小渕優子大臣辞任とオリンピック

オリンピックを迎えるにあたって、日本の「おもてなし」を誇る声があちこちであがり、東日本大震災のおりも、きちんと列をなす日本人の姿に世界中から感動された。

だが、オリンピックで世界中からの観光客を向かえる準備が日本にはできているか、というと若干の疑問を感じざるを得ない。とりわけ、今回のオリンピックは1964年の東京オリンピックとは大きく異なっている。1964年は発展途上国から先進国へのターニングポイントとなることが、最大の目標であったが、2020年のオリンピックは成熟国としてオリンピックの意義と意味を見つける必要がある。アジアにおいては、初めて成熟国として初めて2回目のオリンピックを開催するのだから、新しい価値の創出が必要になると思う。

だが、日本人の姿勢に対する賞賛の声を、よくよく分析すると、外国に住む外国人のものだ。日本に住む外国人や観光客の声ではない。

観光客からは「親切」「なくしたものが見つかる」というほめ言葉は聞くが、日本に住んだ外国人が自国に帰ってからの日本の評判は、まだまだ改善の余地がある状態だ。実際にアメリカ留学後のアメリカへの好感度が最も高く、日本への留学後の好感度はそれほど高くないという研究結果もあると聞く。つまり、日本人の外国人に対する姿勢はまだ成熟国として新しい価値を世界に見せるほどの準備ができていないのではないか、という懸念を持ってしまうのである。

その典型的な例とも言える事件が、先日、小渕優子大臣(当時)が安倍首相に辞任を伝えるために首相官邸に入るときに起きていた。

ニュースを見たとき、「発展途上国的」と思わざるを得ない映像が目に入りこんできた。

最初は、首相官邸につめる記者たちの姿勢である。小渕大臣が首相官邸に入るや、首相官邸担当の記者が走りよった。まったく躊躇なく走りよりレコーダーを突きつけている。

「まだ大臣なんだし、その犯罪者に対するような近寄り方はひどいんじゃない」と思ってしまった。辞任を伝える目的で首相官邸に入ったとしても、彼女は大臣である。大臣を辞しても議員である。議員でなくても、人に対しての礼儀というものもある、と思ってしまった。メディア戦略を重視するアメリカでは、大統領は言わずもがな長官に対してもCEOに対してもフォト・ラインというものがある。メディア・トレーニングに関する授業では、「後ろを振り向いて答えることは、画面で見ると、品よく見えないので絶対避けるべき、とりわけあなたがコンサルタントを務めている場合、当該者にその行動をさせないように準備するべし」と最初に習う。

政治とメディアとの関係が深いアメリカでは、政治家への礼儀なのか、取材するときの議員と記者との距離は物理的に遠い。レコーダーが顔の後ろから出したり、まるで満員電車のような状態で、政治家が、記者の質問に答えることはまずない。

2つ目は、さらにひどい。記者たちが駆け寄ったと同時にその事件がテレビ画面の中でおきた。後ろから走ってきた人が小渕大臣の肩にぶつかり、彼女はその強さによろけていたほどだった。その後の映像を見えると、どうやら、その長身の男性は彼女を記者から守るための走りよったようだが、「肩でぶつかったらだめでしょう」と憤り近い感情まで持ってしまった。

というのも、アメリカ人に限らずヨーロッパ人が日本に来て驚くことは、歩いているときに肩があたることである。通常、西洋の国を歩いていると、肩がぶつかることはまったくない。どうしてもぶつからざるを得ない状況では「すみません」と一言かける。外国で「ぶつかった」と思うと、まず相手は、残念ながらアジア人である。道を歩いていると肩がぶつかる不快感はある種、アジア共通と認識されているところがある。日本でも、肩がよくぶつかる。人口密集が高いだけに混雑時はしかたがないと思うが、それほど混んでいないときでも、後ろからも前からもぶつかる人がいる。

しかも、守るためとはいえ、女性大臣の肩にぶつかった映像は、世界が持つもう一つのストレオタイプに納得感を与えることになる。女性軽視のイメージだ。もし、「小渕大臣が男性であったなら、肩でぶつからないようにしたのではないか」という仮定をも抱かせてしまうのである。現在、安倍政権はウーマノミックスと呼ばれ女性の権利をサポートするが、ああいう映像は「日本はやはり男社会のアジア」というイメージを再構築させてしまう。

ちなみに、駐在経験のないジャーナリストや外国人ジャーナリストたちにこの映像について聞いてみたところ、「あれはひどい。」「女性蔑視」という言葉が期せずして両者から出てきた。そして、私の視点に対して「言われてみればそうですね」と同時に「女性に視点」という返事も返ってきた。

私は、この記事は特定の個人を批判する気はまったくない。ぶつかった男性を批判する気はさらさらない。これを読んでぶつかった男性を批判されても困ると思っているほどだ。

ここでとりあげることによって、日本と言う社会全体が「肩がぶつかる」という行為について考えてほしいと思って書いている。しかも、男性が気づかない視点であるということを考慮して、思い切って書いている。とにかく、教訓を得るべき事件は利用して成長し、さらなる成熟した国としてのオリンピック成功につなげてほしいと思っている。