日本初の8時間労働導入から100年のいま考える「そもそも時間管理って必要?」

(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

今から100年前の1919年10月1日、川崎造船所が8時間労働制を導入しました。これが日本における8時間労働の始まりと言われており、同社が操業していた神戸市には「八時間労働発祥之地」の碑があります。

「八時間労働発祥之地」の碑 (撮影:maririn-boo)
「八時間労働発祥之地」の碑 (撮影:maririn-boo)

実際は、それ以前から8時間労働制を導入していた会社が複数あったようです。それでも、川崎造船所の8時間労働制導入はそれまでの激しい労働争議の内容も含めて何度も新聞に取り上げられており、人々の記憶に残るエポックメイキングな出来事であったことは間違いありません。

その後、会社単位や職場単位で8時間労働制を導入する企業は徐々に増えていき、1947年の労働基準法施行により法的なルールとなりました。

とはいえ日本では、「8時間」は基本給に対応する最低限の労働時間であって、それに残業をプラスして仕事が成り立つ、というのが経営者にも労働者にも当たり前の感覚でした。

「残業ありき」の労働時間を見直そうという意識は、ここ数年の働き方改革の議論の中でやっと高まってきました。一方で、「労働時間と成果が比例しない現代の働き方に、法律による労働時間規制はなじまない」という意見もよく聞かれます。筆者も、これからはテクノロジーの発展や健康、高齢化の問題などが、労働時間に対する意識やルールを変化させていくと予想しています。

ここでは、世の中に広く8時間労働制が普及した経緯を振り返りつつ、今後の労働時間のあり方について考えてみましょう。

国際条約で「8時間労働」が規定されたのも100年前

1919年は、世界の労働問題を考える上でも大変に重要な年です。なぜなら、この年にILO(国際労働機関)が創設されたからです。

ILOの設立は、第一次世界大戦後のパリ講和会議で採択されたベルサイユ平和条約で取り決められました。当時は各国の労働者が搾取や貧困にあえいでおり、それが不安定な社会情勢につながっていました。世界平和を保っていくには、国際的なルールを決めてこれを改善していくことが不可欠だと考えられたのです。

同年の10月から11月にかけて開催された第1回ILO総会では、いくつかの条約と勧告が採択されました。その第1号条約が、「工業的企業に於ける労働時間を1日8時間かつ1週48時間に制限する条約」でした。

「8時間労働」を要求する世界的な流れと日本の動き

ILOの第一番目の条約が「1日8時間、1週48時間」という時間のルールであったのは、各国の労働者の長年にわたる運動の帰結です。

詳しくは「1日何時間働くべきか?8時間労働の歴史から考える」に記載しましたが、最初に「8時間労働」のコンセプトが生まれたのは、産業革命時代のイギリスです。子どもを含む工場労働者が1日に10時間を超えて働かされている状態を改善するために、「仕事に8時間を、休息に8時間を、やりたいことに8時間を」がスローガンになりました。これが他国にも伝わって労働時間短縮を求める運動が広がっていきました。アメリカでは1886年5月1日、シカゴを中心に労働者達が8時間労働制を要求する大規模なストライキを行い、これが「メーデー(労働者の日)」の起源となっています。

1800年代後半に8時間労働制の要求が盛んになった背景として、マルクス・エンゲルスが打ち立てた社会主義思想の広まりも重要です。初の国際的な労働者組織である第一インターナショナル、それに続く第二インターナショナルは、8時間労働制を含む労働者の権利獲得の戦いを世界の労働者に呼びかけました。そして、1917年に誕生したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国で初めて法律として8時間労働が規定され、1919年にはILO設立と8時間労働の条約化、という大きな流れになっていったのです。

日本の労働運動にも大きな影響

日本での8時間労働制要求の運動は、このような世界の潮流を受けての動きでした。当時はまだ治安警察法などを根拠に労働組合が弾圧されている時期でしたが、『ILOの創設と日本の労働行政』(吉岡吉典著 大月書店)によると、それまで年に5~15件程度だった労働組合の組成が1919年には71件と大きく伸び、労働争議の件数も前年の417件から2,388件へと飛躍的に増えたそうです。同書には、この労働運動の勢いを恐れ、組合の要求に先回りして8時間労働制を採用した経営者も少なくなかったという記述があります。当時の政府の調査によると、1919年11月末時点で全国で214工場が8時間労働制を採用したとのことです。

労働時間短縮に消極的だった国や経営者

一方で、国や多くの経営者は8時間労働制の導入に後ろ向きでした。

第1回ILO総会や、その前のパリ講和会議には日本の代表も参加し、労働時間の制限を含む国際労働法制について議論をしています。ところが、パリ講和会議の時点では、その場で労働問題が議題になること自体が日本にとって予想外だったようです。

ILOの方は最初から「労働者保護のための国際法を作る」という目的が明らかだったのですが、日本は国際社会での孤立を避けるために仕方なく参加したのであって、自国の労働者の権利を拡大しようという考えは全くなかったと見られます。日本の代表は「日本の産業は欧米ほど生産性が高まっておらず、労働時間が長くなるのはやむを得ない」といった主張をし、第1号条約に日本についての例外規定(第九条)を入れることに成功しました。それにより、日本の場合は1日の労働時間の規定はなく、週57時間(生糸工業は週60時間)まで認めるなどの譲歩がなされたのですが、日本は結局この条約を批准しませんでした。

日本が8時間労働を法制化するのは30年弱経ってからの1947年、労働基準法制定のときでした。しかし、労使協定による時間外労働も認められたため、実質的には機能していないルールでした。働き方改革による法改正で時間外労働の上限が決められましたが、それも「残業を減らそう」という意識にはつながっても、なかなか「8時間(残業ゼロ)で仕事を終わらそう」とはならないでしょう。

現代の仕事は8時間でも長い

「仕事に8時間を、休息に8時間を、やりたいことに8時間を」というスローガンはとても明快ですが、労働時間として「8時間」が適切かどうかを説明するものではありません。10時間以上働かせるのが当たり前だった当時の資本家や経営者にとって、ギリギリ譲歩できたラインが8時間だったのかもしれません。

最近では「6時間労働」の実験や実践をするところも出てきています。その結果、労働者の健康や生活の質、仕事の質に関しては良い結果が見えているものの、雇用者側にとってはコスト増、労働者側にとっては収入減が課題となることが多いようです。

個人的には、現代のホワイトワーカーにとっては8時間でも長すぎるのではないかと思います。それは、機械化やIT化、通信インフラの発達によって人間に求められる仕事がどんどん高度に、スピーディになっているからです。

昔は8時間かかっていたことが3時間でできるようになったとして、そのスピードで8時間も働き続けるのは無理があると思うのです。

パソコンもインターネットもなかった時代は、企画書ひとつ作るのにも社内の資料室や本屋や図書館に足を運んで調べ物をし、紙と鉛筆と定規を手に書類を作り、印刷室に行って印刷し、それを相手に届ける必要があれば封筒に入れて切手を貼って……という作業が生じていました。今なら、資料探しも書類作成もできあがったファイルを相手に送るのも、すべてパソコンの画面に向かったままできます。情報収集やメールのやり取りなどは、電車で移動中でもできてしまいます。

一見ラクになったようでいて、「息つく暇もない」という感じがします。昔の職場では、資料を探しにちょっと外出するとか、郵便物の切手を貼るとか、今ではムダと言われてしまうようなことが気分転換や脳を休める時間になっていたのではないでしょうか。頭を使わない作業や用事を済ますために社内を歩き回る時間が、同僚とのおしゃべりのきっかけになっていたかもしれません。

専門用語を使うと「労働密度(労働強度)が増す」と言いますが、頭を使わなくていい作業や「待ち」の時間がどんどんなくなって、仕事中は常に脳をフル回転させていなければいけないような状態になりつつあるのが、今のホワイトカラーの職場です。そんなことを8時間も続けられませんから、実際には個々人がそれぞれにボーッと休んでいたり、ダラダラと非効率に仕事をしている時間があるはずです。そのような息抜き・手抜きが苦手な人は、過労で心身の健康を害したり、生活が犠牲になったりする危険があります。

いずれ「時間管理」という概念は古いものに

8時間で長いなら、何時間労働が適切なのか? それは業務内容や個々人の状態にもより、一概に決められるものではないでしょう。

また、ホワイトカラーの仕事というのは、休日にも仕事のことを考え続けたり、仕事以外の活動が仕事の役に立ったりということがあって、いったいどこからどこまでが労働時間なのか明確にしづらい場合があります。やはり「労働時間を管理する」という考え方自体が合わないのです。

だからといって何も管理しないと、特に日本人は「働きすぎ」「働かせすぎ」になりがちです。そういう意味では、時間管理は「必要」です。そこで当面は、短時間勤務を標準にしたり、週4日勤務を取り入れて社員の疲労回復やワークライフバランスの向上を図ろうとする会社が増えるかもしれません。ただし、それによってさらに仕事のスピードが求められるようになってしまう可能性にも、気をつけなければなりません。

これから可能になる新しい労使関係の可能性

筆者の個人的な考えですが、将来的には「労働時間」ではなく会社による社員の「拘束時間」の上限を1日8時間などと決めた上で、働く時間帯や休憩のとり方を自由にするフレックスタイム制が理想ではないかと思います。社員は拘束時間の範囲内で自分で時間配分し、疲れすぎない働き方をする、というイメージです。

これを実現させるためのポイントは以下の2つです。

【ポイント1】

各社員の仕事の内容や成果について合意をしておくこと。それを頻繁に見直すこと。

予め成果の約束をしない状態で「好きなように働いてください」と言ったら、サボり放題になってしまいます。逆に高すぎる成果を約束させれば、長時間労働を免れません(今の裁量労働制や高度プロフェッショナル制度の問題と同じです)。

働いている本人の疲労度やメンタルの状態、仕事以外の活動とのバランスを見ながら、成果の質や量をこまめに調整し、労使間で合意し、それによって報酬も上下させるのです。同じ仕事量を、体力も時間もあって短期集中でできるAさんは1ヶ月でやり、親の介護をしていて時間のないBさんは2ヶ月でやる、ということを予め合意しておき、AさんにはBさんより多くの月給を支払う、というイメージです。

【ポイント2】

社員の心身の疲労度を随時モニタリングすること。

よく「過労死ライン」として「月に80時間を超える時間外労働は危ない」と言われますが、80時間超の残業をして問題が起きない人もいるように、仕事が心身の健康にどのように影響するかは、時間だけでなく様々な要因があります。しかし「様々な要因」というのは客観的に把握しづらく、時間以外にきちんと測定できるものがないために、時間で安全管理をする必要があるのです。

近い将来は、働く人の心拍数や脳波や睡眠の状態などのバイタルデータと、アンケートなどによる心理状態のチェックが、より簡単に頻繁にできるような技術、サービスが増えてくるでしょう。それにより、本人の状態を見ながら「今の仕事内容、働き方で大丈夫かな?」ということを確認し、調整していくということが可能になるはずです。

ポイント1はマネジメントや労使関係のあり方を変えること、ポイント2はテクノロジーの活用が必要になり、今すぐに実現するのは難しいでしょう。しかし、100年前に「8時間労働」が導入されたときと比較して、仕事の内容、人々の生活は大きく変わっているのです。労働時間というものをもっと根本的に見直しても良いときではないでしょうか。

【参考文献】