ウーマンリブの戦士を愛おしいと思える時代を迎えた

最近、「女性問題」が日米共通の政治的課題になっている。

アメリカでは、戦後第二次女性運動の時代だと言っても良いのではないかと思えるほどだ。

ヒラリー・クリントンが、女性初の大統領への足場を固めている。ヒラリー以外で民主党の候補者として名前が挙がるのも、マサチューセッツ州選出の女性上院議員であるエリザベス・ウォーレンである。

アメリカでは、オバマ大統領になってから、女性問題は一つのキーワードになっている。オバマ大統領が大統領に就任し、最初に署名した法律は、男女の賃金格差を是正する環境をサポートする「The Lilly Ledbetter Fair Pay Act」だった。さらに、オバマ大統領は、避妊薬の保険適用も認めた。

まさに、アメリカでは、今、新しい女性運動が起きている、と思っていた時に、映画「何を怖れる」の試写会での前トークでのパネリストを頼まれた。ちょうど、アメリカでは新しい女性運動が起きていると思い始めた時、アメリカの女性運動の歴史について興味を持つようになった。

戦前、男女格差が当然の時代においては、女性たちは投票権獲得のために戦い、そのあげく逮捕され処罰を受けていた。デトロイト市のフォード博物館には黒人史と並んで女性史の展示もあり、そこでは、口に水を入れられ続ける刑にあう女性の再現蝋人形の展示などがあった。

戦後のウーマンリブ運動は、女性抑圧からの解放を「男性のように働きたい」ひいては「男性のようになりたい」という思いで表現していた。当時、パンタロンが流行したことも、そういった思いと関連があるだろう。当時、戦った女性たちは、今も「女性らしさ」を隠す癖がついているという。私は、1990年代、初めてアメリカの大学の授業を受けて驚いたことがある。授業の内容ではない。女性の教授がタンクトップ姿であったのだが、手をあげた時、脇が自然な状態だったのだ。その後、アメリカではあまり気にしなくてもいいのかと、気軽に思っていた。ある時、そのことをアメリカ人の女子友に話したところ、「嫌だ、くみ、それは、ウーマンリブ時代の生き残りよ。私たちの世代の女性は、きちんと処理して当然」と、「それが一般のアメリカ女性とは思わないで」と、力説してくれた。

当時の女性たちは、生まれによるすべての差別に立ち向かっていた。女性同士の恋愛、そして違う皮膚の色の人との結婚も率先して受け入れていた。今、思うと、ジェーン・フォンダの行動は、この時代の空気をそのまま表現していたのだろう。オバマ大統領の母親もこの時代の女性である。この時代は、まだまだ白人と黒人が交わることなく生活をしていた。人種が違う学生同士のデートも認めていない大学ですら最近まで存在していたほどである。白人女性が黒人男性と結婚することは、この時代の先端だったのである。

自分の体を痛めつけてまで、そして精神的限界に挑戦するかのように男女の不平等に戦う女性たちがいたのである。その姿は、その時代の悲惨さを体験していない世代から見ると滑稽にすら見えてしまうことが現実である。実際は、悲惨だっただけに、現実と戦う姿はまさに滑稽であったのだろう。

普通の現実感覚でやっていたら、こういった壁を打ち破ることはできない。こういう人たちがいたおかげで、「ウーマンリブの女性たちって、ちょっといっちゃてるよね」と言える時代になっている。

ウーマンリブ運動は、男性だけが築いてきた「社会への初参入」であるという第一歩だけに当たって砕けるしかなかった。一方、今の女性運動は「差別の是正」であるので、砕けるのではなく構築する洗練された戦略が必要になる。

ある意味、ヒラリーは時代を読み、砕けることはせずに、水面下で準備を進める道を選んだと言えるだろう。まだ女性がほとんど大学院に行かない時代にエール大学院に進み、大統領になる可能性のある男性と恋におち、結婚する。そして旦那を支え、夫婦協力して政治キャリアを積み重ね、ついに夫婦そろっての大統領を獲得する圏内に入ってきた。

ヒラリーは、まだ、立候補宣言はしていないが、「女性」を軸にした運動を開始している。国務省長官を終えてから、ヒラリーがスピーチする場所は、ほぼ女性に関わる団体である。最大多数のマイノリティの代表という戦略を立てている。

ヒラリーを見るたびに、女性たちがここまで頑張った歴史に思いを寄せざるを得ない。

今では、かっこ悪いと思われているウーマンリブ運動家たちがいて、今の時代があるのである。 

なんてことを考えていた時に、松井久子監督の映画「何を、怖れる」と巡り合った。参議院会館で行われた試写会のパネリストを頼まれたのである。

「私たちはアメリカと違って男性と同じになることを望んだのではない」と語られているが、自分を傷つけても女性の解放を手に入れようとするその姿はまさに不恰好であり、そして、愛おしく、共通し、そして社会はその時よりは両国とも進歩している。

彼女たちがいたからこそ、今の環境がある。

是正はまだまだ必要であるが、自然体で理論的に戦える時代になっている。

この映画は、「刷り込みがいけない」「家事なんて12歳の子でやれるのよ」「税金使って学を得たのだから刺繍ばかりやっていてはだめだ」など、女性問題における参照に仕える言葉の宝庫である。ここで登場する女性戦士たちの思い、環境をそれぞれきちんと分析すれば、今ここにある女性問題の多くが是正されるのではないかと思う。

これから各地で上映されるこの映画は、戦後の女性運動をまとめたという意義があると同時に、今ここにある問題の本質が語られている。

この映画を見た人と、議論したい!!