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福岡随一の超濃厚「ド豚骨」ラーメンはなぜ生まれたか?

山路力也フードジャーナリスト
『魁龍 博多本店』(福岡市)の「ラーメン」。福岡屈指の超濃厚ヘビー級豚骨ラーメン

四半世紀愛され続ける超濃厚豚骨ラーメン

『魁龍 博多本店』(福岡市)は2001年にこの地に開業した
『魁龍 博多本店』(福岡市)は2001年にこの地に開業した

 福岡の豚骨ラーメンをひと言で語るのは難しい。一般的に知られているのは「博多ラーメン」だが、替玉や細麺の発祥ともいえる「長浜ラーメン」や、スープを継ぎ足しながら作る「久留米ラーメン」など、同じ豚骨ラーメンでも福岡には様々なラーメンが存在する。

 そして時代と共に、その境界線は曖昧になりつつある。何が正しい博多ラーメンなのか、長浜ラーメンの定義とは何か、久留米ラーメンの製法とは。作り手と客、それぞれの思いに委ねられた結果、自然と食文化は醸成されていくものではあるが、一人一人が自分なりの思いを抱いていなければ、そのラーメン文化は収斂され、衰退していく。

 福岡空港の南側、東那珂の街道沿いに立つ一軒のラーメン店がある。『魁龍(かいりゅう) 博多本店』(福岡県福岡市博多区東那珂2-4-31)。1992年、福岡県小倉に創業して徐々に人気を呼び、2001年にこの博多本店を構えた。その後『新横浜ラーメン博物館』にも福岡代表として出店を果たすなど、全国にもその名を知られる人気店である。

博多なのに「バリカタ」がない

『魁龍 博多本店』の「ラーメン」。超濃厚なスープを求めて、全国からファンがやってくる
『魁龍 博多本店』の「ラーメン」。超濃厚なスープを求めて、全国からファンがやってくる

 博多に本店を構える魁龍だが、博多ラーメンの文字はどこにもない。そして店内には「(麺の硬さを表す)バリカタ・ハリガネ・コナオトシなどはありません」と書かれている。客が「バリカタで」と言うと店主は「うちは博多ラーメンではないので、バリカタはないんですよ。柔めの『ずんだれ』がオススメです」と答える。

 魁龍店主の森山日出一(ひでかず)さんはその理由をこう話す。「僕のラーメンは博多ラーメンではなくて久留米ラーメンなんです。だから『バリカタ』はないですし、キクラゲの代わりに海苔やメンマが乗っています。受け皿の上に丼を乗せているのも、久留米ラーメンが屋台から生まれた文化の名残なんです」

大きな羽釜で豚頭だけを炊き続けたスープは漉し網で徹底的に漉すことで滑らかな口あたりに
大きな羽釜で豚頭だけを炊き続けたスープは漉し網で徹底的に漉すことで滑らかな口あたりに

 そんな魁龍のラーメンは久留米ラーメンというカテゴリの中でも個性的だ。特製の大きな羽釜に豚頭だけを使い、前日のスープを種に新たな材料を継ぎ足して作る、久留米ならではの製法「呼び戻し」で取ったスープはどっしりとした超濃厚なもの。麺は中細低加水のストレート麺で、硬めではなく柔らかめの「ずんだれ」で茹であげる。ハマる人にはとことんハマる、クセになる一杯は「どトンコツラーメン」という異名も持つ。

 「新横浜ラーメン博物館さんからお声かけを頂いて出店する時、久留米ラーメンって全国的にはまだ全然知られていなかったんですよ。そこでラーメン博物館の方が『どトンコツ』というキャッチフレーズを考えて下さったんです。その時から僕のラーメンは『どトンコツラーメン』と呼ばせて頂くようになりました」(森山さん)

亡き父のアドバイスが味を作った

焦げ付かないように常に混ぜていくのは重労働
焦げ付かないように常に混ぜていくのは重労働

 両親が久留米でラーメン店を営んでいたこともあり、森山さんは子供の頃から久留米ラーメンが大好きだった。学生時代はバンドに明け暮れ、人気バンド『ツイスト』の付き人も務めた時期もあった。その後ショーパブで接客の楽しさを知り水商売の世界へ。自ら15店舗も展開するほど成功を収めた。そんな中で本当に自分がやりたいことは何か、自問自答した結果辿り着いた答えが「ラーメン」だった。

 実は森山さんは魁龍の前に一度ラーメン店をやっている。小倉の人気店『一竜軒』の味に惚れ込んでいた森山さんは、一竜軒が閉店したことを受けて独学でラーメンの再現に挑戦し『一龍』という店を出したのだ。しかしうまくいかずに一年で廃業。その後は違う職に就いていたが、やはりどうしてもラーメンへの夢は捨て切れなかった。

 「大好きなラーメンだったからこそ、下手に手は出せないし、やれないぞとも思っていました。しかしやりたいという思いが勝ったんですね。そこでもう一度ラーメンの世界へ飛び込みました」(森山さん)

森山さんが今も大切にしている父親からの言葉
森山さんが今も大切にしている父親からの言葉

 父親のつてで久留米のラーメン店で基本的な作り方を教えてもらい、あとは独学で一からラーメンを作った。当然スープは簡単に出来るものではない。不出来の日には店を閉めることもしばしばだった。そんな時にラーメンの先輩である父親のアドバイスが役にたった。

 「僕は僕のラーメンを作りたいのに、親父は自分のやり方を押し付けるから毎日喧嘩ですよ。しかし後から親父に言われたことがヒントになって改良して。やはり独学は上っ面だけなんですよね。親父のおかげで今のラーメンがあります」(森山さん)

 魁龍の圧倒的な濃度を誇るスープはラーメン業界に衝撃を与えた。多くのメディアも取り上げるようになって、福岡屈指の人気店へとなった。さらに新横浜ラーメン博物館への出店により、その名は一躍全国区へ。魁龍の名前が知られると同時に、当時まだあまり知られていなかった久留米ラーメンの名も知られるようになっていったのだ。

大好きな久留米ラーメンを作り続けたい

「今も毎日試行錯誤しながら作っています」と語る森山さん
「今も毎日試行錯誤しながら作っています」と語る森山さん

 福岡博多には豚骨ラーメン以外にも様々なラーメンが増えてきた。豚骨一筋の森山さんだが、色々なラーメンが増えているのは良いことだと考えている。

 「僕が博多にお店を出した頃は、右も左も博多ラーメンばかり。お客さんも麺は硬めでないと受け付けないみたいな文化だったんです。でも、豚骨ラーメンには博多ラーメンだけではなくて、久留米ラーメンも熊本ラーメンも色々あるじゃないですか。豚骨以外にも醤油ラーメンや塩ラーメンなど美味しいラーメンがあるじゃないですか。世の中には色んなラーメンがあるんだよ、ということをお客さんに知って欲しいですよね」(森山さん)

 創業してから四半世紀が経った今もなお、今年で還暦を迎える森山さんは自分のスタイルを変えることなく、毎日厨房に立ちラーメンを作り続けている。同じ豚骨ラーメンをただひたすらに。

 「ラーメン作りは重労働。身体にこたえるから今でもやめたいですよ。でもやり続けていくしかないんです。やっぱり僕は久留米ラーメンが、自分の作るラーメンが好きなんですよ。スープは豚頭だけで炊いたものの方が美味しいと思っているし、麺はしっかりと時間をかけて茹でた方が美味しいと思っています。自分が美味しい、自分が好きなラーメンなので変えようとも思ったことはないです。だから僕はブレることなく、これからもこの『どトンコツ、ずんだれ』のラーメンを作り続けていきます」

【関連記事:久留米から世界へ広がる「豚骨ラーメン」が誕生80周年

※写真は筆者の撮影によるものです。

フードジャーナリスト

フードジャーナリスト/ラーメン評論家/かき氷評論家 著書『トーキョーノスタルジックラーメン』『ラーメンマップ千葉』他/連載『シティ情報Fukuoka』/テレビ『郷愁の街角ラーメン』(BS-TBS)『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)『ABEMA Prime』(ABEMA TV)他/オンラインサロン『山路力也の飲食店戦略ゼミ』(DMM.com)/音声メディア『美味しいラジオ』(Voicy)/ウェブ『トーキョーラーメン会議』『千葉拉麺通信』『福岡ラーメン通信』他/飲食店プロデュース・コンサルティング/「作り手の顔が見える料理」を愛し「その料理が美味しい理由」を考えながら様々な媒体で活動中。

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