Yahoo!ニュース

内田篤人の日本代表74試合目と、昌子源と、鹿島ラストマッチと。

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
2015年3月31日、ウズベキスタン戦の試合終了後。“鹿島組”で記念撮影(写真:アフロ)

 2015年3月31日、味の素スタジアムで行われたウズベキスタンとの国際親善マッチ。この日が日本代表74試合目だった右サイドバックの内田篤人(当時シャルケ)は、代表初キャップとなった右センターバックの昌子源(当時鹿島)に「困ったら俺にパスを出せ」と声を掛けた。

「(昌子)源が初めてだったので、気を遣いながらやっていました。ウズベキスタンの前線は大きかったけど、対人は慣れが大事。源はそんなにタッパ(身長)はないけど、タイミングさえ合えば大丈夫。俺だってちっちゃいけど、今日は負けなかったから」

「でも、気を遣うというのは、変に助けるというのではないですよ。いつもどおりにやればいいかなと思っていたし、ある程度無理をさせたらどうなるのかなというのもありました。僕が高めに行って、センターバックのあいつに1対1をやらせたらどうなのかという。それで困ったら、俺にパスを出せ。困ったら俺のところにぶつけてくればいい。俺に敵がいてもいいから出せ。そう言いました。僕も代表デビューのときは(中澤佑二選手から)そう言われましたからね」

 内田はすっかり“良き兄貴”になっていた。先輩から受けてきた事への恩返しでもあった。

■右膝の痛みは限界に達しつつあった

 2014年ブラジルワールドカップでは、苦しむ日本チームにおいて出色のパフォーマンスを披露した内田だが、無理を押して出た代償は大きかった。右膝が悲鳴を上げた。

 内田は、2010年南アフリカワールドカップで「二度としたくない」という経験をしている。岡田武史監督(当時)に2009年からレギュラー起用されながらも、厳しい戦いの中でコンディションを落とし、本番では1試合も出ることができないまま、日本の戦いは終わった。

 南アフリカの前から「サッカーができるのは10年くらいかな」とつぶやいていたこともある中で、だからこそブラジルでは、何があろうと絶対にピッチに立ちたいという執念を3試合に凝縮した。ブラジルでの戦いを終えてから引退をほのめかしたのは、それほどひどい痛みだったためかもしれない。

2009年南アフリカ遠征。ポートエリザベスで合宿を張った日本代表は地元の子供たちと交流(撮影:矢内由美子)
2009年南アフリカ遠征。ポートエリザベスで合宿を張った日本代表は地元の子供たちと交流(撮影:矢内由美子)

 それでも、同年11月のホンジュラス戦でハビエル・アギーレ監督(当時)から招集を受けて代表に復帰したときは、うれしそうだった。

さらに、アギーレ氏が辞任し、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督(当時)に交代した直後の3月には、ハリル初陣となる国際親善試合に招集され、勝利こそ是であるという新監督の姿勢に共鳴していた。

「合うね。合うというか、勝ちに徹するというか、そういうところは共感する部分がある」

 こうして迎えた3月27日のチュニジア戦は、内田の27歳の誕生日だった。国際Aマッチウィークに招集されている期間中に誕生日を迎えるのは、当時の内田にとっては毎年の決まり事のようなものだったが、誕生日当日に試合があったのは初めてだった。

 そのことを報道陣から聞くと、「あれ? そうでしたっけ? 試合の前半に24歳で後半に25歳になっていたことがあったはずだけど」と首を捻った。

 確認すると、2013年3月26日に敵地で行われたブラジルW杯アジア最終予選vsヨルダン戦のことを指していた。キックオフは現地17時で、日本は23時。当時はドイツのシャルケでプレーしていた内田だが、頭の中にはいつも日本時間が併記されていたのだった。

「27歳。年相応の男になりたいです」との決めぜりふを残して、チュニジア戦の取材エリアから去って行った。

■「鹿島の仲間とは長くやりたいですから」

 その4日後の3月31日に行われたウズベキスタン戦。代表デビューの昌子とともに先発した内田は、膝痛の影響もあり、前半でピッチを退いた。

「膝? 諦めている」

 ちらりとそんな言葉も口にしていた。でも、ハッキリとこう言った。

「(昌子)源は頑張っていましたね。この後、呼ぶかどうかは監督が決めることだけど、僕はやっぱり鹿島の仲間とは長くやりたいですからね。サコ(大迫勇也)もそう、柴崎(岳)もそう」

 この時、これが内田の最後の日本代表戦になると想像した者がいただろうか。

 2020年8月23日。内田は現役ラストマッチをカシマスタジアムで迎える。相手のガンバ大阪には代表デビュー戦で「困ったら俺にパスを出せ」と言われたことを今なお胸に刻んでいる昌子がいる。

2010年南アフリカワールドカップ。日本代表がキャンプを張ったジョージで、地元の子供たちと触れあった。手前が内田篤人(撮影:矢内由美子)
2010年南アフリカワールドカップ。日本代表がキャンプを張ったジョージで、地元の子供たちと触れあった。手前が内田篤人(撮影:矢内由美子)
サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

矢内由美子の最近の記事