安室奈美恵という生き方 ~「この国の新しい女性たち」を導いた25年~

2017年、「SHIBUYA109」に掲示された広告(写真:読売新聞/アフロ)

スーパーモデル×コギャル=アムラ-

 この夏、7月から9月にかけて、書店のファッション誌コーナーは安室奈美恵でほぼ埋め尽くされた。ファッションのジャンルや世代を問わず、ありとあらゆるファッション誌が最後のチャンスとばかりに、一斉に彼女を表紙に起用したからである。『ViVi』『mina』などのギャル系はもちろん、『VOGUE』『SPUR』といったモード系から『Sweet』『andGIRL』のようなガーリー系、『With』『MORE』などのOL向け雑誌に至るまで、20代からアラフォー世代までのファッション誌が、それぞれの雑誌に相応しい最後の安室奈美恵像を記憶に焼き付けようとしたのであった。

 それはもちろん、安室奈美恵が唯一無二のアーティストであると同時に、類い稀なファッションアイコンであることを示している。10代でデビューした時から、彼女ほどそのファッションやメイクを取りざたされたアーティストは今までの日本に存在しなかっただろう。何しろ、ソロデビューするや否や、彼女のファッションやメイクをまねたアムラーが街に溢れたのだから。アムラーは96年の新語・流行語大賞トップテンに入るほどの社会現象となった。

 細眉、小顔、ミニスカート、厚底ブーツ。10代の安室奈美恵が大流行させたものはたくさんあるが、そもそも90年代のモードの世界は、どんな状況だったのだろうか。

 当時は、パリやミラノのコレクションでランウェイを歩くトップモデル、通称スーパーモデルが人気を博していた。クラウディア・シファー、リンダ・エヴァンジェリスタ、シンディ・クロフォード、そしてナオミ・キャンベル。完璧な肢体を持つスーパーモデルたちはコレクションで発表されるモードよりも、ホットな流行であり、日本の女の子たちが彼女たちに憧れ、身体改造に励むようになるまでにそれほど時間はかからなかった。

 そんな時に彗星のごとく現れたのが、安室奈美恵だったのだ。日本人離れした小さな顔に弧を描く細眉。すらりと伸びたミニスカートの似合う細い脚。安室奈美恵が小顔ブームに火をつけたとも言われるが、実は、黒人で初めて『VOGUE』の表紙を飾ったナオミ・キャンベルこそ、安室奈美恵の源泉であったと言えるのではないだろうか。ナオミ・キャンベルは90年代の初めから、褐色の肌に美しく整えられた細眉とダークな色の口紅、センターパートのロングヘアで世界中の女性たちを魅了していた。

 おそらく、初期の安室奈美恵もナオミ・キャンベルの影響を受けて、眉を細く整えていったのだろう。同じ細眉のモードメイクもスーパーモデルではなく、安室奈美恵の顔に施されることで、真似しやすい「カワイイ」ものになっていった。コギャルがお手本にしたいスタイルになっていったのだ。

いきなり、「ナオミになろう」と言われても難しいが、「アムロちゃん」になら頑張ればなれるかも。スーパーモデルと日本のコギャルの橋渡しをしたのが、安室奈美恵だったのだ。モードをコギャルにミックスさせたのが、アムラーのスタイルであった。つまり、安室奈美恵とはモード性とコギャル性を兼ね備えた未だかつてない最強のファッションアイコンだったのである。

 それゆえに、コギャルブームと相まって、安室奈美恵はポピュラリティを獲得していった。音楽とファッションを「モード」のレベルで融合させ、表現できた初めての女性アーティスト。そして、彼女のファッションはその後の20年間でいっそう洗練され、安室奈美恵というアーティストを語る際に、欠かせないものとなっていった。

渋谷の若者たち。ミニスカート、厚底ブーツは大きなヒットとなった(写真:Fujifotos/アフロ)
渋谷の若者たち。ミニスカート、厚底ブーツは大きなヒットとなった(写真:Fujifotos/アフロ)

大人になりたくない女の子たちのあがき

 安室奈美恵が登場した90年代とは女性にとって、どんな時代だったのだろうか。

 女性の時代と謳われた80年代を経て、男女雇用機会均等法も施行され、結婚だけが女の人生の花道ではなくなった。社長夫人になるだけでなく、社長になる道も開かれた。ただ、その道はまだガラスの天井に覆われていた。女性の生き方の選択肢が増えたとは言え、まだ目に見えるほどの変化は訪れていなかったのだ。

 バブルが崩壊し、先行きの見えない時代の中で、少女がコギャルと呼ばれるようになり、援助交際が取りざたされるようになった。制服にガングロメイクを施したコギャルたちは未来を夢見るのではなく、「今、ここ」を刹那的に生きるために、もがき、あがいていたのかもしれない。 

 マンガ家の岡崎京子は、89年~90年にかけて連載した『くちびるから散弾銃』という作品で、均等法後の時代を生きる20代半ばの女性たちのガールズトークを「大人になりたくない女の子たちのあがき」として描いている。

このコ達の共通点というのは年齢的には立派な大人の女のくせにココロの中で、「オトナのオンナって、ヤだな」と思っているところです。さらには、「オトナのオンナになりたくないな」と思っている困ったやつらなのです。本当はもう自分たちは十分に「オトナのオンナ」なのに、ね。

彼女たちが(そして私が)ヤなのは、「昔のオトナのオンナ」のモデルであって、そして今げんざい「今のオトナのオンナ」モデルは実は、まだない。登場してない。ない。

出典:(岡崎京子『くちびるから散弾銃』あとがき)

 ここで岡崎京子が言う「昔のオトナのオンナ」モデルとは何だろうか。それは、妻として母として生きること、ある程度の年齢になったら結婚して、出産して母となることを優先する生き方であろう。90年代の初めはまだ、その生き方が主流であった。「女の人生すごろく」のあがりはやはり結婚だったのだ。岡崎京子が言うように、それ以外の生き方、「今のオトナのオンナ」モデルはまだ登場していなかったのだ。

 当時の安室奈美恵が、「オトナのオンナって、ヤだな」と思っていたかどうかは定かではない。ただ、彼女は思いもかけず、20歳で結婚し、すぐに出産することになる。「オトナのオンナ」になる覚悟も、準備もまだ十分に整っていたとは思えない彼女が結婚会見で選んだファッションが、バーバリーブルーレーベルのチェックのミニスカートとロングからばっさりとカットしたボブヘアだった。

 それは、新たな安室奈美恵像を印象づけると同時に、結果的に「今のオトナのオンナ」モデルを生み出す布石となった。会見で彼女が身につけたバーバリーブルーレーベルのミニスカートは、一日で売り切れるほど大流行した。バーバリーブルーレーベルは1996年から2015年まで、三陽商会が日本独自に展開したブランドである。「きょ年の服じゃ、恋もできない」をキャッチフレーズに10代後半から20代前半をターゲットにした、まさにモードとカワイイを融合させたブランドであった。そのブランドを、安室奈美恵は妻になり、母になる決意表明の日の衣裳に選んだのである。それは、妻になっても、母になっても私は変わらない、という意思表示であったように思える。

 そして、その後20年間、安室奈美恵はプロポーションをも含めて、そのスタイルを守り抜いたのであった。

この国の新しい女性たち-「女子」の誕生

 翌1998年に安室奈美恵は男の子を出産し、母となった。1年間の産休を経て復帰した彼女は、いっそう精力的に活動を再開していく。小室哲哉のプロデュースを離れ、アーティストとしても自分のやりたいことを実現していった。もちろん、ミニスカートとロングブーツのイメージを変えることなく、モード性とコギャル性を併せ持ったままで。妻になっても、母になっても、タトゥーを入れることにも積極的だった。

 数年後の2002年には、離婚して、シングルマザーとなった。だからといって、松田聖子のようにがらっとイメージチェンジをして離婚会見を開いたりはしなかった。どんなときも、人生に何が起こっても、彼女は安室奈美恵としての自然体を貫いた。それは、年齢を重ね30代になっても変わらなかった。

 その頃、世間にはようやく今の「オトナのオンナモデル」が登場しようとしていた。今までの女性像、「昔のオトナのオンナモデル」の枠組みに当てはまらない女性たちが現れだしたのである。彼女たちは、30代に突入しても、自らを「女子」と言い始めた。

 21世紀を迎えるころから、ファッション誌を中心に、従来とは異なる意味合いで「女子」という言葉が多用されるようになった。少女ではなく、十分に成熟した女性に対して自称・他称を問わず「女子」という呼称が使われるようになったのだ。いわゆる「女子」が誕生したのである。

 なかでも、『Sweet』『InRED』といった宝島社のファッション誌は「女の子」や「女子」を戦略的に使用し、新しいオトナのオンナモデルを喧伝した。そして、30代になった安室奈美恵はそれらの雑誌の表紙を何度も、何度も飾った。もちろん、安室奈美恵が宝島社の言う、「この国の新しい女性たち」を代表していたからである。

 この国の新しい女性たちは、可憐に、屈強に、理屈抜きに前へ歩く。

 この国の新しい女性たち。別の言い方で「女の子」あるいは「女子」、あるいは「ガールズ」。

 彼女たちのファッションは、もう男性を意識しない。

 彼女たちは、もう男性を見ない。もう、自分を含めた女性しか見ない。

 彼女たちのファッションは、もう欧米などに憧れない。 

 それどころか海外が、自分たちに驚き始めている、でもそのことすら気にもかけない。

 彼女たちはもう、「年齢を捨てなさい」などという言葉など持っていない。

 そんなこととっくに思っている。いや、もうとっくに実現している。

出典:(朝日新聞、日本経済新聞2009年9月24日朝刊 宝島社全面広告より)

 そんなことを、いちはやく、とっくに思って、とっくに実現していたのが、安室奈美恵だろう。年齢不詳のファッション、妻、母といった役割にとらわれずに自分の好きなスタイルを貫く姿勢。それはまさに、安室奈美恵そのものだ。

 その後、「アラサーになっても、仕事ができても、結婚しても、「ガール」な大人たちへ」(『andGIRL』)「ママだけどガールだもん」(『mamagirl』)「ママだって、一生女の子宣言!」(『mamaSweet』)「好きに生きてこそ、一生女子」(『GLOW』)など、「ガール」「女子」を掲げるさまざまなファッション誌が登場し、結婚しようが、母になろうが自分の好きなスタイルを追求することは、当たり前になった。「この国の新しい女性たち」が一般化したのである。岡崎京子が待ち望んだ、新たなオトナのオンナモデルが確立されたのである。

 妻らしさ、母らしさにとらわれずに好きな服を着て、好きに生きる。年齢を重ねても自らのスタイルを変えない安室奈美恵は、ファッションだけでなく、新しい女性の生き方のお手本にもなっていった。   

安室奈美恵という生き方

 そんな女性たちの生き方のお手本でもある安室奈美恵が、不惑を過ぎて、また新たな一歩を踏み出そうとしている。仕事での成功、結婚、出産、美貌、女性が望むすべてを手に入れながらも、それにとらわれず、可憐に、屈強に、理屈抜きに前へ歩く。安室奈美恵は、わかりやすい野心を持ち続けたりはしない。常に、その先の道を見つめている。 

私は自分がトップを走っているとは思っていないんです。

私自身も、常に何かを追いかけているんだと思います。

出典:(『VOGUE』2018年10月号)

 安室奈美恵の前には、いつも「どこへでも続く道がある」のだろう。何かを手に入れたとしても、自らの意志で、手放すことを厭わない。いつでも、身軽になれる。自由になれる。一世代上の女性たちのように、「好きに生きてこそ、一生女子」などと声高に宣言しなくても、安室奈美恵はずっと好きに生きているのだ。

 ドアを閉めて、次のドアを開ける。どこへでも続く道が開ける。それが、安室奈美恵という生き方なのだ。私たちは、音楽とファッションだけでなく、安室奈美恵という生き方にも魅了され、勇気づけられてきた。だからこそ、数多くのファッション誌があらゆる「女子」たちを代表して、最後に餞の言葉を贈ったのだ。「今まで本当に、ありがとう 安室ちゃん大好き!」(『Sweet』2018年10月号)と。

 一生、好きに生きようとする「女子」たちにとって、安室奈美恵は永遠のファッションアイコンとして記憶されるだろう。(文中敬称略)