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変貌し続ける原口元気。ドリブラーからハードワーカー、そしてFKキッカーへ

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
進化を求め、変化をいとわない。それが原口元気(写真:アフロ)

 浦和時代はバリバリのドリブラーだった。ロシアW杯ではハードワーカーへと変貌した姿で戦った。そして今、原口元気が再びの変化、いや進化を遂げつつある。

 11月14日にアウェイで行われたカタールW杯アジア2次予選のキルギス戦。6月9日の親善試合エルサルバドル戦(宮城スタジアム、2-0)以来、8試合ぶりに先発した原口が直接FKを鮮やかに決めた。

 南野拓実のPK弾で1-0とリードしていた後半8分、バイタルエリアへ持ち上がった遠藤航が倒されて得た直接FKのチャンスで、キッカーに名乗り出たのが原口だった。

 距離はゴール正面約25メートル。直接決めるにはやや遠目の位置だったが、原口に迷いはなかった。GKがファーを意識する中、原口は腰をくねりと曲げてニアを狙い、右足を振り抜いた。ボールはワンバウンドしてゴールに吸い込まれ、2-0。キルギスのダイナミックな攻撃に押し込まれる場面も多く、1点のリードではセーフティーとは言えない展開だっただけに、貴重な追加点だった。

キルギス戦の前日練習にて。左が原口元気、中央は遠藤航(撮影:矢内由美子)
キルギス戦の前日練習にて。左が原口元気、中央は遠藤航(撮影:矢内由美子)

■「練習していなかったらあのコースには蹴れない」

 原口はちょうど1年前の18年11月にあったキルギスとの親善試合でも直接FKを決めている。しかし、そのときの得点は、自身を上に押し上げる確かな価値を持つものになるかどうか未知数だった。原口自身、ボールの質が低かったと自分を評価していなかったし、GKのミスがあっての得点だった。所属のハノーファーで得点を挙げることにもつながらなかった。

 ただ、原口の直接FKは意外だった。高校2年生でプロになって以来、直接FKで点を入れたことはなかったのだ。それに、浦和時代はドリブルからのアタックに全勢力を注ぎ込んでいるのが明らかだった。

 そんな原口がいつの間にかFKを自分の武器にすべく練習に励んでいたことには驚かされた。それから1年。今回のキルギス戦後は、「練習はずっとしていた。練習していなかったらあっち(ニアに巻くコース)には蹴れない。練習しているからあのコースは自信があった。やっていて良かった」と、心底満足げだった。

 原口によると、ハノーファーで練習しているとチームメートから「入んねえだからやめろよと茶化される」そうだ。それでも続けてきたからこそ、「ようやく形になった」と微笑むことができた。

「去年は納得いかなかったけど、今回はある程度良いボールを蹴れた」と話すように、今後への手応えもつかんでいるようだった。

笑顔も見られた原口元気。左は吉田麻也、背中は長友佑都(撮影:矢内由美子)
笑顔も見られた原口元気。左は吉田麻也、背中は長友佑都(撮影:矢内由美子)

■プロ入り後、2度目の変貌

 プロになってから“2度目の変貌”だ。

 若い頃からアルベルト・ザッケローニ元日本代表監督に目を掛けられて20歳だった11年10月7日の親善試合ベトナム戦で国際Aマッチデビューを果たした原口だが、14年ブラジルW杯は落選。すると、その夏に浦和からドイツへ渡り、走りを含めたフィジカルを一から見直し、90分間走りきった後のアディショナルタイムでもロングカウンターを繰り出せる驚異のスタミナを身につけていった。もともと代表招集時に長友佑都の“体幹塾”に入ってコアを鍛えていたことも継続し、強靱な肉体を手に入れることも怠らなかった。

 ヴァヒド・ハリルホジッチ元監督の時代は発足当初は構想に入っていなかったが、ロシアW杯アジア最終予選が始まって相手チームの強度が増したタイミングからレギュラーの座をつかんでいった。その要因は「ハードワーカー」として変貌を遂げていたことである。

 ハリルが去った後もこの強みは生きた。原口は西野ジャパンとして出場した18年ロシアW杯では中心選手のひとりとしてベスト16入りに貢献した。

 ところが、22年カタールW杯に向けて再スタートを切った昨年。新たに発足した森保ジャパンが攻撃的MFの“ファーストチョイス”としたのは中島翔哉、南野拓実、堂安律だった。

 若い3人の破壊力はすさまじく、イケイケどんどんの攻撃でゴールを量産する姿は勢いにあふれていた。ベンチで3人のプレーを見ながら「才能のある選手がいる。あんな良いプレーが日本代表で見られるのは、そうそうない」と話していたように、原口も気圧されるほどだった。

 しかし、そこで気持ちをしぼませることなく、次の武器を身につけようと努力するのが原口である。FKについてはロシアW杯前から習得の意欲を持っていたが、今の日本代表に、かつての中村俊輔や遠藤保仁、本田圭佑のようにFKから直接決める絶対的なプレイスキッカーがいないことも“狙い目”と思った理由だろう。実際、昨年11月に原口が決めたFK弾は13年9月6日のグアテマラ戦(○3-0)で遠藤保仁が決めて以来、実に5年2カ月ぶりのものだった。

■「もう1、2本決まり始めれば…」

 FKという新たな一面を加えつつある原口だが、持ち前のハードワークも健在だ。

 今回のキルギス戦では、相手の右サイドの攻撃が強力だとのスカウティングから、長友佑都との縦のコンビとして何度でも攻守の切り替えをできる原口に先発の役割が巡ってきたという側面がある。

 森保監督は「(キルギスの)2番(3バックの左ストッパー)の選手が起点になって大きな展開をすることは分析の中でキルギスのストロングポイントだということが分かっていた」と言い、「原口に関しては自チームで常に試合に出ているし、コンディション的にも良いということで起用させてもらった」と意図を語っていた。

 これについては原口も、「試合前日から先発することが分かっていたので久々でメラメラしていた」と燃える闘志で応えていた。

 今回のFK弾は、森保ジャパンでの先発争いに本格的に加わっていくための一里塚にもなるだろう。

「あのコースは壁に関係なく狙い通りだった。球種も練習しているもので、自信があった。チームが勝つという大前提の中で、僕は前の選手なので、こういうアジアの相手に対してはゴールを決められるかどうかが大事になる。ひとつ結果を出して、ここからもう一度ポジション争いに臨んでいける。僕にとって大事な1点だったと思う」

 監督交代があったばかりのハノーファーで蹴る機会が増えそうだという見通しも口にしている。

「これからチームでも蹴れると思うし、代表でもチャンスがあればもちろん蹴る。もう1本、2本、決まりだしたらちゃんと武器になると思う。とにかく練習だけは続けたい」

 変貌を遂げるための柔軟な思考と、何があろうと自分で決めたことを継続する力が原口にはある。2列目のポジション争いに新たな風が吹き始めた。

キルギス国立競技場で公式練習に臨んだ日本代表。原口元気(右)は先頭を走る(撮影:矢内由美子)
キルギス国立競技場で公式練習に臨んだ日本代表。原口元気(右)は先頭を走る(撮影:矢内由美子)
サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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