「ラーメン」と「ラーメンではない何か」との境界線とは?

『たいめいけん』(日本橋)のラーメンは、洋食で使うブイヨンをベースに作られる逸品

ラーメンは自由な麺料理だ

土佐料理店『心』(京都市)のラーメンは、高知県の食材をふんだんに使用した「土佐ラーメン」
土佐料理店『心』(京都市)のラーメンは、高知県の食材をふんだんに使用した「土佐ラーメン」

 今や国民食として絶大な人気を誇る「ラーメン」。元々は中華料理店の一メニューに過ぎなかった麺料理が、戦後の屋台やラーメンに特化した専門店の登場によって進化していった。醤油や塩、味噌などの味のバリエーションはもとより、つけ麺やまぜそばなど表現も豊かになった。料理の世界で、これほどまでに様々な味やスタイルがあり、店ごとに個性がある料理はラーメンだけではないだろうか。

 同じ麺類の日本蕎麦やパスタと比べれば、その表現の差は歴然としている。日本蕎麦のつゆはほとんどが醤油味で鰹節などで出汁を取る。パスタは麺としての形状はラーメンよりも多岐に渡るが、ベースとなる生地の設計は大きく変わらない。しかしラーメンの場合は、麺もスープも具材も定義やルールのようなものが存在しない。ラーメンは地球上で一番「自由」な麺料理なのだ。

色々な料理の技法がラーメンに

『BISTRO coin』(京都市)のラーメンは、オマール海老を使ったビスクをラーメンで表現
『BISTRO coin』(京都市)のラーメンは、オマール海老を使ったビスクをラーメンで表現

 フレンチや日本料理など、他の料理の場合は技術や製法にある種の「定石」「ルール」が存在し、料理人のほとんどが独学ではなく修業を積むことで、その技術などが継承されて向上していく。最近ではフレンチにイタリアンのテイストを加えたり、和食と中華を融合させたような、いわゆる「フュージョン」が増えているが、そのベースにはそれぞれの料理の文化や技術が色濃く反映されている。

 一方、ラーメンの場合は料理経験や修業を積まずに独学で開業する人や、フレンチや和食の経験者などといった異業種や異ジャンルから参入してくる人も少なくない。結果として、独創的なアイディアや他の料理の製法がラーメンに採り入れられることで、ラーメンは急速に進化を遂げることが出来たと言えるだろう。

料理店の作るラーメンが増えている

『大重食堂』(福岡市)は居酒屋のランチ営業のラーメンが話題になりラーメン専門店へ
『大重食堂』(福岡市)は居酒屋のランチ営業のラーメンが話題になりラーメン専門店へ

 最近ではラーメン専門店ではない料理店によるラーメンも増えている。メニューの一部にラーメンを加えたり、ランチ営業だけラーメンを出していたり、今まで以上にラーメンが多様化している。その背景には売上げや知名度、話題性のアップや、通常営業で仕入れた食材を効率良く利用するなどの目的が透けて見える。しかし、そのような料理店が作るラーメンを食べて分かった事がある。そこには「ラーメン」と「ラーメンではない何か」の二つが存在しているという事だ。

 繰り返すが、ラーメンは定義やルールが存在しない自由な料理だ。それなのにラーメンではない何かが出来上がる不思議。修業や経験を積んだ、ある意味でラーメン職人よりも高い調理技術を持った料理人がラーメンを作れない謎。乾物や野菜だけで作ったラーメンもあれば、豚骨や鶏ガラを使っているのにラーメンになり得ていないものもある。同じ材料を使っていても、ラーメンとラーメンではないものが出来上がってしまうのだ。

トマトラーメンなのかトマトパスタなのか

『まんかい』(大阪市ほか)のトマトラーメンは、豚骨スープとトマトソースが見事に融合
『まんかい』(大阪市ほか)のトマトラーメンは、豚骨スープとトマトソースが見事に融合

 例えば、最近多くの店で提供されている「トマトラーメン」。トマトを使ったスープやソースと麺はラーメン以前にイタリアンのパスタが存在するため、食べる側の刷り込みや強烈なイメージがあり、ラーメンらしさを表現するのはことさら難しい。トマトのスープに中華麺を放り込んだからといって、それがトマトラーメンになるわけではない。逆に中華麺ではなくパスタ麺を使っていても、トマトパスタではなくトマトラーメンとして成立しているものもある。

 確かにラーメンには決まった形やルールが存在しない。しかし百年の中で培われてきた無形の「ラーメンらしさ」は確実に存在する。ラーメンではない何かには、そのラーメンらしさがない。ラーメンらしさとは極めて抽象的な概念でしかないが、スープの旨味や油脂の出方であったり、調味や塩度の割合であったり、スープと麺のバランスであったり、様々なポイントが複合的に絡み合い、丼の中に落とし込まれた結果が、ラーメンとラーメンではない何かの二つを作り出す。

ラーメンとラーメンではない何かとの境界線

 これまで何度となく異業種の料理店が作る「ラーメン」に失望してきた。経験のある料理人は、ブイヨンやフォン、和出汁などを上手に取れるかも知れないし、コンソメやポタージュ、お吸い物は美味しく作れるかも知れない。でもそこにただ麺を入れただけでは美味しいラーメンにはならない。それがフレンチや和食で表現するのではなく「ラーメンで表現する必然性」が重要になるのだ。

イタリア料理店『ZeCT byLm』(小川町)は、ラーメン経験もあるシェフが毎週土曜ランチにラーメンを創作する
イタリア料理店『ZeCT byLm』(小川町)は、ラーメン経験もあるシェフが毎週土曜ランチにラーメンを創作する

 ラーメンとラーメンではない何かとの境界線はどこにあるのか。乱暴かつ青臭い言い方が許されるのであれば、その料理人や店に「ラーメン愛」があるかないかではないだろうか。料理店が空いているランチタイムに、ラーメンが流行っているからラーメンでも出しておくか、というようなものにラーメンへの愛は無い。普段作っているブイヨンに麺を入れてチャーシュー乗せておけばいいだろう、というようなものはラーメンにはなり得ない。その料理人がプライベートでもラーメンが好きで良く食べているとか、ラーメン店が作れないようなものを作ってみたいとか、ラーメンへの特別な想いがあるかないかは、ラーメンを作る上で極めて重要かつ不可欠な要素ではないかと思うのだ。

 ラーメンは専門店だけのものではない。色々なお店でラーメンが食べられるようになることは、一ラーメンファンとしても嬉しい限りだ。しかしわがままを言わせて頂くならば、百年にわたるラーメンという食文化やラーメン職人達への一定のリスペクトがあって欲しい。ラーメンに愛のある人が作るラーメンを私は食べたい。

※写真は筆者の撮影によるものです。