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這い上がってきたGK西川周作 アジア王者へ、そしてロシアW杯へ

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
日本代表に戻ってきたGK西川周作(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 今年3月以来となる日本代表合宿で精力的にトレーニングをしているGK西川周作(浦和レッズ)。日本代表正GKの座からベンチ、招集外と激動の8カ月を過ごした守護神は、どのようにして這い上がってきたのか。

■ひときわ意欲的

 フランス北西部のリールから、ベルギーの世界遺産都市ブルージュへと舞台を移して続けられているサッカー日本代表欧州遠征。報道陣へ公開されるのは基本的に冒頭15分という短い時間だが、その中でひときわ意欲的に明るい表情を見せているのが、西川だ。

 代表合宿参加は今年3月以来で約8カ月ぶり。「久しぶりにこの場所に帰ってこられて、みんなとも楽しくトレーニングができています

 純粋なうれしさがにじみ出るのだろう。表情を見ていると、代表から離れていた間のジェットコースターのような日々を乗り越えて、まずは日の丸候補に戻って来たという高揚感が伝わってくる。

フィールド選手とともにランニングする西川周作(左から西川、長谷部誠、遠藤航、吉田麻也)(撮影:矢内由美子)
フィールド選手とともにランニングする西川周作(左から西川、長谷部誠、遠藤航、吉田麻也)(撮影:矢内由美子)

■まさかの先発落ち、そして…

 ハリルホジッチ体制の発足から約半年が過ぎた15年9月3日のW杯アジア2次予選カンボジア戦から始まり、その後のW杯予選をほぼ任されて正GKの座を盤石なものにしたと思われていた今年3月。驚きのGK交代劇があった。

 アウェイでの大一番となったW杯アジア最終予選のUAE戦でゴールマウスを守ったのは、川島永嗣(メス)だった。守護神として南アフリカW杯、ブラジルW杯を経験してきた大ベテランとはいえ、15年には浪人生活を強いられ、メスに加入してからも出場機会をつかめていなかった川島の先発は、サプライズであり、荒療治であった。

 西川にとっては文字通りまさかの先発落ちだった。それでも、代表合宿中は悔しさを押し殺してチームの勝利に集中し、所属の浦和で発憤した気持ちをぶつけた。

 日本代表から戻った後の4月の公式戦の成績は、3試合連続無失点勝利を含めて7試合で6勝1敗。失点も7試合で5と、1試合平均で1点を切っていた。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)とリーグを並行して戦う過密日程だったことを思えば、上々の成績だった。

 ところが、この後さらに大きなショックが待っていた。5月24日にアウェイの韓国・済州島で行われたACL済州ユナイテッド戦を終え、帰国の途につこうとしていた5月25日。6月のW杯予選に向けて発表された日本代表メンバーの中に、西川の名はなかった。心中を察すれば掛ける言葉が出てこない。日本代表経験を持つ主力のある選手は「これは相当キツいと思う」と、メンタルへの影響を案じた。

■ACL上海上港戦で好セーブ連発

 6月以降、浦和は失点が大幅に増え、黒星が先行するようになった。連戦によるフィールド選手の疲労も一因だが、西川のパフォーマンスでも判断に迷いが生じているように見えた。7月末にはミハイロ・ペトロヴィッチ前監督から堀孝史監督への交代もあった。

 苦しい状況であることは一目瞭然とも言えた。けれども西川は、真正面から自分を見つめ、上昇の糸口を探ろうと努力した。そして、8月以降は戦術変更にもきっちりと対応しながら、徐々に失点を減らしていった。

 こうして迎えた9月27日のACL準決勝。アウェイの中国・上海で行われた上海上港との第1戦で、元ブラジル代表FWのフッキやオスカル、エウケソンらにシュート21本を打たれながら好セーブを連発し、フッキのスーパーゴール1点に抑えて1-1。ホーム埼玉スタジアムでの第2戦では1-0と無失点勝利を演じ、決勝進出の立役者となった。

後列左から東口順昭、川島永嗣、西川周作のGKトリオが並ぶ(撮影:矢内由美子)
後列左から東口順昭、川島永嗣、西川周作のGKトリオが並ぶ(撮影:矢内由美子)

■「自分にしかできないことを貫く」

 8カ月ぶりの代表復帰を果たし、合流初日のトレーニングを終えた西川に、この間の思いを訊ねた。西川は揺れ動いた胸の内を素のままに反芻しながら、言った。

やっぱり苦しかったですね。僕自身、プロに入ってからこういう経験をしたことがなく、メンタル的に悔しい気持ちが強かった。外れた当初はいろいろなことを考えながらプレーしていました

 その中で失点がかさみ、黒星が増えていったことが苦しさを深めた。

「自分が残してしまったチームの結果には責任を負わないといけない。だから、まずは受け入れる作業をしたのですが、受け入れるのも簡単ではなかった。無になろうとしても、それもできませんでした」

 プロ13年目で初めてという苦悩から立ち直っていく原動力となったのは何か。それは、「自分にしかできないことを貫く」という決意だった。時間を掛けながら現状を受け入れ、雑念を少しずつ排除し、「自分が大事にしてきたことは何なのか。過去の自分と照らし合わせながら戦った

 西川周作という選手のアイデンティティーの中枢は何か。それは足元の技術を生かしてピッチ最後尾の司令塔となるプレー、一発のセーブで試合の流れを変えていこうという気概だった。強豪の上海上港を相手にするようなときは、現実的にどっしりと後方に構えるポジショニングや、状況によっては蹴り出すことも選択肢に加えながら、つねに攻撃の起点となりえるプレーを心掛けた。

「代表のことは考えずに、まずはチームで結果を出すことだけを考えてプレーしていました。リーグ戦の優勝はなくなってしまったのですが、ACLで決勝までいったことがアピールの場になったと思う。ぶれずに続けてきて良かった」

充実感を見せる西川周作(撮影:矢内由美子)
充実感を見せる西川周作(撮影:矢内由美子)

■もっと強く、もっと華麗に

あの落ち込んだメンタルの自分はもう経験したくない。今はあの時期が財産になっていると思っている

 力強い言葉は、ロシアW杯への道にもつながっている。

 「ここから生き残っていくのは自分次第。ハリルさんが今回呼んでくれたのも期待の表れだと思っている。自分自身も選ばれるだけでなく、一番上(先発)を目指しながらW杯を目指していきたい」

 11月18日(日本時間19日)に浦和レッズの一員として迎えるACL決勝アルヒラル戦(サウジアラビア)が控えているだけに、ベルギー戦に出るかどうかは不透明だ。だが、いずれにせよ代表合宿で刺激を受けた西川が、ここで自らに新たなエネルギーを注ぎ込んでいるのは間違いない。

 プロサッカー人生で初めて味わう悔しさから完全に這い上がったとき、さまざまな栄冠が待っているはず。もっと強く、もっと華やかに。西川のGK道にスポットライトが当たるのはここからだ。

和やかなムードの練習で選手たちは明るい表情を浮かべる(左から3人目が西川周作)(撮影:矢内由美子)
和やかなムードの練習で選手たちは明るい表情を浮かべる(左から3人目が西川周作)(撮影:矢内由美子)
サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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