Yahoo!ニュース

2019年のセーブ王 ロベルト・オスナが千葉ロッテへ入団。MLBのタイトルホルダーは日本で活躍する?

横尾弘一野球ジャーナリスト
セーブ王に輝いたヒューストン・アストロズ時代のロベルト・オスナ。(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 千葉ロッテはメキシコ人リリーバーのロベルト・オスナとの契約を6月9日に発表し、10日には背番号42のユニフォームを着て入団会見が行なわれた。

「準備はできている。MLBでもイチローや大谷翔平と対戦した。彼らのバッティングを通して日本のレベルの高さを感じている」

 そう笑顔で語ったオスナは、昨年はメキシカン・リーグのメキシコシティ・レッドデビルズに所属したが、2019年にはヒューストン・アストロズのクローザーを務め、38セーブでタイトルを手にしている。

 メジャー・リーグでタイトルを手にした選手が来日するケースはそう多くない。1969年にメジャーで制定されたセーブ王の来日は、リッチ・ゴセージ、ボビー・シグペンに次いで3人目だ。

 ゴセージは1975年にシカゴ・ホワイトソックス、1978年と1980年にはニューヨーク・ヤンキースでセーブ王を獲得。22年のキャリアで通算310セーブをマークした超一流のクローザーで、1990年に福岡ダイエーと契約した。だが、39歳という年齢も影響したのか、28試合に登板して2勝3敗8セーブ、防御率4.40と振るわず、翌1991年はテキサス・レンジャーズと契約している。

 また、シグペンはホワイトソックスに在籍していた1990年に、当時のメジャー新記録となる57セーブでタイトルをゲット。1993年までに通算201セーブを挙げ、1994年はシアトル・マリナーズでプレーしていたが、シーズン途中で福岡ダイエーと契約する。その年は33試合で2勝2敗12セーブ、防御率1.93とまずまずで、1995年も20試合で1勝1敗8セーブ、防御率1.96をマークしていたが、右肩や背中の故障を理由に6月で帰国。メジャー復帰を目指すが叶わず、32歳で現役引退した。

 オスナは、メジャー6シーズンで通算155セーブの実績に加え、今年で27歳と働き盛り。ゴセージやシグペン以上の活躍を期待できるのではないか。

打者では二冠王が3人も来日している

 ちなみに、1970年以降の打者のタイトルホルダーは5人来日している。1995年と1998年に千葉ロッテでプレーしたフリオ・フランコは、テキサス・レンジャーズでプレーした1991年に打率.341で首位打者を手にした。バットのヘッドを投手に向けた個性的な構えや、2015年にBCリーグ(当時)の石川ミリオンスターズで選手兼任監督を務めたことを記憶しているファンもいるだろう。

個性的な構えで日本のファンにも人気があったフリオ・フランコ。
個性的な構えで日本のファンにも人気があったフリオ・フランコ。写真:権藤和也/アフロスポーツ

 1987年と1988年に近鉄でプレーしたパナマ出身のベン・オグリビーは、2年続けて打率3割をクリアし、好打者の印象が強い。だが、31歳だった1980年にはミルウォーキー・ブリュワーズで41本塁打を放ち、タイトルを手にしている。ただ、40本塁打をクリアしたのはこの年だけで、メジャー通算16年で235本塁打(1シーズン平均14.7本塁打)と、やはり長距離砲ではなかったようだ。

 そして、2013年から2年間、東北楽天に在籍したアンドリュー・ジョーンズ、1995年に福岡ダイエーでプレーしたケビン・ミッチェル、1974年に埼玉西武の前身・太平洋クラブへ入団したフランク・ハワードは、本塁打と打点の二冠王に輝いている。

 ジョーンズが2013年の日本一にも貢献したのは記憶に新しい。だが、ミッチェルは初打席で満塁本塁打を放つ派手なスタートを切ったものの、右ヒザ痛を理由に2度も帰国するなど37試合の出場で解雇された。また、ハワードはメジャー通算382本塁打が大きな話題となったが、深刻なヒザ痛を抱えており、開幕戦の3打席で交代。5月には帰国してしまった。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

横尾弘一の最近の記事