Yahoo!ニュース

「全国唯一」未知のピリ辛・マナド料理「ブナケンカフェ」が1周年 茨城、働くインドネシア人も集う

米元文秋ジャーナリスト
揚げたカツオにかけられた真っ赤な「リチャリチャ」=米元文秋写す

 インドネシアの「マナド料理」ってご存じ? 同国北スラウェシ州の州都マナド一帯の郷土料理だ。独特のピリ辛の魚料理から洋風スイーツまで、多様な味わいが特徴だが、日本では、なかなか食する機会がない。そんなマナド料理のお店が、茨城県石岡市にある。

 「ブナケンカフェ(BUNAKEN CAFE)」。マナド沖のダイビング名所、ブナケン島にちなんだ店名だ。今月、オープン1周年を迎え、日本人にも、地域で働くインドネシア人にも親しまれている。店主のキキ・シナウランさん(46)は「マナド料理の店は日本中でここだけでは」と話す。

大洗インドネシア人の「家庭の味」

 私がブナケンカフェの話を聞いたのは、石岡市から車で1時間ほどの茨城県大洗町でだ。町内にはインドネシア国籍の住民約400人が暮らす。その多くはマナドや周辺地域の出身者で、マナド料理は「家庭の味」だ。その人々が集う町内のインドネシア人教会の行事で振る舞われることもあるが、コロナ禍で途絶えがちとなっていた。

 ある日、同町周辺のサツマイモ畑で働くインドネシア人の取材をしていて昼食をすっぽかしてしまった。迷わず車で同店に向かった。午後2時半ごろ到着。2階建て店舗の周りには「GADO GADO(ガドガド=温野菜のピーナツソースあえ)」などと書かれた、のぼりがはためいている。バリ風の笠や石像が並び、一見、普通のインドネシア料理店に見える。

「リチャリチャ」唇がタラコに

 この時刻、客は私だけだった。「マナド料理はありますか」。料理人ウトゥットさん(50)が「CAKALANG SOUS(チャカランソース)」を薦めた。メニューには「揚げたカツオをスパイスソースで」とある。

 香ばしい熱々の料理が運ばれてきた。カツオには真っ赤なソースがかかっている。「リチャリチャ」だ。トウガラシやレモングラスで作った、マナドのソウルフードだ。

 人口2億7000万、300の民族・種族が暮らすとされるインドネシアには、多彩な郷土料理がある。スマトラ島のパダンやアチェの料理もスパイシーだ。しかし本場のリチャリチャの辛さは別格だ。口に突き刺さるような辛さ。唇がタラコ状に腫れていく感じがする。

 カツオは、日本とインドネシア、マナドの縁を結ぶ魚でもある。戦前、かつお節製造などにかかわった日本人がマナド周辺に移民した。その人々や日本軍人らの子孫が、今度は日系人として大洗町に移り住み、水産加工業などの地場産業を担っている。

ブナケンカフェの看板=米元文秋写す
ブナケンカフェの看板=米元文秋写す

食材、エネルギー源も

 ブナケンカフェのメニューは辛いマナド料理だけではなく、サテカンビン(ヤギ肉の串焼き)、オポールアヤム(鶏肉のココナツスープ)、「お子様メニュー」のミーバソ(肉団子ラーメン)などのインドネシア各地の定番料理、オンデオンデ(団子)などのスイーツ、アボカドジュースやビンタンビールといった飲み物も含め、計約100種類に及ぶ。

 店の看板には、イスラム教徒も食べてよいとされる「HALAL(ハラル)」の掲示がある。

 料理とは別に、冷凍のテンペ(大豆から作られた発酵食品)、ドリアン味のウエハース、テーボトル(ボトル入りティー)などのインドネシアの食材、スナック、飲料も販売されている。かゆみ止めなどに使われる「カユプティ」油や、エネルギーが付く「エクストラジョス」「ククビマ」も手に入る。

 長居したくなったが、夕方には水戸市内で取材予定があった。「仕事が終わったら、またおいで。今夜は店のオープン1周年を記念してカトリックのミサがあるんだ」と、ウトゥットさんが教えてくれた。

店内ミサ、同郷の友と語り合う夜

 午後8時半すぎ、店に戻ると雰囲気は一転していた。仕事を終えた労働者ら、インドネシア人数十人が続々と詰め掛けた。大洗町のプロテスタント教会の牧師も、宗派を超えて集っている。駐車場では、男性たちが「キリ、カナン(左、右)」などと声を掛けて車を誘導し、ぴったり詰めて止めていく。まるでインドネシアの街角だ。

 ミサの締めくくりに、店主のキキさんが、黄色いご飯を円錐形に盛った「トゥンペン」をカトリックの司祭らによそった。テーブルには、肉や魚の大皿や、スープが並べられ、振る舞われた。ここでも赤いリチャリチャが大活躍だ。参列者の女性が持ってきた手作りプリンが、ピリ辛料理の後の口に優しい。近況を語り合う。ミサの主会場だった部屋ではカラオケも始まった。

 高校生の息子と一緒に来場した日系人の女性(44)は来日17年。「月に1度ぐらいこの店に来ています。みんなおいしい。家でもマナド料理を食べるけれど、やっぱり違います」と、故郷の本格料理を楽しんだ。将来もずっと日本で暮らし続けたいか聞くと「息子次第です」と答えた。息子は「日本とインドネシアの間を行き来するような仕事がしたい」と夢を語った。

 大洗町の女性、ユニタさん(34)は特定技能の在留資格で働く。「仕事は楽しい」と微笑む。逆に楽しくないことは何かと尋ねると「家族が遠くにいること。子供が恋しい」と話した。特定技能の外国人の大半(1号)には、現段階では家族帯同の権利がない。

お祝いの黄色いご飯を食べる店主キキさん(右から2人目)ら=米元文秋写す
お祝いの黄色いご飯を食べる店主キキさん(右から2人目)ら=米元文秋写す

大使も来店

 店主キキさんもマナド出身。「日本では、マナド料理の店はここだけでは。ジャワ料理もメニューにあるけれど、マナド料理を最も大切にしています」と話す。「この1年、コロナで大変でしたが、友だちが応援してくれました。店内で食事提供が難しい時期はテイクアウトでしのぎました」

 「平日の昼は日本人が多い。休日はインドネシア人も来ます。夜はインドネシア人が多い。インドネシアに行ったことのある日本人も、味見に来てくれます」

 「インドネシア人のお客さんは、マナド人とジャワ人が半々ぐらい」。地元石岡市だけでなく、大洗町、鉾田市、茨城町、鹿嶋市、つくば市、土浦市など茨城県内各地から来店するという。「オープンしたときには、この辺にこんなにたくさんインドネシア人がいるとは知らなかった。開けてびっくり」

 茨城県はインドネシア人の人口が愛知県、東京都に次いで全国で3番目に多く、政府統計によると、昨年12月末現在で4204人に上る。

 東京からもお客さんが来る。ことし6月30日には、大洗町訪問に向かう途中のインドネシアのヘリ・アフマディ駐日大使が立ち寄り、町内のインドネシア人と懇談した。

日本人妻と歩む店主の夢

 「日本人の妻(36)はインドネシア料理が好きだ。東京や群馬、横浜のレストランに出掛けていた。だったら、自分たちで店を開こうと思い立った」

 キキさんは約20年前に来日、大洗町で暮らし、水産加工や建物解体の会社で働いていた。町内で開かれたイベントで、インドネシア人の友人と一緒に来ていた妻と、出会ったという。「コロナ以前は年に1回、一緒にインドネシアに旅行していました。マナドでは必ずブナケン島に行き、ダイビングも楽しみました」

 日本に住むインドネシア人でビジネスを始める人は、まだ多くない。キキさんは「私は会社で働くよりも、自分で仕事をしたいと考えた。うまくいけば、支店も開きたい」と将来構想を語る。

【ブナケンカフェ所在地】

茨城県石岡市鹿の子2-1-7

【参考書籍】

「かつお節と日本人」(宮内泰介、藤林泰)=岩波新書

【筆者の最近の記事から】

ジャーナリスト

インドネシアや日本を徘徊する記者。共同通信のベオグラード、ジャカルタ、シンガポールの各特派員として、旧ユーゴスラビアやアルバニア、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどを担当。こだわってきたテーマは民族・宗教問題。コソボやアチェの独立紛争など、衝突の現場を歩いてきた。アジア取材に集中すべく独立。あと20数年でGDPが日本を抜き去るとも予想される近未来大国インドネシアを軸に、東南アジア島嶼部の国々をウォッチする。日本人の視野から外れがちな「もう一つのアジア」のざわめきを伝えたい。

米元文秋の最近の記事