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【落合博満の視点vol.46】ペナントレース開幕まで10日、ルーキーが心がけるべきこととは

横尾弘一野球ジャーナリスト
昨年、新人王に加えて東京五輪の金メダル獲得にも貢献した栗林良吏。(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 昨年のプロ野球は新人の当たり年だった。新人王は、セ・リーグが栗林良吏(広島)、パ・リーグは高卒2年目の宮城大弥(オリックス)が選出されたが、セでは奥川恭伸(東京ヤクルト)、伊藤将司、佐藤輝明、中野拓夢(以上、阪神)、牧 秀悟(横浜DeNA)、パでは伊藤大海(北海道日本ハム)が、新人王に値する活躍を認められて新人特別賞を授与された。

 彼らの成績を見れば、高い潜在能力を備えた選手が揃っていたのだとわかるが、プロ入り直後から目立つパフォーマンスを発揮できる理由は、それだけではないだろう。落合博満は、「アマチュアでもプロでも野球をすること自体に変わりはなく、レベルが高くなるだけだと考えている人もいるようだが、それは少し違う。やはり、プロ野球という業界に早く慣れることが肝心だ」と見ている。

 実際、落合自身も、1979年にロッテ・オリオンズへ入団した際、「これは2~3年でクビになるな」と感じたという。

 落合は、新人だった春季キャンプで自身のバッティングを酷評され、また山内一弘監督のアドバイスを理解することができなかった。フリー打撃でも打球は外野まで飛ばず、そうしてプロの技術に圧倒されて自信を失ったのでも、練習の厳しさに面食らったのでもない。少年時代から集団の中で生きていくのが苦手だったため、すっかり人疲れしてしまったのだという。18歳の春、郷里の秋田から初めて上京して東洋大へ入学した時も、野球部でギラギラした目つきの選手と一緒に過ごすうちに息苦しくなり、3か月余りで逃げ出している。

「プロでは、逃げ出そうとまでは思わなかったけれど、体育会系独特のピリッとした雰囲気に、この世界で生きていくのは無理だろうと考えていた。その後、何とか私はプロ野球界で生きていくことができた。ただ、私と同じように出足で躓き、そのまま消えていった選手を何人も見てきた。1月半ばの新人合同自主トレから必死に走り続け、少し気持ちに余裕ができる開幕前後が、精神面で躓く選手が一番多いポイントだと思う」

 では、落合自身は、その躓くポイントをどうクリアしたのか。

一番大切なのはプロ野球という環境に慣れること

「新たな環境で躓く一番の原因は、何とも言えない孤独感だ。実は、周りの指導者や先輩は自分のことを気にかけているのに、自分ではそのことに気づけない。私の場合も、毎日グラウンドに出ていれば、目をかけてくれるコーチや話しかけてくるチームメイトがいることに気づき、そういう人たちと触れ合ううちに自分の居場所が見つかり、安心感が生まれて野球に専念できるようになった」

 そうして、プロ野球という独特の環境にも順応していったのだ。企業の経営者、あるいは人事担当者によれば、昔から体育会系の出身者を企業が積極的に採用してきたのは、こうした環境への順応性が高かったからだという。

「ただし、早く慣れたものの慣れ過ぎてしまい、それで自分らしさを見失った人もたくさん見てきた。だからこそ、新たな環境への適応は、慣れようと努力さえしていれば時間が解決してくれるから、決して焦らないことだ」

 そして、「本当に大切な時間は、ここから始まる」と落合は言う。

「若かった頃の私は何でも自分ひとりで考え、頼れるのは自分だけだと思い込んでいた。でも、ひとりの発想や知恵などたかが知れている。プロ野球で言えば、監督をはじめ、コーチや先輩たちは、私よりも長く在籍している人ばかり。その人たちのやり方を観察し、考え方を聞き、知恵を借りれば、前に進むのがうんと楽になることを実感した。要するに、自分のためにどれだけ人の知恵を借りられるかが、厳しい世界を生き残る術だと知った。そう考えると、あれほど息苦しかった集団が、生きた教材の宝庫に見えてきたんだ」

 こうした感覚は、プロ野球界に限ったものではないだろう。そして、今季のプロ野球では、独特な環境に順応して目立つパフォーマンスを発揮する新人は誰なのか注目してみたい。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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