コンビニ商品「多言語化」への批判が映し出す差別 「排他の思想」から多様性を守るために

筆者撮影

 牛乳のパッケージには簡体字(中国語)とハングル(韓国・朝鮮語文字)で商品名が併記されていた。

 コンビニ大手のローソン(本社・東京)では、この春からPB(プライベートブランド)商品の一部で、商品名の多言語表記を始めた。牛乳、食パン、豆腐など、いわゆる「白物」と呼ばれる食品を対象として、従来の日本語・英語併記以外に、前述した2か国語も加えられたのである。

 多言語表記はいまや社会の趨勢だ。街中の案内板や鉄道機関をはじめ、各所で外国語の併記が進められている。インバウンド対策であることはもちろん、在留外国人数が300万人にも迫る現在、多言語表記は単なる配慮というよりも、多国籍の日本社会を生きるうえで必要な責務ともいえよう。

 ところが──。差別と排他な気分に満ち満ちた者たちが、こうした動きに横槍を入れる。

 コンビニ商品の多言語表記もまた、差別主義者たちの理不尽な攻撃を受けることになった。

ヘイトスピーチと地続きにある多言語表記批判

 ローソンがPB商品のデザインをリニューアルしたのは今年3月のことだ。全体的にシンプルかつナチュラルな雰囲気に仕上げられ、ネット上では「ゆるふわ」「かわいい」「優しい感じ」といった消費者の好意的な"声"も少なくない。

 そうしたなかでも注目を集めたのは、前述の「白物」食品である。

 こげ茶色の明朝フォントで記された商品名は、いずれも4か国語表記。

 たとえば食パンだ。「WHITE BREAD」「毎朝の食パン」と日英両語の商品表記に続き、簡体字とハングルがやや控えめな形で併記されている。

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 豆腐や納豆のパッケージも同様だ。

 多国籍化が進む社会に合わせた試みは、企業のあるべき姿勢として率直に評価したい。多様性を捉えることのできる視界の有無は、今後、企業の社会的価値を計るうえで重要な判断材料となるはずだ。

 一方、こうした流れを認めたがらない者たちもいる。

 上記の多言語表記商品がコンビニの棚に並べられた直後から、ネット上ではこれを嫌悪、罵倒するような書き込みが目立つようになった。

<気持ち悪い>

<ハングルが付いている食品はそれだけで心理的に受け付けない>

<反日>

<韓国に媚びるのか>

<中韓に魂を売るな>

 わざわざ商品の写真を掲げたうえで「もう買わない」と宣言したり「不買」を呼びかける書き込みも散見できる。

 こうした"主張"を丹念に拾っていくと、ある共通点が浮かび上がる。

 そう、嫌韓嫌中というお定まりの差別意識だ。書き込みの主は多言語表記そのものを攻撃しているわけではなく、少なくとも英語表記に関しては何ら言及がない。嫌悪の矛先が向けられるのは、あくまでも中国語とハングルなのだ。

 まさにヘイトスピーチと地続きの罵詈雑言ではないのか。

「すべての人の利便性を」社会の多国籍化に対応するコンビニ

 商品の多言語表記を「利便性を考えたうえでのこと」だと説明するのはローソン広報部の担当者。

 同社では2015年から商品名の英語併記を進め、今春のデザイン一新に合わせて一部商品で表記言語を増やした。

 「コンビニはあらゆる国の方々がお客様として利用してくれる。なかでも中国や韓国の方が多いのも事実。商品の多言語表記はそうした方々にとっても利便性につながると信じています。手に取った商品が何であるのか、形状だけでなく文字としても確認できるのは、大事な情報の一つではないでしょうか」(同)

 一方、多言語表記が、いわゆる"ネトウヨ"などから非難の対象となっていることについては、「様々なご意見があることは承知しているが……」と当惑したような声を漏らす。

 「あくまでも念頭にあるのは、すべての方とっての利便性です。外国人客の利用が多いのであれば、そこに対応させていただくのもコンビニの役割だと思っています」(同)

 実際、ローソンが進めているのは商品の多言語化だけではない。外国人集住地域の店舗では主要客層に合わせて、「母国」の調味料や食品などを並べた専用コーナーを設け、地域の国際化にも対応している。

 客だけではない。都市部では外国人従業員の数も多い。日本語にまだ不慣れな従業員でもレジ業務がこなせるように、多言語対応のPOSレジも導入した。

 コンビニと外国人は「ともにある」関係なのだ。

電車内や工事現場の表記も標的に 多言語批判を放置できない理由

 これは何もコンビニに限定した話ではなかろう。

 日本はもうじゅうぶんに多国籍国家だ。大阪市の人口(約270万人)を優に超える外国人が、日本人とともに地域を支えている。現在、訪日外国人客は激減しているが、それとてコロナ禍が収束すれば、観光市場は活況を取り戻すに違いない。

 だからこそ様々な場所で多言語表記が増えているのだ。

 そもそも多言語表記の何が問題だというのか。どんな支障があるというのか。

 "多言語表記叩き"はいまに始まったことではない。

 地下鉄車内の電光表示板も、導入当時より多言語が批判の対象となっている。「必要ない」「迷惑」、あるいは「ハングルが気持ち悪い」といったネットの書き込みは後を絶たない。難癖といってもよいだろう。

 ネット上にアップされた中国語とハングルが併記された工事看板の写真に、「日本が侵略された」とコメントを書き込むネットユーザーもいる。

 "多言語批判"の体裁をとりながら、結局、攻撃の矛先は隣国や在日外国人にも向かう。先にも触れた通り「嫌韓嫌中」の意識が地下鉄にも牛乳にもぶつけられているのだ。

 多様性という社会の風景は、排他の思想によって、くすんだ色に染め上げられる。

 今後も社会の多国籍化は進む。すでに外国人の存在なくして私たちの生活は成り立たない。ともに支え合って生きている。

 それゆえに放置できないのだ。人間が生み出し、歴史の風雪に耐えた「文字」への理不尽な攻撃を、"よくあるクレーム"だとして片づけるわけにはいかない。

 どんな理屈を持ち出そうとも、攻撃を促しているのは差別と偏見に違いないのだから。