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客は途絶えないけど「夜は地獄」 キャバクラ全国一多い沖縄、ホステスが明かす苦境

與那覇里子沖縄タイムス デジタル編集委員
沖縄県独自の緊急事態宣言後、閑散とした那覇市松山=8月5日、筆者撮影

 沖縄で、新型コロナウイルス感染者の増加が止まらない。8月5日までに累計感染者数は714人で700人を超えた。沖縄県によると7月28日から8月3日の一週間で新規感染者数は人口10万人当たり23・61人で、4日連続で全国最多を更新。2番目の東京都の16・94人との差も広がる。クラスター(感染者集団)は病院やコールセンター、保育所で次々に発生。その中でも特に大きなクラスターとなったのが、沖縄一の繁華街、那覇市の「松山」地域だ。

スナック、キャバクラ店舗数は人口10万人当たり全国一

 沖縄は、スナックやキャバクラなど「風俗1号営業」店舗数が東京、福岡に次いで全国3番目に多い。

 そして、人口10万人当たりでは283店舗で、2位の鹿児島の128店舗の倍以上飛び抜けて、全国一だ。(全国防犯協会連合会の2019年12月末現在のデータを基に、筆者が算出した。)

 必然的に、そこで働く人たちも多い。

「風俗1号営業」店舗数(筆者作成)
「風俗1号営業」店舗数(筆者作成)

 国が最初に緊急事態宣言を出した4月11日から、沖縄の多くのスナックやキャバクラなどが営業を自粛。沖縄は5月21日に休業要請が終了し、徐々に店が再開していったものの、7月28日、松山でクラスターが発生した。

 観光で沖縄に来た千葉県の50代無職男性の感染が27日に分かり、その濃厚接触者として、東京都の自営業の40代と50代男性、千葉県の40代、那覇市の30代、名護市の50代の計5人が感染していた。全員が松山の店を客として利用したという。

 そして、沖縄で7月に確認された感染者253人中、松山周辺が47人を占めた。

 玉城デニー知事は7月30日、記者会見で松山地域のスナックやキャバレー、ナイトクラブに8月1日から15日までの休業を要請。協力事業者には協力金20万円を支払うことも明らかにした。

客の半数は沖縄県外から 感染しないか不安な毎日

 夜の街で働く場所がなくなった人はどのように過ごしているのか。

 沖縄で生まれ育ち、大学在学中から夜の街で働き始めて今年で17年目。今も松山で働くホステスの美鈴さん(36)が、休業から今後の見通しについて話してくれた。

 インタビューは、国の緊急事態宣言が解除された5月21日と、沖縄県独自の緊急事態宣言が出された後の8月4日にさせてもらった。

美鈴さん
美鈴さん

 ことし1月から従業員の間で、新型コロナは話題になっていました。感染力が強いから怖いし危ないねって。沖縄は観光立県だから、クルーズ船も那覇のターミナルに世界中から入ってきて、観光客も多くて、感染者はいっぱい出そうだなと思っていました。

 3月に入って、沖縄もだんだん感染者が増えてました。でも、一緒にお酒を飲む仕事で、マスクをしてはやれない。感染する可能性も高い。

 お客さんの半分は、沖縄県外からの出張者です。沖縄では、東京に出張に行った人が感染したり、本土から来た人と接触して感染したりしていたころで、自分でできることは、出勤を減らすことしかありませんでした。

 週4日の出勤を3日に変えることから始めました。レギュラー(週に4~6日出勤するキャストのこと)として働いているので、簡単に休めないし、生活もあるから、一気に減らすことは難しかったです。ただ、出勤を減らしている女の子が、私以外にも出てきていました。

 

 4月1日のVIPルームでの接客は、東京からの出張者でした。怖いなと思いつつ、「俺は感染者じゃないから大丈夫だよ」と酔った客が鼻にかみついてきたんです。「濃厚接触・・・うわ、私もコロナに感染したかもしれない」と思いました。

減っていく貯金、久々の昼職

 出勤の日を抑えながら過ごしていたんですけど、4月11日に緊急事態宣言が出て、店は休業することになりました。新型コロナに感染するリスクがなくなったことは安心したけど、生活の心配をしなければならなくなった。

 収入がなくても、家賃、生活費は減っていきます。

 貯金を取り崩しても、入ってくるお金がないのに、減っていく残高に、メンタルが苦しくなっていきました。先が見通せない不安もあるから、「やばい」。マスクをしてでも働かないと焦りが一気にきました。パソコンが得意で、家に居てもやれる仕事ができればいいけど、そんな技術はないから。働けるところを探しました。

 オンライン面接をして、契約社員としてコールセンターで働けることになりました。今までも、昼間も時々働いていたけど、久しぶりの昼の仕事は、それはそれで大変です。

 全国的に外出自粛の影響もあるのか、みんながイライラしているように感じられました。夜の仕事のお客さんは、楽しむために来ているから、怒る人もほとんどいない。夜の方がにこやかだったなと思い返したりしました。

夜1本の女性が特に厳しい

 私は早めに動いて昼間の仕事に就けたけど、私のように夜の仕事をした人が殺到したのか、後輩たちは昼の面接にみんな落ちて、働くことができずに過ごしていました。

 松山で働く女性は、昼と夜の掛け持ちが半々くらい。子どもを抱えて働いているシングルマザーの人は、子どもとの時間を確保するためにも、夜1本が多いのかな。夜1本で働いている人が、今、特に厳しいです。

 貯金がある人は取り崩せるけど、貯金がない仲間は大変な状況。見通しもない。

 休業、減収になった人が最大20万円借りられる「緊急小口資金」の手続きの仕方を、店側が説明会を開いてくれているのが現状です。

緊急事態宣言が明けた那覇市松山の様子。少し人が戻っている=5月23日午後10時ごろ、筆者撮影
緊急事態宣言が明けた那覇市松山の様子。少し人が戻っている=5月23日午後10時ごろ、筆者撮影

 21日から、お店が再開しました。マスクをしないで道を歩いている人はいない。でも、マスクをしたままの接客はできない。でも、仲間に会いたいから、早く出勤したい。でも、年老いた母と同居しているので、家族に移すリスクもある。本当に複雑。

 ただ、派遣の契約は今月いっぱい。来月から夜に戻るつもりですが、復帰したとしても、また第二波がやってくると思います。

 今、本当に苦しい毎日です。

閉店した店から他店に移るホステス

 派遣の契約が終わって、6月1日に夜のお店に復帰しました。

 ただ、コロナが収まっているわけじゃないから、多少は警戒しながら、母と生活していけるギリギリの週3日の勤務に抑えました。

 復帰して驚いたことの一つは、派遣で働いている間に閉めたお店も何軒かあって、そこから流れてきた新人の女の子が10人ほど増えていたことです。

 もう一つは、まだ渡航自粛の期間中でしたけど、お客さんが絶えなかったことです。暇な日は暇でしたけど、丸一日、暇というワケじゃなくて、本土からの団体のお客さんが来てくれていました。お客さんの割合は大体、本土8割、沖縄県内2割でした。

 お客さんに「内地から来てるからやっぱり怖い?」と聞かれても、「大丈夫だよ」ってしか言えません。

 お店は、入り口に消毒液、おしぼりが置かれて対策はされてました。女の子の待機の時にもハンドジェルが置かれていました。

 ただ、私の隣にお客さんは座りますが、さすがにマスクもフェイスシールドもできません。お客さんはマスクしてもいいけど、やっぱりお酒が飲みにくいので全員外します。ドキドキしながらの接客が続きました。

 そして、7月22日にGoToトラベルキャンペーンが始まって「沖縄、終わったな」と思いながら接客を続けました。そして、東京から慰安旅行の団体が入ってくるようになった矢先、松山でのクラスターが発生しました。

「夜は地獄」

 先週は7月27日(月)、30(木)、8月1日(土)で出勤予定でしたが、30日は、クラスターが発生していたこともあって、休ませてもらいました。女の子からの当日欠勤は罰金があるんですけど、私には家族もいるので、うつしたらと思うと怖くて。

 8月2日、那覇市が松山で働く人たちに集団のPCR検査をするというので、密を避けるために朝一で那覇港に行きました。

8月2日、PCR検査を受ける人たち=那覇港(美鈴さん提供)
8月2日、PCR検査を受ける人たち=那覇港(美鈴さん提供)

 私は、知り合い3人が感染してるんです。松山で働いているバーの人、国際通りの飲食店の経営者、もう一人は重症化してしまって入院しています。

 いまのところ、国の接触確認アプリで「陽性者との接触は確認されませんでした」と表示されるので、接客したお客さんも知り合いも運良く感染してないんだなと思います。ごはんもおいしくて、味覚も嗅覚も大丈夫。

 ただ、問題は、今回の営業自粛は2週間ほどですけど、前回の緊急事態宣言と違うのは、自粛が終わっても感染のリスクが収まってない可能性があることです。前回とレベルが違うように思います。

 それに、経済的なことも大きい。15日になってすぐに出勤していいのか考えどころでもありますが、前回の緊急事態宣言で貯金を取り崩したのでほとんどお金が残っていないんです。もっと貯金しておけばよかったけれど、まさかこんなことになると思っていません。

 補償ももらいにくい職業です。店側に「休業手当もらえるんですか」と聞いたら「雇用調整助成金はもらう方向じゃなく、もらいにくい業種だから。仕方ないなぁ。」の一言で終わって、今のところ、もらったのは、特別給付金の10万円だけです。

 でも、もう持ちません。夜は地獄。給付金のことを調べて、新型コロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金を申請することにしました。昨日、PDFファイルをプリントアウトしたので、それを送ってみようかな。そしたらお昼の仕事を探そうと思っています。

沖縄タイムス デジタル編集委員

1982年那覇市生まれ。2007年沖縄タイムス社入社。こども新聞、社会部(環境、教育などを担当)を経て2014年から現職。2015年、GIS沖縄研究室研究室、首都大学東京渡邉英徳研究室と共同制作した「沖縄戦デジタルアーカイブ」が文化庁メディア芸術祭入選など。 2019年3月、首都大学東京システムデザイン研究科卒業。大学在学中から、若者文化を研究し、著書に2008年「若者文化をどうみるか」(アドバンテージサーバー)編著など。

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