消滅し始めた。ミセスにはミセスのファッション、キャリア女性にはキャリアのファッション、母親には母親のファッション、それは「らしさ」という名の役割を女性たちに押しつけていたのである。

 しかし、女性たちは、何歳になろうが、結婚しようが、ママになろうが、好きな服を着るようになった。むしろ、「大人かわいい」「大人女子」という言葉によって、成熟が否定されるようになったのだ。

 

「老化は進化。相変わらず早く大人になりたいって思ってるし、前に進めることがうれしい。」(小泉今日子)

出典:(『GLOW』2013年11月号)

 「人生の大きなメインテーマは、“いつまで現役女子でいけるのか”死ぬまで絶対現役でいたいし、しかも今のスピードのまま駆け抜けていきたい」(蜷川実花)

出典:(蜷川実花『オラオラ女子論』)

 

 かつて、40代は人生の後半戦と考えられていた。しかし、40代女子たちは、高らかに「私たち40代、輝きます宣言!」(『GLOW』創刊号)し、妻、母といった役割にとらわれずに、自らが主役の人生を歩もうとする。二児の母でありながら、自ら「女子」を自認する蜷川実花が、日本を代表する写真家になったのも、「女子」の時代だからこそであろう。

渡辺直美とインスタの女王(2010年代)

 平成の中頃からファッション誌における読者モデルの影響力はますます拡大していたが、後半に入ると、それまでは読者モデルのユニット「JAM」などを輩出してきた『JJ』が「ブロモの時代だ!」(『JJ』2012年2月号)などと言い始める。

 ブロモとは、ブロガーモデルの略で、「リアル」なコーディネートや私生活をブログで発信する女の子たちのことである。より身近な、より等身大のお手本が注目されるようになったのだ。とにかく「今までのモデルとは全然違う!読モでもない!」ブロモは、ネット時代のファッションリーダーとなった。

 そしてこれ以降、SNSの興隆と入れ替わるように、ファッション誌は衰退の一途をたどる。要するに、ブログでいかに魅力的な発信をするかがファッションリーダーの資格となったのだから。そこに、ファッション誌は必要ないのである。当初はまだ、『JJ』にも載ってるあの人、『ViVi』にも出ているあの子、というように権威付けとしての機能があったが、若い女性が雑誌を読まなくなればその役割も終わる。

 いよいよSNSを制する者がファッションリーダーになる時代がやってきたのだ。それに相応しいメディアも登場し、近年はブロガーがインスタグラマーに取って代わった。インスタグラムで影響力のある発信をする人物が、今やファッションリーダーである。

 ファッション誌も悠長にファッションなどを載せている場合ではなくなった。いかにインスタで影響力のある発信をするか。その方法を教えるのがファッション誌の役割になりつつある。『CanCam』も数年前から、魔法の自撮りライトを付録に付け「インスタの女王になりたい」(『CanCam』2017年7月号)女の子たちを後押しすることで、何とか息を吹き返した。

 こうして、平成も終わりに近づくと、普通の女の子が「インスタの女王になりたい」と宣言する時代がやってきた。ファッションリーダーはもはや完全に素人化した。誰もが「インスタの女王になれる」可能性を秘めているこの時代に、憧れられるのは、女優でも歌手でもモデルでも読者モデルでもなく、ますます身近なインスタグラマーである。明日のファッションリーダーは私なのだ。

 そこでは雑誌という権威に認められる必要もない。既成概念にとらわれない「美」を発信することも可能だ。誰もが憧れるカリスマはもういない。大きな流行や規範となる生き方もなくなった。何しろ、いくつになっても「女子」だし、「結婚しなくても幸せになれる時代」である。人々の価値観もライフスタイルも多様化した。そんな時代のファッションリーダーを敢えて挙げるとすれば、やはり「インスタの女王」渡辺直美だろうか。スーパーモデル冨永愛とともにファッション関連のイベントに出演する彼女は、まさに多様化の時代を象徴するファッションリーダーであろう。

甲南女子大学教授

1970年京都生まれ、京都在住。同志社大学文学部卒業。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。甲南女子大学人間科学部文化社会学科教授。専門は女子学(ファッション文化論、化粧文化論など)。扱うテーマは、コスメ、ブランド、雑誌からライフスタイル全般まで幅広い。著書は『おしゃれ嫌いー私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』『「くらし」の時代』『「女子」の誕生』『コスメの時代』『私に萌える女たち』『筋肉女子』など多数。

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