【体操】山室光史が見せる気概「内村航平に勝ちたいと思わなくなったら終わり」
闘志は衰えていないどころか、さらに増しているように見えた。喜々としてきついトレーニングに打ち込んでいる様子が伝わってきた。
体操世界選手権(10月2~8日、カナダ・モントリオール)に向けてナショナル合宿を行う体操ニッポンの話題がメディアを賑わせているある日、埼玉県草加市にあるコナミスポーツ体操競技部の体育館に山室光史を訪ねた。
リオデジャネイロ五輪で悲願の団体総合金メダルに輝いてから1年余り。今年の世界選手権の代表権を手にすることができなかった山室は、次のターゲットをどこと定め、どのような毎日を過ごしているのだろうか。
■ランニングで毎日汗だく
「今はトレーニングをメインにやっています。午前中はランニングを取り入れたので、一人だけ汗だくになっていますよ」
今年、世界選手権の代表に入るには2つの方法があった。1つはNHK杯で2位以内に入ること。そしてもう1つは指定された大会で種目別の高得点を出すこと。しかし、山室はNHK杯で23位と沈み、最後の望みを懸けていた全日本種目別選手権は、NHK杯のときに肩を脱臼した影響と体調不良により、最終判断で棄権した。
「試合の日、起きたら関節も筋肉も全部痛くて、棄権しました。思えば去年、オリンピックから帰って来た後、あまり休めなかったことで疲労が蓄積していたのかもしれません。このあたりで一度、ちょっと休めということかなと思いました」
12年ロンドン五輪では団体総合決勝の跳馬で左足を骨折し、内村航平をはじめとする他のメンバーより一足先に帰国した。団体総合銀メダルということで内村ら4人が参加した銀座パレードには出なかった。
「自宅のベッドでテレビを見ながら、航平に『映っているよ』と連絡してましたね。ロンドン五輪の後はケガをしていたので、試合はもちろん、イベントにもあまり出ていなかったのですが、去年は試合もイベントも多かった。疲れが取れなかったのだと思います」
全日本種目別選手権の前は37・5度の発熱が続き、1週間で体重が4キロも落ち、58キロから54キロまで減ってしまった。そのため、筋肉も落ちていた。リオ五輪ではロンドン五輪のリベンジを果たすことに成功したが、その反動は小さくなかった。
■東京五輪を見据えた体作り
「でも、世界選手権(の出場)がなくなったことをきっかけに、体作りをやろうと思ったんです。もともと、リオの後に東京五輪までやると決めた時点で、去年までの演技内容や去年までの体の状態では、あと4年は難しいと思っていました。体も演技内容もまた考え直して作っていかないと、と思っていたので、(代表から落ちたことは)ちょうど良かったと思っています」
体づくりの重点箇所の1つは肩だ。実は、ロンドン五輪からリオ五輪までの間はずっと、痛む左肩をかばいながらの練習だったという。しかも、特に影響が出ていたのは得意種目であり、勝負種目であるつり輪だった。
「今までは痛いところをかばいながら、だましだましやっていて、正しくない使い方をしていました。今は正しいところで使えるように考えながら、筋肉自体をつけ直そうとしています」
もう1つは体力の増強だ。山室はこの夏から、体操選手としては珍しいランニングのメニューを取り入れることにした。現在28歳。年齢を重ねるごとに体力が落ちてきたことを実感して取り入れたメニューで、毎日5キロを20分で走っている。
すると、体力アップだけではなく、足首が強くなるという副次的な効果も見られた。この他にも、下半身を鍛えるための片足のスクワットやバランスボールを使ったトレーニングなどで、2時間の午前練習はあっという間に経過する。
■「どれだけすごいことができるか」
現在の日々を山室自身はどのように受け止めているのだろうか。
「楽しいですよ、すごく。やっているときは辛いですけどね」
いつもフランクな山室は、そう切り出して、言葉を継いだ。
「なんというか、社会人になってから今まで、しっかりとトレーニングを積んで、体を作るということをやって来なかった。大学までに作り上げた体でいろいろな技に取り組んでいったという流れだったのです。しっかりと体を作ることが、技にどのように生きてくるのかはまだわからないのですが、痛いところがなくなって、力がもっと強くなれば、どれだけすごいことができるんだろうかという期待があります」
東京五輪でやりたい演技構成もほぼ固まっているという。
「今はEスコア重視のルールというように捉えられていると思いますが、結局、世界に出て戦い、世界一になるためには、やっぱりDスコアを上げなきゃいけないと思っているんですよ。だからまずは世界一高いくらいのDスコアを作らなきゃいけない」
山室が目指すのは、6種目のDスコアの合計が39点になる構成だ。これはリオ五輪までの4年間のルールでは42点に相当する超高得点の構成。世界一の高難度構成を持つことで知られるオレグ・ベルニャエフ(ウクライナ)も真っ青という数字だ。
6種目のDスコアの内訳は、ゆかが6・3、あん馬6・7、つり輪6・5、跳馬6・0(ロペスハーフ、またはリ・セグァンの予定)、平行棒7・0、鉄棒6・5。これで合計39点になる。
■「次は個人の金メダルがほしい」
「昨年のリオ五輪で団体の金メダルが手に入ったので、次はやはり個人の金メダルが欲しい。もちろん、内村航平に勝たないといけない。勝ちたいと思わなくなったら、もう終わりだと思っています」
体作りの一環で、食事や睡眠も変えた。食事は高タンパク低カロリー食を心掛け、鶏肉を食べることが多くなったほか、釣り好きを生かして魚も食べる。米は白米から玄米に変えた。睡眠時間は以前は5、6時間だったが、今は8、9時間。
「今は寝ないと体が動かない。でも、もう30歳近くなるのに、すごく元気な体で体操できるようになるのが楽しみなんです」
12年ロンドン五輪後は、13年の世界選手権こそ出場したが、14、15年は2年連続で代表入りを逃した。しかし、16年は見事にリオ五輪代表に返り咲いた。ここぞの勝負強さはピカイチだ。
全日本個人総合選手権では田中佑典が内村に肉薄した。NHK杯では白井健三が2位につけた。実力者の加藤凌平も静かに力を蓄えている。大学生の台頭もある。そして、山室がここにいる。「俺を忘れてもらっては困る」とばかりに、その目は光を放っている。