昨年12月、上海の中国共産党員の個人情報がインターネット上に大量に流出した事件が起きたことを覚えている方はいるだろうか? 

上海の外国公館、多数の中国共産党員が勤務 豪紙報道(日本経済新聞)

実際のところ、このリストに掲載された党員の多くは下っ端である。そもそも昨今の中国では、学校の成績がよければ入党をスカウトされるので、リストに名前が載っている人たちが「即、スパイ」というわけでもない。

だが、それでも外国公館(領事館など)や、日系企業を含む外国企業に勤務する党員の名前が大量に暴露されたことの衝撃は小さくなかった。日本でも保守系のネットユーザーを中心に、この流出事件はそれなりの話題になっていた。

■中国版アノニマスが仕掛けた体制攻撃

しかし、この共産党員リストが誰によって、いかなる目的から流出したかは、これまで報じられてこなかった。結論を先に書くなら、流出を仕掛けたのは「悪俗圏 è sú quān」と呼ばれる、反体制的なハッカー・グループの一部関係者だ。

2020年12月に流出が報じられた上海の中国共産党員リストの一部。
2020年12月に流出が報じられた上海の中国共産党員リストの一部。

彼らはゼロ年代終盤に盛り上がっていた中国国内のネット大規模掲示板『百度貼吧』のカテゴリー(日本の『5ちゃんねる』でいう「板」に相当する)をルーツに持つ若いネットユーザーたちで、現在は中国国内を中心に日本やアメリカ、オーストラリアなどにメンバーやシンパが散らばっている。

日本人に理解しやすく説明するなら、話題になった国際ハッカー集団の「アノニマス」や、外交公電などの機密文書を匿名で暴露する『ウィキリークス』運営組織などの中国版である。ハクティビズム(ネット上でハッキングを通じて政治的・社会的な主張や抗議をする思想)にもとづいて行動するサイバー秘密結社と言ってもいい。

彼らは多くが10〜20代と非常に若く、悪ふざけ的なノリが特徴だ。従来の中国民主化運動や、法輪功のような反共団体ともほとんど接点がない。しかし、中国共産党体制に強い反感を持って活動し、主にハッキングとドキシング(不正に入手した他人の個人情報を晒すこと)を通じて体制への攻撃を続けてきた。

私は2月6日付けで『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)という書籍を刊行する。もともとは悪俗圏についても、書籍のなかで紹介する予定だったのだが、他の秘密結社と比べて大幅に毛色が違うことと紙幅の問題から掲載を見送った経緯がある。そこで今回の原稿で紹介してみる次第だ。

■習近平の娘の携帯番号に「電凸」殺到

昨年末の上海の下っ端の党員名簿の公開は、悪俗圏の行動のなかでは氷山の一角にすぎない。なぜなら2018年ごろから、悪俗圏は中国共産党や香港政府高官・香港警察などをターゲットにしたドキシングを続けてきたからである(なお香港関連のドキシングについては、2019年6月の香港デモの初期段階で中国大陸の悪俗圏が香港のアングラネットユーザーに技術を供与した模様である)。

過去、悪俗圏によるドキシングのターゲットにされた「大物」には、たとえば外交部報道官の華春瑩や、習近平の腹心・蔡奇の息子である蔡爾津、さらには習近平の愛娘である習明澤などがいる。たとえば2019年7月ごろに公開された習明澤の個人情報は以下の通り

だ。

習近平の娘・習明澤とされる顔写真と身分証番号(モザイク付き)。悪俗圏によって暴露された。
習近平の娘・習明澤とされる顔写真と身分証番号(モザイク付き)。悪俗圏によって暴露された。

【名前】楚晨

【IDカード番号】110××××920××××74X

【住所】杭州市西湖区宝石二路××苑××棟××××号室

【パスポート番号】G3572××××

【香港マカオ通行証番号】C687××××X(二〇一七年発行)

【携帯番号】138×××××22

【メール】17491×××××@qq.com

「これらの情報はすべて事実です。“楚晨”は、習明澤が普段名乗っている名前ですよ。携帯電話番号がネットにさらされた後、習明澤にイタズラ電話を書けるやつが続出したそうです」

私が2019年末に日本国内で取材した中国人留学生Aはこう話す。習明澤の個人情報が掲載されたのは、悪俗圏系の『蜘蛛』や『シナウィキ』(支納維基、2019年10月17日に停止)といった反体制サイトだ。Aはこのうちで『シナウィキ』の運営関係者である。

悪俗圏によるドキシングは、これまで『シナウィキ』をはじめ、『悪俗ウィキ』『紅岸基金』『蜘蛛』などの複数のサイトや「テレグラム」(匿名性の高いロシア製メッセージアプリ)のチャンネル内でおこなわれてきた。特に『シナウィキ』は、記事の編集権を持つログインメンバーが3000人、1日のPV数が4万件という、アングラサイトとしては小さからぬ規模を誇り、中国国内のアングラ系ネットオタクの間では有名なサイトになっていた。

■「主犯」の天才ハッカーは懲役14年

悪俗圏系のサイトや、そこから派生したテレグラムチャンネルの最大の特徴は、中国共産党の幹部やその家族の本名・民族区分・出身地・現住所・IDカード番号・電話番号といった個人情報を、顔写真付きで大量に暴露していることだ。

2019年末ごろに悪俗圏系のテレグラムチャンネル「楚晨展覧館」で暴露されていた中堅共産党員(人民日報副編集長)の個人情報。身分証番号と住所がさらされている。
2019年末ごろに悪俗圏系のテレグラムチャンネル「楚晨展覧館」で暴露されていた中堅共産党員(人民日報副編集長)の個人情報。身分証番号と住所がさらされている。

しかも、すくなくとも上記の習明澤の個人情報については、おそらく真実の情報だったと考えられている。中国では2019年10月ごろから福建省・河北省・広東省・広西チワン族自治区などの各地で、サイトを閲覧しただけの人も含めて24人が逮捕され、なかでも主犯とされた牛騰宇という20歳の青年には懲役14年という重刑がくだされている。

「牛騰宇はTypcnというハンドルネームで、中国でも有数のハッカーとして知られていた人物。まだ10代だった2016年に、アリペイのシステムバグを見つけだしたことで、中国のギークの間では一躍有名人になりました」(前出、A)

■習近平夫人の彭麗媛、激怒か?

もっとも、アメリカのRFA(ラジオ・フリー・アジア)広東語版が、『シナウィキ』と『悪俗ウィキ』創始者の肖彦鋭のコメントを紹介する形で2021年1月28日に報じた記事によれば、習明澤を対象にしたドキシングを最初に仕掛けたのは、実はアメリカに本拠地を置く別の悪俗圏サイト『紅岸基金』を運営するグループだったとされる。

2019年に日本を訪れた牛騰宇(中央)と、それを迎えた日本在住とされる肖彦鋭(右)。
2019年に日本を訪れた牛騰宇(中央)と、それを迎えた日本在住とされる肖彦鋭(右)。

牛騰宇は『悪俗ウィキ』系のハッカーなので、懲役14年を受けた件については冤罪だともいうのだが、さておき習ファミリーを明確にターゲットに据えて実害を与えた悪俗圏が無事で済むはずもない。特に娘を攻撃された彭麗媛(習近平夫人)が激怒しているとする情報もあり、中国公安部は容赦ない摘発をおこなっている。

2020年12月に発生した上海の共産党員リストの大量暴露についても、牛騰宇らが逮捕されて力を大幅に落とした悪俗圏の残党が起こしたもののようだ。情報の流出経緯はハッキングのほかに、公安など内部のビッグデータにアクセスできる立場にあるものの、給料が安い下っ端の人間が、わずかな報酬と引き替えに売り渡すケースもある。

2017年11月、アメリカのトランプ大統領(当時)婦人メラニアを北京で出迎えた彭麗媛。中国では国民的歌手としても知られる人物である。
2017年11月、アメリカのトランプ大統領(当時)婦人メラニアを北京で出迎えた彭麗媛。中国では国民的歌手としても知られる人物である。写真:ロイター/アフロ

もっとも、悪俗圏は中国の伝統的な反乱勢力やテロ組織とは異なり、内部に明確な規約や指揮命令系統が存在せず、ハクティビズムと反権威主義を共有する若者たちがゆるい同胞意識でつながっている集団である。

ゆえに、悪俗圏の主要なリーダーの一人だとはいえ、牛騰宇だけを逮捕したところで抑止効果は薄い。技術とパソコンを持っている人間が誰か一人でも、世界のどこかに逃れてインターネットに接続してさえれば、ドキシングは止まらないからだ。

■サイバー監視大国・中国の落とし穴

ご存知の通り、中国では2017年ごろから社会のスマート化が大幅に進展したが、これとともに起きたのが徹底した監視社会化だ。いまやあらゆる国民の名前・IDカード番号・顔写真・住所・電話番号・銀行口座などがすべて紐付けられた形で当局に把握され、データベース化されている。

現在、中国人が飛行機や高速鉄道で移動したりホテルに泊まったりする際は、ICチップ入りのIDカードの提示義務がある。IDカードの読み取りデータは各施設から公安局に提出されるため、当局は国民一人一人の移動データもすべて把握できる。

さらには特定の監視・捜査ターゲットに対しては、本人と紐付いた番号の携帯電話のGPS追跡や、街中の監視カメラを通じた顔認証技術による通行人追跡などもおこなうことが可能だ。

中国の監視カメラネットワーク「天網」の画面とされる画像。AIと顔認証機能を組み合わせている。
中国の監視カメラネットワーク「天網」の画面とされる画像。AIと顔認証機能を組み合わせている。

だが、「監視社会先進国」である中国の国民監視網は、ハッカーによるハッキングや内部からの情報のリークに対しては思いのほか脆弱だ。悪ふざけ半分で体制に嫌がらせをおこなったオタクの集団に、中国共産党と習近平ファミリーは思わぬ恥をかかされ続けている。

現在も獄中にいる牛騰宇や、RFAによれば日本国内に在住しているとされる悪俗圏リーダーの一人である肖彦鋭らに対しては、今後に中国当局からの強烈な報復がおこなわれる可能性が非常に高い。事態の行方を注視したいところだ。

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著者の近著、『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)は2月6日刊行、『「低度」外国人材  移民焼き畑国家、日本』(KADOKAWA)は3月2日刊行です。