首都圏で導入相次ぐ「座れる通勤電車」――満員電車の“痛勤”回避へ変わりつつある人と企業――

京浜急行電鉄の座席指定列車「モーニング・ウィング号」の車内(筆者撮影)

首都圏の朝の通勤ラッシュは、“痛勤”という言葉で表現されるほど過酷なものだ。疲労により仕事のパフォーマンスが落ちたり、混雑ゆえのトラブルや事故に巻き込まれたりするケースもあり、生産性や健康などの観点からも見過ごせない課題だ。

通勤ラッシュは長らく都会の象徴のように思われてきた面もあり、首都圏で働く限りは「仕方がないもの」とあきらめてきた人も多いだろう。しかし最近はそこに疑問を持ち、“痛勤”を回避したいという思いで動いている人たちがいる。変わりつつある通勤の今をレポートする。

解消されない首都圏の“痛勤”問題

2016年9月、朝の通勤ラッシュで混み合う電車の窓ガラスが割れ、男子高校生が頭を切るけがをするという事故が起きた。東急田園都市線の電車が二子玉川-用賀間を走行中、複数の乗客がバランスを崩し、ドア付近にいた男子高校生が頭をぶつけた窓ガラスが割れたのだ。

割れたのは厚さ3ミリの強化ガラスで、2トンの重さに耐えられるものだった。事故の際にどれだけの重さが加わったのかは分からないが、被害者にとってはすさまじい体験だっただろう。事故を受け、東急電鉄は車両の窓ガラスをおよそ5トンの重さに耐えられる厚さ4ミリのものに交換すると発表している。しかし、そもそも強化ガラスが割れるほどの圧力で押しつぶされるような混雑をなんとかして、というのが乗客の思いだろう。

もちろん、何も対策がされていないわけではない。東京都は、2017年7月から通勤時間をずらして電車の混雑緩和を促進する「時差Biz」キャンペーンを開始した。各鉄道会社もこのキャンペーンに積極的に参加している。また、国も企業に呼びかけ、2020年の東京オリンピック開会式を予定している7月24日を「テレワーク・デイ」とし、始業から朝10時半までは出勤せずにテレワーク(在宅勤務など会社に出勤せずに仕事をすること)をして交通機関の混雑を緩和する取り組みを実施した。総務省の発表では、632の企業・団体が参加を表明し、6.3万人がテレワークを実施したという。

とはいえ、キャンペーンの参加企業の中には「試しにその期間だけやってみた」というところも多いだろう。会社として恒常的に社員の“痛勤”問題を解消できているところはまだまだ少ない。

昨年から相次ぐ「座れる通勤電車」の新規導入

出社はしなければいけないけれど、交通手段を変えることで“痛勤”を回避しようという個人の動きがみられる。

うまく利用できれば有効な選択肢となり得るのが、座席指定制の「座れる通勤電車」だ。

京王線の駅に貼られたポスター(筆者撮影)
京王線の駅に貼られたポスター(筆者撮影)

京王電鉄は2月22日から、同社初の有料座席指定列車「京王ライナー」の運行を開始。平日は20時~0時台に、新宿から京王八王子行きが6本、橋本行きが4本走る。乗車券や定期券とは別に座席指定券の購入が必要だが、400円と比較的手の届きやすい料金だ。

「京王ライナー」は帰宅時間帯のみだが、朝の通勤時間帯も含めて「座れる通勤電車」は以前から存在する。一番の老舗は小田急電鉄の「ロマンスカー」。もともとは観光用の有料特急としてスタートしたが、1960年代後半から定期券利用者でも特急券を購入すれば乗車可能とした。JR東日本は1980年代からさまざまな路線で「ホームライナー」を運行している。

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「座れる通勤電車」自体は目新しいものではないが、昨年と今年は首都圏だけでも、鉄道各社の新サービスのニュースが目立った。上の表の通り、「京王ライナー」のほかに、西武鉄道が昨年は「S-TRAIN」を開始し、今年3月には「拝島ライナー」を投入する。また、京浜急行電鉄の「モーニング・ウィング号」と「ウィング号」は昨年、座席定員制だったものを座席指定制にリニューアルした。

京王電鉄の広報部に「京王ライナー」開始の背景を聞いたところ、「他社も座席指定列車のサービスを始めるなか、乗客のニーズを感じていた。顧客満足度、競争力向上のために当社でも導入を決めた」とのこと。鉄道会社で「座れる通勤電車」導入の機運が高まっているのは、クロスシート(進行方向またはその逆を向いて並ぶ座席)からロングシート(窓を背にして並ぶ座席)への転換ができて通常の列車と兼用できる車両ができたこと、インターネットで座席指定券を購入できる仕組みなど、技術の進歩で導入コストが下がったことのほか、追加料金を払ってでも“痛勤”から逃れたいというニーズの高まりも大きいのではないだろうか。

「座れる通勤電車」に乗ってみた、静かでストレスの少ない80分

座れる通勤電車の乗り心地を、筆者も体験してみた。乗車したのは平日の朝7時56分に三浦海岸駅を発車する「モーニング・ウィング号2号」。事前に予約サイトで座席指定券を購入し、三浦海岸駅に向かった。

三浦海岸駅に到着する「モーニング・ウィング号」(筆者撮影)
三浦海岸駅に到着する「モーニング・ウィング号」(筆者撮影)

電車は8両編成だが、三浦海岸駅からは3号車にのみ乗車できる。発車時間近くになると、ホームの乗車口付近に十数人の人が並んだ。後で隣の席の乗客に聞いたところ、その多くが“常連さん”とのことだ。

京浜急行電鉄広報部によると、6時9分発のモーニング・ウィング号1号はほぼ満席、今回乗車した2号も8割ほどの乗車率だというが、この日は2人がけのシートに1人しかいない列も多く、東京に向かう朝の通勤電車とは思えない空間だった。

乗車したモーニング・ウィング号2号の車内(筆者撮影)
乗車したモーニング・ウィング号2号の車内(筆者撮影)

9時19分に品川、9時22分に泉岳寺に到着するまで1時間20分以上ある。途中で停車する駅が少ないこともあり、とても静かな時間が長く続く。乗車中に何をして過ごしているのか、居合わせた人に聞いてみたところ、「読書、当日の仕事のスケジューリング」(40代男性:会社経営者)、「睡眠、忙しいときはパソコンを開いて仕事」(30代女性:会社員)といった答えが返ってきた。パソコンで仕事をする場合、このようなクロスシートの座席なら画面が他人から見えづらいのが良い、というメリットも挙がった。

なぜ有料の座席指定列車を利用しているのかも聞いてみた。前述の男性は、以前は座って通勤するために朝5時台の電車に乗っていたそう。モーニング・ウィング号が座席指定制になったことで、以前よりもゆっくり家を出ても確実に座って行けることになったので、かなりストレスが減ったと語った。

もうひとりの女性は、現在妊娠中であることから座席指定列車を利用するようになったとのこと。帰宅の際も同じく座席指定の「ウィング号」に乗ることが多いそうだ。

「疲れにくくなる」「集中して仕事ができる」座席指定通勤のメリット

朝の座席指定列車に乗ってみて、普通の電車のラッシュアワー――たとえ座れたとしても左右の乗客と肩を寄せ合って身動きもできず、車内や駅のアナウンスが頻繁に耳に入ってきて、降りるときは覚悟をもって人をかき分けて行くような状況――がいかに心身を消耗させるものかがあらためて分かった。モーニング・ウィング号に1時間半ほど乗って駅に降りたときは、むしろゆっくり休めた、という感覚だった。

小田急ロマンスカー(筆者撮影)
小田急ロマンスカー(筆者撮影)

今回筆者が乗車したのとは別の、小田急線のロマンスカーで通勤する方々にも話を聞いた。やはり誰もが挙げるメリットに疲労の軽減がある。50代の会社員の女性は、「疲れにくくなり、帰宅後の就寝時間が遅くなった」という。

40代の大学教員の男性は、「ゆっくり眠ることもできるし、パソコンを持ち込めばかなり集中して仕事ができる」と、時間の有効活用になることをメリットとして挙げた。

なるほどと思ったのが「腰痛の防止」や「痴漢冤罪の防止」という意見。50代の大学教員の女性によれば、「満員電車で立って通勤していると腰痛などの健康障害を生じる可能性がある。それで医療費がかかるより、有料でも座席指定列車に乗ったほうが安上がり」だという。また、「痴漢の疑いをかけられる恐れがあることを考えると、満員電車は避けた方が良い」という意見もあった。

社長の体験がきっかけ 社員に「満員電車通勤禁止令」を出した会社

リスク防止につながるという考え方で社員の“痛勤”回避にいち早く動いた会社がある。

オトバンク代表取締役社長の久保田裕也氏(筆者撮影)
オトバンク代表取締役社長の久保田裕也氏(筆者撮影)

「都内での打ち合わせのため普段は乗らない朝8時台の電車に乗ったとき、とても混雑している車内で乗客同士のトラブルが起きた。こんなことに巻き込まれては大変だから、社員にはできるだけ満員電車に乗ってほしくないと感じた」

――こう語るのは、オーディオブック配信サービス「FeBe」を運営する株式会社オトバンクの久保田裕也社長だ。久保田社長のこの体験がきっかけとなり、同社は2016年10月に社内規定を改定し、“コアタイムなしのフルフレックス制度”(各自が自由に出退勤時間を決められる制度)を導入。社員には「満員電車通勤禁止令」を出し、時差出勤による心身の負荷軽減を図っている(取引先との打ち合わせなど、やむを得ない場合を除く)。

職住近接や自転車通勤 電車通勤を避ける動き

最近は、電車通勤そのものを避ける動きも増えている。

企業としては、会社から2駅以内の場所に住めば住宅補助を出して“職住近接”を奨励するサイバー・エージェントや、在宅勤務や各地にあるサテライトオフィスでの勤務を可能にし、不要な移動を削減するリクルートグループなどの施策が参考になるだろう。

都内のサイクルポート(筆者撮影)
都内のサイクルポート(筆者撮影)

自転車通勤も選択肢のひとつだ。都内では自治体の自転車シェアリング事業が拡大しつつある。現在は7つの区に300カ所以上のサイクルポートがあり、そのどこでも自転車の貸出・返却ができるため、平日の通勤時間帯の利用数が伸びているという。

交通費として通勤定期代を支給されている場合、自転車通勤は許可されるのか、という課題もあるが、スポーツアパレル企業のゴールドウィンやIT企業のはてな、建設コンサルタントのパシフィックコンサルタンツなど、社員の健康や環境意識の向上に寄与するものとして自転車通勤手当を支給するなど、制度化が進んでいる企業もある。

“痛勤”回避の動きは過渡期にすぎない 東京一極集中や一律の働き方の改善を

昨今の働き方改革ブームのなかで、通勤のあり方も見直す動きが、企業においても個人においても顕在化してきている。

「座れる通勤電車」や自転車シェアリングの利用者は今後も増加しそうだが、これらのサービスが活況を呈するのは一時的なことだと思いたい。各個人や各社が働き方を抜本的に見直せば、朝からみんなが同じ場所に集まらなければできない仕事というのは、もっと減るだろう。さらに、東京にいなければできない仕事というものも見直せば、自然豊かな場所で暮らす、高齢の親のそばで暮らす――といった、多様なライフスタイルの選択が可能になるはずだ。“痛勤”回避の動きは東京一極集中が解消されるまでの過渡期のもので、いずれは“痛勤”そのものがなくなることを期待したい。

【この記事は、Yahoo!ニュース 個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】