イスラムに変化をもたらすのは女性パワー

2014年、突如として全世界から耳目が集めた人が二人いると思っている。しかもその二人は二人とも、イスラム教の国出身である。一人は、17歳でノーベル平和賞をもらったマララ・ユフスザイである。そしてもう一人は、世界一セクシーな男の称号を持つジョージ・クルーニーの妻になったアマル・アラムディンである。1月13日に行われたゴールデン・グローブの授賞式では、ディオールのドレスに身を包んで登場し、トップ女優に並びたちベストドレッサーの一人として取り上げられていた。

マララは、タリバンが勢力を拡大し少女に勉強をさせないためにテロ活動を繰り広げるパキスタンで、「勉強したい」と訴え続けてきた。そんななか、タリバンの兵士に頭を撃たれるも奇跡の生還を果たし、現在は、イスラム女性と教育への熱望と必要性を世界中で訴えている。

アラムディンはレバノン生まれのレバノン系イギリス人だ。オックスフォード大学で学び、アメリカのニューヨーク大学の弁護士大学院に進み、アメリカの人権弁護士としてキャリアをスタートさせた。国連、ウクライナ、エジプトそしてウィキリークスのジュリアン・アサンジの弁護をつとめるなど、その経歴は知的に華やかである。

テロを解決策につかうイスラム過激主義者たちは共通して女性が学問をつけることを嫌う。女性を家に閉じ込めておく所有物のように考えているかのように思う。ただでさえ、イスラム教というと女性は髪を隠すなど制約が多いだけに、私が生きている社会に比べて大いなる女性蔑視というか女性の社会進出を閉ざしているように見えてしまう。自立を閉ざされた女性たちは結婚を目標とするしかなくなる。とりわけ、私が女性だからかイスラム主義の世界観が大きく広がることに、男性よりも恐れを感じているのかもしれない。

マララが言うように女性だって勉強したいし、世界に出て活躍したいと考えることだってある。そう考える女性たちの機会を奪うことはあってはならない。暴力で勉強させないようにすることは言語道断である。

だが、女性には教育が必要ないと刷り込まれている社会がまだまだ存在する。

マララは、「私も勉強したい」と世界に声をあげた。そして殺されかけた。声をあげることだけで、命に係わる大事業だ。一方、外国人が声をあげれば「イスラムのことはイスラムの兄弟で解決する」との反論をうけることになる。女性の義務教育という私たちにとっては当たり前の人権問題でさえ、内政干渉として撥ね付けられる。

イスラムの女性にとっては、自立への第一歩である教育をイスラム社会にいきわたらせる行動は、まさに命を懸けた戦いである。それでも、マララのように立ち上がりたい女性たちはいる。アルマのように勉強する機会をつかめば世界に羽ばたく女性もいる。イスラムの女性たちが立ち上がるとき、私たち外国は、立ち上がった彼女たちの命を保証し支えることが必要だろう。

ラテンの国々が美人を輩出度が高いと言われるが、私は、ベールを脱いだ中東の女性たちの美しさはかなりのものだと思っている。ジョージ・クルーニーだけではなく、ワシントンDCでも大物の中では若手が、中東出身の女性を妻としていることが少なからずある。ジョージ・クルーニーの結婚が報道される前から、ワシントンの様々なパーティで出席するたびに、もはやアジア女性がちやほやされる時代は終わり、中東女性の時代ではないか、とひそかに思っていたほどである。

中東の女性は、スペインの真珠といわれるペネロペを大柄にして憂いを含んだイメージなのだ。イタリアの宝石とモニカ・ベルトリッチをさらに華やかにした感じなのだ。つまり、今までの西洋人の好みの女性にギリシャ彫刻の強さが加わった美しさなのである。しかも、しなやかに強い。打たれても頑張ってきたしなやかな強い内面は、何事にも代えられない美しさを生む。

娘にも就学させ学問をつけさせるイスラムの親たちも増えている。アメリカ政府の統計によると、イスラム圏からの留学生は確実に増加している。

世界中でイスラムのキャリア女性が増加していけば、イスラム社会での女性たちの状況が変わっていくだろう。同時に、私たちにとっては彼女たちと友達になるだけでも、イスラム社会とのより良い関わり方を以前よりも深く考慮することができるようになる。また、女性が生き生きと活躍する国に留学すればイスラムの男性であっても、社会の活力になっていると気づく人は皆無ではないだろう。そうなっていけば、イスラム社会でも女性の役割が変化せざるを得ないのでないか。

イスラム地区からの女子留学生の活躍が、今後のイスラムの変化のカギになるように思えてならない。

安倍政権のウーマノ・ミックスは、現在は国内政策であるが、ぜひ、勉強したいのに勉強できない女性たちに勉強の機会を与えるというプログラムも組み込んだらどうだろうか。何しろ、彼女たちが日本で勉強する機会を持ったら、女性が輝くことは難しいと思ってしまったら大変なので、日本社会も女性の進出に対して自らの姿勢をさらに正さなければならなくなるので、一石二鳥の取り組みになる。