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ブランド好きはママゆずり ~関西ファッションに根付くバブル魂~

米澤泉甲南女子大学教授
ディスコ、ダンスだけでなく、バブルファッションも復活の兆しを見せている。(写真:Fujifotos/アフロ)

ファッションもバブル復活?

 ジュリアナ東京が大阪で復活すると話題になっている。それに先駆けて復活した、祇園マハラジャも盛り上がっているようだ。あれから、四半世紀。平野ノラや登美丘高校ダンス部で火がついたバブルテイストがいよいよ本格的にリバイバルしそうなのだ。

 再来の兆しを見せているのは、ディスコやダンスだけではない。ファッションも、バブルテイストを感じさせるものが、少し前から出回っている。

 ハイブランドのグッチやドルチェ&ガッバーナなども、この流行をリードしている。一目でグッチとわかるダブルGのアイコンが特徴的なGGマーモントシリーズは、バッグを中心に完全復活を遂げている。他にもグッチを象徴する赤や緑を取り入れたレトロな雰囲気の金ボタンスーツやワンピース、ビッグサイズのリボンブローチなど、シックとはほど遠いコレクションが、2015年からクリエイティブ・ディレクターを務めるアレッサンドロ・ミケーレによって展開されているのだ。

 ドルチェ&ガッバーナも同様である。もともとイタリアのシチリア地方を感じさせるカラフルな色使いやヒョウ柄が特徴的なブランドだが、ここ何シーズンかは、それに加えて大胆なロゴをあしらったアイテムやチェーンバッグなど80年代を感じさせるアイテムが目立ってきている。

 いずれにせよ、少し前まで、ファッション界を席巻していたノームコア、ミニマリズム、とはほど遠い。出来る限りシンプルに、さりげなく普通に。過剰さを排除し、装飾性を削ぎ落としていったのが、2010年代以降のファッションであったのだから。

 しかしながら、究極までいきついたシンプルなファッションに対する反動なのか、バブルの過剰さへのノスタルジーなのか、あの時代を感じさせるものが、再び目につくようになってきたのである。

バブルファッションの原点は関西にあり

 一見悪趣味にも思えるような、過剰なファッションがなぜ、再び流行の兆しを見せているのだろうか。シンプルでミニマムなもの、ごく普通のアイテムに行きついたのではなかったのか。これみよがしなゴージャス感こそ、今最も嫌われるものではなかったか。そもそもファッションはもう「ユニクロでよくない?」ではなかったか。

 もちろん、多くの人々にとっては、それが正解であろう。服はもう流行ではない。ファッションに法外なコストや労力をかけることは、ファッショナブルではない。おしゃれはほどほどにして、他のことに時間やお金を使うべきだというのが今の風潮だ。「ていねいなくらし」にひと目でわかるロゴマークやチェーンバッグは無用の長物ではないか。

 とはいえ、この「くらしの時代」でもロゴマークの入ったアイテムやチェーンバッグに嬉々として手を伸ばす人々が存在するのである。バブルを感じさせるファッションの再来に心を躍らせる人々がいるのである。それが、ジュリアナの復活する大阪であり、関西の女性たちである。バブルテイストなファッションの流行を牽引しているのは、ディスコと同じく関西人であり、バブルの復活に関しては、西高東低なのではないだろうか。

 そもそも鮮やかな原色、派手なブランドロゴやマーク、大ぶりのアクセサリー、ヒョウ柄というバブルテイストはすべて、バブル期よりもずっと前から、関西で長年にわたって、愛され続けているものである。むしろ、関西人のファッションを語る際に欠かせない要素であり、女子大生から芦屋マダム、大阪のおばちゃんまで、時にはデフォルメされ、揶揄されながらも、流行に左右されず、生きながらえている独自のファッションセンスと言えるだろう。

 今から40年以上前の1975年に登場したファッション誌『JJ』も、街を闊歩する女性たちの独自の関西ファッションを、次のように描写している。

 大阪のニュートラの特徴は年齢が低く15才ぐらいからニュートラを始めています。スカートも膝下10cmぐらいで色使いも大胆です・・・。靴は他の地域より色数が豊富(スカーレット・ライトブルー・イエロー・ショッキングピンク)で、大胆な色と洋服のコーディネートに適しています。神戸や京都の二つのスタイルが混ざったたいへん自由なふんい気です。

 ほんとにきれいなアクセサリー。よくよく聞いてみると、母親からもらったもの。そんな話にたびたび出会います。よいものを長く大切に、それが神戸ファッションの神髄だからです。だれもがブルーをシティカラーだと言い、鮮やかな色彩が印象的な神戸です。

出典:『JJ』創刊号1975年6月

 

 「大胆な色と洋服のコーディネート」「鮮やかな色彩」それは、「色調も全体的に渋く地味な感じが多いようです」という東京のファッションと対を成している。

 このように、既製服が主流となりグラビアファッション誌が登場し始めた70年代から、関西ファッションと言えば、大胆で鮮やかなバブルテイストとイコールであったのだ。 

『JJ』と関西ファッション

 そんな独特の関西ファッションを世に知らしめてきたのが、今引用した『JJ』である。現在の『JJ』には隆盛を極めたかつての勢いは見られないが、長年の間、女子大生のバイブルとして、キャンパスのファッションをリードしてきた。つい最近まで女子大生と言えば『JJ』。JJガールと言えば女子大生だったのである。 

 その『JJ』が70年代後半から80年代の初めにかけて、全国的に流行らせたのが、ニュートラである。ニュートラッドの略であるニュートラとはいったい、どんなファッションなのか。そもそもはファッション誌『an・an』によって、揶揄的に取り上げられたのが最初と言われている。1975年1月20日号の『an・an』では、「今話題のニュー・トラって何?」と題して、ニュートラの中心地は神戸であること、さらには関西と関東では「なにからなにまで違っている」ことが述べられている。つまり、ニュートラは『an・an』が紹介する、パリや東京発のモードとは違う「ご当地ファッション」ですよ、という位置づけなのだ。

 このようにニュートラに冷ややかな視線を送る『an・an』に対し、『JJ』は創刊号からして「あなたもニュートラをはじめよう」と大特集するほどニュートラ推しである。再び『JJ』創刊号を紐解いてみれば、

 関東のニュートラの中心地が横浜元町。はじめフェリスの学生たちの間で、アイビーより少し大人ぶったスタイルとして流行していったのが始めのよう。フクゾーやミハマなどのブティックが“元町ニュートラ”には欠かせない存在になっています。明るく上品でお嬢さんっぽい感じ、それが特徴です。

出典:『JJ』創刊号1975年6月

とある。しかし、同時期にニュートラは神戸で独自の進化を遂げて定着していたようだ。

 ニュートラは神戸ではごく普通のファッション。どんな小さな店でもニュートラのスタイリングのマネキンがあるほどです。母親と娘さんが一緒に連れ立って買い物しているのをよく見かけるのも、母親がトラッド、娘さんがニュートラの多い神戸では日常です。

出典:『JJ』創刊号1975年6月

 ブラウスにスカート、バックルのついたベルトなどは共通しているものの、『an・an』も言うように、東西ではブランドのチョイスから色使いに至るまで、「なにからなにまで違って」おり、後に、『JJ』によって、横浜のニュートラは「ハマトラ」と名付けられ、神戸のニュートラと区別されることとなった。東のフェリス女学院大学、西の甲南女子大学(本学である)に通う女子大生を読者モデルとして起用することで、「ハマトラ」「ニュートラ」を紹介し、女子大生ファッションを確立していったのである。

 こうして、ハマトラと袂を分かつことになったニュートラは、セリーヌのプリントブラウスにタイトスカート、同じくセリーヌの目立つバックルのついたベルトにルイヴィトンのバッグを合わせるといったバブルテイストを先取りしたような大人っぽく華やかなファッションであった。

 それは、「お母様やおしゃれな先輩達をお手本にしたさりげない服を、奇をてらわずに上品にきこなす」(創刊15周年記念付録『JJ』が創ったファッション&ビューティー15年)ことをモットーとしており、このニュートラこそ、関西ファッションの神髄なのである。

 ニュートラのブームは、80年代の初めで終焉を迎えたが、その後も『JJ』では、若干のテイストの違いはあるものの80年代のエレガンスやお嬢様ファッション、90年代のシャネラー、グッチャー、2000年代前半の可愛ゴー(可愛いゴージャス)と名を変え、関西ファッションを紹介し続けた。そのスタイルは、各時代の華やかで女らしいJJファッションとして、女子大生や若いOLを中心に、全国的に流行したのであった。

ブランド好きはママゆずり-文化資本としてのファッション

 しかしながら、2010年代に入ると、女子大生たちのファッション傾向にも変化が見られるようになった。カジュアル化、シンプル化がますます進み、スニーカーなども視野に入るようになってきたのだ。さすがの『JJ』も、「私に足りてないのは抜け感でした。」(2013年7月号)と気づくこととなり、表紙や特集にスニーカーが登場することも当たり前になった。さらには、『JJ』にもとうとう「ユニクロでよくない?」の波が押し寄せるようになったのだ。「彼ができない・・・を救うヒントは『ユニクロ』にあり!?」(2016年8月号)モテるためにも、ブランドを捨て、ユニクロを着なければならない。そんな時代になったのである。

 このように、全国規模での関西ファッションブームは、完全に終わりを告げた。そもそも、女子大生は雑誌を読まなくなっており、『JJ』をはじめとするファッション誌の影響力は年々低下している。インフルエンサーも読者モデルからインスタグラマーへと移り変わってしまった。

 関西ファッションのブームは過ぎ去ってしまったが、「ご当地ファッション」としての関西ファッションは、今も変わらず健在である。バブル的なセンスはいつの時代も息づいているのだ。

 私は10年以上、甲南女子大学で教員をしているが、この10年間ゼミ生の耳からシャネルのイヤリング(ピアス)が消えることはけしてなかった。もちろん、全員ではないが常に数名は必ず「シャネラー」なのだ。そしてこれからも、一定数の学生は必ずシャネルを身につけるだろう。

 それは、実家暮らしの多い関西の学生にとっては、母から娘へ、いやおばあちゃんからママへそして私へと受け継がれた独自のファッションセンスであり、一種の文化資本であるからだ。それだけに、いくら流行がカジュアル化しても、いくら時代はエコスニーカーと言われても、そんなに簡単には変化しない。

 ファッショントレンド的には、長年続いたシンプルなリアルクローズへの反動としての、敢えての過剰なゴージャスなのであるが、ここ関西においては、まったくブランクを置くことなく、実はグッチャー、シャネラーが生きながらえているのである。東京ならば、一周回ってのグッチやドルガバなのであろうが、関西では、いつの時代も「ママも私も大好きでいつもGUCCIがそばにいる」(『JJ』1998年1月号)のである。

 したがって、バブルファッションの再来を関西が牽引するのは、当然のことと言えるだろう。それは、彼女たちのソウルフードならぬ、ソウルファッションなのだから。

甲南女子大学教授

1970年京都生まれ、京都在住。同志社大学文学部卒業。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。甲南女子大学人間科学部文化社会学科教授。専門は女子学(ファッション文化論、化粧文化論など)。扱うテーマは、コスメ、ブランド、雑誌からライフスタイル全般まで幅広い。著書は『おしゃれ嫌いー私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』『「くらし」の時代』『「女子」の誕生』『コスメの時代』『私に萌える女たち』『筋肉女子』など多数。

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