ドラマ「半沢直樹」にみる日本人のゆゆしき時代錯誤

半沢直樹が左遷される予定だったフィリピン・マニラの市街地

このテレビ離れが叫ばれる時代に30%超という高視聴率を叩きだしている人気ドラマ「半沢直樹」。ご多分にもれず、僕もそれを毎週楽しみに観ている一人である。

このドラマ人気の理由は、大手銀行に勤める主人公が、自身の担当した5億円の融資案件の焦げ付きという責任を負わされ、東南アジア(フィリピン・マニラ)の関連会社に左遷されてしまうかもしれない、というような毎回ドキドキするようなストーリー展開にある。

なんとかアジアの未開の国行きを阻止すべく、本来、当該案件で責任を取るべき上役の支店長の謀略を暴こうとする主人公の姿に、視聴者が自分の会社で経験している理不尽な上司からの指示や責任の押し付けなどを重ね、視聴者自身が現実の世界で溜めこんでいるの鬱憤を主人公がスカッとはらしてくれる感じがして、多くの人たちからの共感を得ているのだろう。

しかし、である。なんだか日本人ウケしそうな大河ドラマか水戸黄門的なお決まりストーリーであるといえば割り切れるものであるかもしれないが、今回のこのストーリーはどうにも現実離れしているというか、今のビジネス環境を考えると、僕的にはとても不思議に思えるのである。

というのも、まずもって、もし不当に不遇な扱いを受けて左遷されるのであれば、「はいそうですか、他に選択肢がないのでなされるがままになります。どこにでも行きます」という時代ではないのではないだろうか。

そんなことであれば、さっさと転職先を探したらいいんじゃないかとさえ思う。もっとも、このドラマの主人公のいきさつから考えると、この銀行に勤めあげることで幼少のころからの家族の問題を解決したいという意志もあるのかもしれないが、だったら片道切符の関連会社行きという左遷を喰らってはもう会社に残る意味がないのである。

一方、「いやー、そうだよなー、わかるわかる!」と共感してこのドラマを観ている人が多く、それがこの高視聴率のゆえんだとすると、それはそれで残念だな、と思う。このご時世、人材マーケットで売れないような低付加価値ビジネスマンが大半を占めているようでは困ったものである。

さらに、上記のシナリオの設定がどうかと思ったのは、この左遷の行き先がフィリピンのマニラであること。確か左遷先はメーカーだったかと思うが、このメガバンクが出資しているメーカーの海外法人の駐在員様(しかも銀行から下りてきた人)のフィリピンでの待遇といえば、主人公が関西で暮らしている社宅の団地より段違いでリッチでセレブな生活環境なのである。

日本人駐在員に人気があるフィリピン・マニラの住宅地エリア
日本人駐在員に人気があるフィリピン・マニラの住宅地エリア

多くの視聴者が「あ、なんか東南アジアの高温多湿のジャングルかどっかにあるオフィスで、その辺でアメーバ赤痢なんかが流行ってそうな・・・嫌だな~確かに」と思ったのであろうか。それはそれでやっぱりゆゆしき時代錯誤なのである。

マニラにはどれほどの高層ビル群があって、アジアで最も経済成長が期待されている都市で、多くの大手企業の駐在員の家には当然メイドさんがいて、自宅と会社の移動では運転手付きの社用車で送迎されて・・・が真実なのである。

この高視聴率ドラマを観ながら、そんなことに想いを馳せているわけだが、この日本社会ではまだまだ会社に縛りつけられている人が大多数なのだろうか。(ひょっとしたらしがみついている人も多いかもしれないが。)

もっと自身の才能を磨き、フリーな人材マーケットで勝負できるような環境にならないものか、と。

アジアの他国であるようなジョブホッピング(より待遇条件のいい会社に何度も転職を繰り返すこと)が起こる環境が必ずしもいいとは言い切れないが、日本以外の国々では実力勝負の世界があり、転職することが必ずしもネガティブ要因にはならない。

そして、働くことは日本だけだと思っている人も多い。アジアでは日本がナンバーワンで今後もそれが続いていくと思っている人も多い。

もはや、時代は新しい開国の時代へ向かっている。

その昔、薩長戦争なんて言っていた頃は、薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)でイデオロギー対立していたわけだが、今となっては笑い話みたいなもの。日韓や日中で領土権争いしていることも、数十年後の未来では笑い話になっているかもしれない。

薩長の時代に、江戸に出て仕事を探すなんてことは一般人にとっては夢のまた夢みたいな世界だったが、いまでは当たり前。であれば、仕事をするのに、シンガポールだろうがマニラだろうが、香港だろうが、国や国籍を問わない時代へ突入しても不思議ではない。

「ちょんまげ」から「ざんぎり頭」に変わった時も、もう「ちょんまげ」は完全時代遅れになったわけだが、そこにはその変化の一瞬があったはず。

だとすると、このグローバル化という時代の切り替わりのタイミングについて、いま多くの人たちが実感がないかもしれないが、実はいますぐそこに来ているのかもしれない。

「半沢直樹」に共感して、一喜一憂している場合ではない。