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【体操】三代目ハイバーマスターはI難度 スーパーマン宮地秀享(前編)

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
2017年世界体操選手権で後に「ミヤチ」と命名される大技を成功させた宮地秀享(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 豪快でスリリング。体操男子の華である鉄棒で勝負する宮地秀享(茗溪クラブ)は、最高I難度の超大技「ミヤチ(伸身コバチ2回ひねり)」を操る名手にして、東京五輪の種目別金メダルを目指すスペシャリストだ。2018年秋に“三代目ハイバーマスター”を襲名した24歳は、夢をがっちり掴むべく、きょうもバーを掴んで離さない!

 勝負技は、A難度から数えて9段階上にあたるI難度の「ミヤチ」。世界の誰もが舌を巻く超高難度の技を、清流がごときスムーズな動きで決めるのが宮地だ。

 バーを超えながら空中で2回宙返りをして再びバーを掴む離れ技を、全身をピンと伸ばした姿勢で行なう神レベルの技。2015年世界選手権種目別鉄棒で金メダルを獲っている内村航平が「僕には考えられない」と驚嘆するほどである。

左の頬にある四個のほくろがチャームポイント。笑顔は四つ星級(撮影:矢内由美子)
左の頬にある四個のほくろがチャームポイント。笑顔は四つ星級(撮影:矢内由美子)

■筑波大3年の冬、G難度からI難度まで一気に飛躍

 体操を始めたのは3、4歳の頃。愛知県半田市成岩(ならわ)町の「ならわ体操クラブ」に、先にやっていた姉や近所の友達とともに通い始めた。全日本ジュニアなどで活躍し、高校は福井県の強豪・鯖江高校へ。2013年に筑波大に進み、現在は同大学院の博士課程後期で研究を続けている。

 バーから手を離して空中に飛び出す姿がまるでスーパーマンのような宮地だが、子供の頃は鉄棒がさほど得意ではなかったという。

 最初に得意だった種目は平行棒やあん馬。けれども、鉄棒には魅せられていた。

「やっぱり鉄棒が一番派手で、見ていても分かりやすい種目。大学に入ってから、どうにか僕もやってみたいという思いが出てきて、いろんな技に挑戦し、できるようになっていきました」

 宮地は元々、G難度の「カッシーナ(伸身コバチ1回ひねり)」が得意だった。その中で一気にI難度までジャンプアップする転機となったのが、大学3年の冬に肩を手術した時期。肩とともに両ヒジも痛めてあん馬の練習ができなくなったこの頃、鉄棒のスペシャリストとして勝負することを視野に入れるようになったという。

 ここでまず挑戦したのが当時の最高難度であるH難度の「ブレットシュナイダー(コバチ2回ひねり)」だった。ちょうど約1年前の2014年12月に、ドイツ人のアンドレアス・ブレットシュナイダーが初めて成功させ、その名がついていた。

「最初は全くできなかったのですが、ブレットシュナイダーさんの映像を見てめちゃめちゃ研究していくうちに“こういうやり方でやっているんだ”というのが分かり、そのうちに自分なりのやり方を見つけて、ようやく掴めるようになりました」

「ブレットシュナイダー」ができるようになっただけでも凄いが、もっと驚くのはその後。「ブレットシュナイダー」を伸身姿勢(ミヤチ)でできるようになるまでは、あっという間だったというのだから驚異的だ。

「『ミヤチ』は結構すぐにできましたね。でも(出来映えが)汚くて、試合で使えるレベルでもなかったんです。だから2年間ぐらいは放置していました」

鉄棒に触れる宮地(撮影:矢内由美子)
鉄棒に触れる宮地(撮影:矢内由美子)

■2年後、再び「ミヤチ」の完成に取りかかる

 2016年秋を最後に、筑波大体操競技部としての公式戦が終了した。こうして宮地は、2017年春に筑波大を卒業して同大OBが所属する茗溪クラブの一員になるのを境に個人の取り組みにウェートを置くようになり、再び「ミヤチ」に取り組むようになった。そして、ものにした。

 その後は右肩上がりに成績を伸ばしていった。2017年の全日本種目別選手権で内村に続く2位に躍り出ると、2017年モントリオール世界選手権の種目別決勝では、演技の冒頭で世界初の大技を見事に成功させ、国際体操連盟(FIG)から「I難度ミヤチ」と認定された。

 さらに、2018年には念願の全日本種目別選手権優勝を果たす。個人総合の選手で組んだドーハ世界選手権の団体メンバーには入らなかったが、種目別選手権の結果でW杯出場権を獲得。それ以降も着実な前進を見せている。

 「ミヤチ」の成功率そのものも上がっている。2017年には「50%くらい」と話していたが昨年からほとんど落下することがなくなり、それによって東京五輪の個人枠での出場権獲得につながるワールドカップ(W杯)で好成績を続けている。

鉄棒が得意になったのは筑波大学に入ってからという宮地(撮影:矢内由美子)
鉄棒が得意になったのは筑波大学に入ってからという宮地(撮影:矢内由美子)

■“二代目”齊藤から「あとは任せた」と託され

 “三代目”としてハイバーマスターの称号を受け継いだのは2018年の福井国体の時だ。二代目である齊藤優佑氏から直接、「あとは任せた。また盛り上げてくれ」と託された。

「分かりました。あとは任せてください」

 宮地は頷いた。

 初代ハイバーマスターの植松鉱治氏や、二代目ハイバーマスターの齊藤氏について宮地は、「2人とも僕と違って離れ技以外もしっかりできるとこが凄いなと思います。植松さんも齊藤さんも、離れ技の連続だけではなく、アドラーひねりやリバルコなど、いろいろな高難度技を演技で組み込めているところが、僕とは違う。まだまだ追いつけないですね」と言う。

 初代、二代目を超えていくにはやはり東京五輪に出ること。そこで金メダルを獲れれば言うことはない。

 宮地には、鉄棒が得意になって良かったなと思うことがあるという。

「誰が見ても分かりやすく、あまり説明をしなくても分かってもらえるのが鉄棒の良いところ。会場があれだけ盛り上がる、ワクワクする演技ができるのが鉄棒かなと思います」

■宮地が東京五輪に出るには?

 日本男子が団体出場権(1チーム4人)を既に獲得しているのは周知の通り。東京五輪では今までとルールが変わり、団体出場枠を獲得した国も、最大で2つの個人出場枠を得ることができるようになっている。

 W杯(8大会)経由で東京五輪の出場権を獲得する道は非常に険しいが、現在、宮地はこのW杯ポイントレースで好位置につけている。ポイント対象大会の初戦となった昨年11月のコトブス大会で3位になると、今年2月のメルボルン大会で見事に優勝。その後はバクー大会で6位に甘んじたが、ドーハ大会では2位になった。

 メルボルン大会直後の取材では「僕的には50%ぐらいまで東京五輪(出場権)に来ているかなという感じです」と話していたが、ドーハ大会を終える頃になると「80%ぐらいまで来たと言いたい」と、成績も気持ちもさらに前進している。

W杯メルボルン大会で優勝した宮地。金メダルを手に笑顔(撮影:矢内由美子)
W杯メルボルン大会で優勝した宮地。金メダルを手に笑顔(撮影:矢内由美子)

 W杯ランキングで1位を争うライバルとしては、ロンドン五輪で3連続離れ技(カッシーナ、コバチ、コールマン)を成功させて金メダルに輝いた“鉄棒の神様”ことエプケ・ゾンダーランド(オランダ)が筆頭に挙がる。5月までに終えたW杯4大会の成績は1位、2位、1位、7位でW杯ポイントランキングトップに立っている。

 W杯ランキング2位には2位、7位、2位、1位のティン・スルビッチ(クロアチア)がつけ、宮地は3位、1位、6位、2位で3位につけている。

 ゾンダーランドの場合は今年10月の世界選手権男子団体総合でオランダが12位以内に入って東京五輪の団体出場枠を手に入れれば団体メンバーに入る可能性があるなど、他種目も含めて状況は複雑だが、宮地はシンプルにベストを尽くすことに集中している。

(後編に続く)

◆宮地 秀享(みやち・ひでたか)1994年(平成6年)11月12日、愛知県半田市出身。3、4歳から地元のならわ体操クラブで体操を始める。鯖江高校から筑波大学へ進み、現在は同大学院博士課程後期。所属は茗溪クラブ。身長168センチ、体重64キロ。足のサイズは26センチ。血液型はO型。

初代ハイバーマスター(前編) 植松鉱治の世界

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宮地秀享後援会

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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