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あの『なんでんかんでん』が奇跡の復活を遂げた理由とは?

山路力也フードジャーナリスト
6年の歳月を経て、あの『なんでんかんでん』が帰ってきた

豚骨ラーメンブームの火付け役が復活

2018年11月、高円寺南口に復活を果たした『なんでんかんでん』
2018年11月、高円寺南口に復活を果たした『なんでんかんでん』

 今でこそ東京のあちこちで見かけるようになった博多ラーメン。しかし今から30年ほど前は東京で博多ラーメンや豚骨ラーメンを知る人は少なかった。1980年代後半に興ったラーメンブームによって、豚骨ラーメンは一気に知れ渡ることとなる。その火付け役となったのが伝説のラーメン店『なんでんかんでん』である。

 世田谷区羽根木、環状7号線沿いに1987年オープン。本格的な博多豚骨ラーメンを出す店として人気を博し、連日連夜大行列を生む店となった。時間を問わず環七には「なんでん渋滞」が起こり、そこから近隣に次々とラーメン店が開くようになり、環七世田谷エリアは都内屈指のラーメン激戦区となった。

 その後、東京には本場福岡から次々と豚骨ラーメン店が進出し、博多ラーメンは珍しいものではなくなった。ラーメンブームが沈静化してきた2012年、路上駐車や飲酒運転の取り締まり強化などもあり売上げが激減し、その役割を終えるかのように『なんでんかんでん』は閉店を余儀なくされた。それはラーメンファンにとって一つの時代の終焉を意味する出来事だった。

 しかし2018年9月、伝説のラーメン店『なんでんかんでん』復活の報せが飛び込んできた。世田谷環七から高円寺の商店街へと場所を変え、閉店からおよそ6年ぶりとなる劇的な復活。再び『なんでんかんでん』の豚骨ラーメンが帰ってきたのだ。

圧倒的な接客と味が人気を呼んだ

サービス精神旺盛な、なんでんかんでんの川原ひろし社長。今も自ら店に立ってお客さんと触れ合う
サービス精神旺盛な、なんでんかんでんの川原ひろし社長。今も自ら店に立ってお客さんと触れ合う

 『なんでんかんでん』創業者で『株式会社なんでんかんでんフーズ』社長の川原ひろしさんは、生まれも育ちも福岡博多。人気番組『マネーの虎』など、テレビメディアにも数多く出演しており、世のラーメン店主の中でもその知名度は群を抜く。今も自ら店に立ってお客さんに声掛けをしたり、一緒に写真撮影をするなどファンサービスを徹底している。

 「僕が『なんでんかんでん』を始めようと思ったのは、自分が慣れ親しんだ博多のラーメンが東京にほとんど無かったからなんです。自分の食べたいラーメンを出したと言えば聞こえがいいけれど、豚骨ラーメンがほとんどない市場だったから本格的な豚骨を出せば必ず売れると思ったから。ブレイクするまでにはかなり苦労しましたが(笑)」(なんでんかんでんフーズ社長 川原ひろしさん)

今では他店でも見られるメッセージが書かれた海苔も、なんでんかんでんが発祥だ
今では他店でも見られるメッセージが書かれた海苔も、なんでんかんでんが発祥だ

 オープンしてからしばらくは客足も伸びず赤字続き。そこで川原さんは情報誌などを発行している出版社にかたっぱしから取材のお願いの営業をかけた。数々の雑誌に掲載されると、それをみたテレビメディアも飛びついた。珍しい博多豚骨ラーメンに、タレント性の高い店主。まだインターネットの無かった時代に、雑誌とテレビに露出する効果は絶大だった。一気に『なんでんかんでん』はブレイクし、都内随一の行列店へと上り詰めた。

 しかし、ただ話題性だけでは長くは続かない。『なんでんかんでん』が長きにわたり人気を保ち続けられたのは、川原さんのサービス精神による圧倒的な接客力と、何より豚骨ラーメンのクオリティの高さだった。当時東京ではほとんど使われていなかった豚頭をスープに使ったのも、本物の博多ラーメンを出したいという思いからだった。

 「やっぱり頭骨でなければ出ない旨味ってあるんですよ。ゲンコツだけでは出せない『荒々しさ』のような。開業当時、肉屋さんにお願いしたのですが、東京には豚頭のガラって無かったんですよね。豚の頭は東京では捨てられていたので、一つ10円で引き取るような感じで値段を決めて。今も豚頭ガラの値段は福岡よりも東京の方が安いのですが、それは僕のおかげだと思っています(笑)」(川原さん)

本物の博多ラーメンを再び届けたい

『なんでんかんでん』名物の「たまごバカラーメン」。味玉が丼を覆い尽くす遊び心満載のメニュー
『なんでんかんでん』名物の「たまごバカラーメン」。味玉が丼を覆い尽くす遊び心満載のメニュー

 2000年代に入り、インターネットの普及と共に空前のラーメンブームが訪れた。それは言わば「ラーメンバブル」とも呼ぶべき現象で、一日数百杯を売るラーメン店が続出した。しかしバブルは必ずいつかは弾ける。ブームの沈静化とともに、路上駐車や飲酒運転の取り締まり厳格化は、街道沿いで車での来店が多かった『なんでんかんでん』には大打撃となった。2012年に環七の本店を閉めた後はフランチャイズに切り替えて、一時は10店舗近くまで展開したが、2015年にはフランチャイズもすべて閉店し、『なんでんかんでん』の名前はラーメン界から姿を消した。

 しかし2018年、『なんでんかんでん』は不死鳥のごとく復活を遂げる。博多ラーメン店は30年前に較べると増えているが、色々なジャンルのラーメン店が増えたことによって、相対的に埋没しているのではないかと川原さんは語る。新生なんでんかんでんの復活1号店は『タイ屋台居酒屋 ダオタイ』などを手掛ける『株式会社DAO』がフランチャイジーとして開店した。今回の復活にあたり川原さんが大切にしたのは、以前の『なんでんかんでん』と同じ「品質」と「接客」だ。

 「『本物の博多ラーメンを』という思いはそのままに、ラーメンは当時よりもかなりブラッシュアップしています。30年前のラーメンと較べると周りのラーメン店もどんどん濃度が上がっていますよね。家系ラーメンも昔はもっと豚骨は抑え気味でしたが、今は濃厚なものが増えました。だから僕のラーメンも時代に合わせて濃厚に、というよりもむしろ開業当時の濃度に戻しているような。今のラーメンは昨年の復活時よりもさらに濃厚に仕上がっていると思います」(川原さん)

『世界のなんでんかんでん』を目指して

最新型なんでんかんでんのラーメンは「スープの旨味は泡に出る」がコンセプト
最新型なんでんかんでんのラーメンは「スープの旨味は泡に出る」がコンセプト

 今でも日々スープの改良は続けており、復活オープン当初は比較的ライトな口当たりのスープだったが、現在は濃度も増してパンチがあるスープへと深化している。そして接客。これまでの自らの経験を教え込んだ若いスタッフたちの接客は明るく元気できめが細かい。何より川原さん自身も先頭に立って、積極的にお客さんに声掛けをしてコミュニケーションをはかっている。

 「今の時代、味が美味しいのは当たり前。美味しいだけでは売れないんです。僕は以前から接客こそ売上げに直結すると思って、一生懸命接客に力を入れてきました。やはり流行るお店は味も大事ですが、人はもっと大事。その思いはこれからも変わりません」(川原さん)

 見事に完全復活を遂げた『なんでんかんでん』。まだまだこれからと意気込む川原さんに今後の野望を聞いてみた。

 「この店とこの味をもっと磨いていくことがまずは一番。もっと良くなっていくはずですから。そして近々ヨーロッパ、イギリスやドイツへ視察に行くのですが、『なんでんかんでん』を海外にも広げていきたいと思っているんです。次は『世界のなんでんかんでん』を目指します」

※写真は筆者の撮影によるものです。

フードジャーナリスト

フードジャーナリスト/ラーメン評論家/かき氷評論家 著書『トーキョーノスタルジックラーメン』『ラーメンマップ千葉』他/連載『シティ情報Fukuoka』/テレビ『郷愁の街角ラーメン』(BS-TBS)『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)『ABEMA Prime』(ABEMA TV)他/オンラインサロン『山路力也の飲食店戦略ゼミ』(DMM.com)/音声メディア『美味しいラジオ』(Voicy)/ウェブ『トーキョーラーメン会議』『千葉拉麺通信』『福岡ラーメン通信』他/飲食店プロデュース・コンサルティング/「作り手の顔が見える料理」を愛し「その料理が美味しい理由」を考えながら様々な媒体で活動中。

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