アジア在住日本人草サッカーチーム王者決定戦「J-ASIA CUP」に行ってきました!

マレーシアでボールを追いかける400人のSAMURAIたち

2012年8月、日本サッカー界の聖地にまた新たな伝説が生まれました。

その聖地とは、マレーシアのジョホールバルという街。

マレー半島の先っぽ、シンガポールとの国境に接したこの小さな街が日本人にとって有名、いや、日本のサッカーファンにとって有名なのには理由があります。

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さかのぼること15年前。1997年に行われていたフランスW杯最終予選。同組最大のライバル韓国に首位の座を奪われていた日本代表はグループ2位同士のアジア第3代表決定戦(プレーオフ)にまわっていました。対する相手国はイラン。

そのイラン代表との歴史的一戦が行われたのが、ここマレーシアのジョホールバルです。

延長戦から投入されたスーパーサブ、岡野雅行が決めたVゴール(ゴールデンゴール)により劇的な勝利を飾った日本代表は、後に「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれるこの一戦の勝利により、日本サッカー史上はじめてW杯への出場の切符を手にしたのです。

さて、話を戻しますが、その聖地ジョホールバルにまた新たな伝説とは?

そう、タイトルにも書きましたが、この場所で、「アジア在住日本人草サッカーチーム王者決定戦 J-ASIA CUP」という大会が開催されたのです。

アジアの各都市、いや、世界各地に住み、現地で暮らしている日本人は少なくありません。統計的には100万人以上の日本人が海外に暮らしていると言われています。つまり日本人の約100人に一人は海外在住者ということになります。これを意外ととるか否や。

(ちなみに中国(華僑)は5000万人を超えています、人口わずかに4800万人の韓国でも700万人の韓国人が世界に住んでいます。)

そんな各国、各都市で暮らす日本人たちは、往々にして各地で日本人サッカークラブを作ってボールを蹴っています。僕自身、世界中を周った「世界一蹴の旅」でもアメリカ、中国、メキシコ、タイなどで現地のチームに混ぜてもらってプレーした経験があります。

この「J-ASIA CUP」では、アジア各都市で活動するそんなサッカークラブが、一つの都市に集まり、1日かけて試合を行い、チャンピオンを決定します。

早朝に行われた開会式後の集合写真
早朝に行われた開会式後の集合写真

今年はなんと16都市から16チームが参加。

各チーム出場登録メンバーの数にバラつきはあるものの、平均して20名近い選手が出場。家族も同伴で来る場合もありますので、1チーム平均約25名くらいが、各々の都市からジョホールに駆けつけます。

つまり約400人にものぼる日本人「サッカー馬鹿」(※この呼称には尊敬の念が入っています)たちとそのご家族が、金曜日の夜にジョホールバルという直行便すらないこの都市に集結し、土曜日1日かけてプレーをし、夜は400名の大宴会で親睦を深め、翌日曜日にまた各都市へ散っていくのです。

こんなステキな大会が実は1997年から毎年行われていまして、今年で16回目となっています。

僕は以前、中国の大連という街に暮らしていたことから、華北チーム(北京と大連の連合チーム)に所属しました。

僕自身は日本から駆けつけたのですが、大連にいるメンバーたちは、大連から上海に飛行機で移動し、そこで乗り継いでシンガポールへ。そこから陸路でジョホールへ。上海の乗り継ぎで遅延となってしまったメンバーは、片道15時間かけての大移動となってしまった。

おそらくどのプロサッカー選手よりも過酷な移動をしています。(笑)

※ちなみにその方は、試合開始1分で肉離れを発症し、15時間の大移動が水の泡となりました。

また、大会のレギュレーションが面白く、大会の最下位となると、翌年のJ-ASIAのホスト国を務めないとなりません。

基本的にみんなビジネスマンたちですから、海外での過酷な日々の仕事に加え、この400人が参加する国際ビッグイベントの準備や当日の運営をするのは相当な罰ゲーム。

みな、優勝を目的にはしながらも、実は「最下位でなければ・・・」という想いの方が強いのがこの大会の特徴です。

ところが、僕が参加した我が華北チーム。

大連ベースの1チームと北京ベースの2チームによる合計3チームの連合だったためか、チームワークがないままに、ずるずると敗戦を続けることに・・・。

ちなみにこの全16チームが1日で雌雄を決するわけで、1日かけて全6試合(15分ハーフ)、合計180分を戦い抜かなければなりません。

写真では笑顔を保っているのですが・・・
写真では笑顔を保っているのですが・・・

しかし、我が華北チーム。

元々14名しかいない少数精鋭(?)だったのにも関わらず、前述したように第1試合開始1分でひとりリタイア。

常にベンチに2名しかいない13名のみで180分を戦うことになってしまいました。

野戦病院状態と化した、華北チーム。

僕も両足釣ったままキックオフを迎えた試合もありました。

その結果、見事、最下位決定戦まで進出。

しかもその全5試合で得点ゼロ。

全試合FWとして出場してる僕としては責任を感じざるを得ません。

最終最下位決定戦。対戦相手はフィリピンのマニラチーム。

もうどうにも足が動かないまま、キックオフ。

そして前半だけで0-2のビハインド。

165分やって無得点のチームが、あと15分でどうやって2得点以上あげれるのでしょうか。

終わってみれば、PKにより待望の1得点をゲットしたものの、直後にトドメを刺され、終わってみれば1-3の敗戦。

そして、最下位決定。

そして、来年の幹事国決定。。。

約300人もの日本人サッカー馬鹿が、聖地マレーシア・ジョホールバルの灼熱の太陽のもとでボールを追いかけた1日が終わります。

夜はホテルのボールルームを貸し切っての、表彰式と大宴会。

大宴会では1チームずつ壇上で表彰されていきます

各チームの順位発表と共に、各チームのMVPが表彰され、壇上にあがります。

そして、180分ノーゴールのA級戦犯FWの僕がなぜかチームMVPに。。

最後は、最下位チームとして来年のホスト国としての幹事を任されることが会場中に周知され、この1日の国際ビッグイベントが幕を閉じました。

さて、おそらく来年の夏ごろ。

中国は北京にて、同様の大会が行われているでしょう。

その頃、日本サッカー界は、日本代表チームがブラジルW杯の出場を決めて盛り上がってるころでしょうか。

日本国内だけでなく、アジア各地の草の根でボールを蹴っ飛ばしているSAMURAI日本人たちが、ビジネスマンたちが、その家族たちが世界に住み、世界と戦い、世界を楽しんでいます。

一般にはあまり知られていませんが、この「J-ASIA CUP」という大会ではその一端を垣間見た気がします。

さて、来年の今頃は中国と日本の関係も修復し、無事に大会が開催されることを願っています。

僕も幹事のひとりなので他人事ではないのですが・・・・。