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【体操】内村航平インタビュー「プロになって尚一層、体操が好きと感じた」影響受けた中村俊輔の言葉

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
「プロになって良かった」と語る内村航平(撮影:矢内由美子)

ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪の体操男子個人総合で連覇を果たし、世界中にその名をとどろかせた内村航平は、昨年12月、日本初のプロ体操選手として新境地へ踏み出した。

4月には全日本個人総合選手権10連覇の偉業を成し遂げ、5月のNHK杯では9連覇を達成し、国内外での個人総合の連勝を40に伸ばした。

また、所属のリンガーハットでは全国の店舗で「内村V10記念キャンペーン」が実施され、復興庁の「復興応援大使」にも就任するなど、大会以外の場で“キング内村”の姿を目にすることも増えている。

プロになってから半年。この間の変化を、内村自身はどうとらえているのか。率直な思いに迫った。

質問に対し、丁寧に言葉を選ぶ内村航平(撮影:矢内由美子)
質問に対し、丁寧に言葉を選ぶ内村航平(撮影:矢内由美子)

■「初めて感じたものすごい視線」

――プロになってから周囲の反応に変化はありましたか?

内村「見られ方は、だいぶ変わりましたね。特に、プロになって初めて出た4月の全日本個人総合選手権では大きな違いを感じました。今まで感じたことがないくらいのすごい視線で、ああ、見られているなと思いましたね」

――どういう視線でしたか?

内村「演技への注目というよりは、『リンガーハット』のユニフォームってどんなデザインなんだろうとか、そういう感じです。選手、コーチ陣、監督陣、審判の方々…。あらゆる方向から視線を感じました」

(注:『リンガーハット』は長崎ちゃんぽんのチェーン店。内村の出身県である長崎にルーツを持つという縁で、今年3月から所属契約を結んでいる)

――それもプロとしては狙いのひとつですよね。

内村「そうですね。やっぱり体操選手だから、まずは体操をやっている姿を発信していかなきゃいけない。今までは見られていても、さほど気にしなかったんですけど、今回はプロになって初めての大会だったので、自分の中でも、見られているという意識が高まっていたと思います」

――演技に影響は出ましたか?

内村「全日本個人総合選手権の予選の演技があまり良くなかったのは、その影響だったと思います。もちろん、試合勘が戻りきってないというのが大きかったとは思うのですが、予想以上の注目だったので自分でも『おぉっ』という感じで。でも予選を終わった後は、一回やってだいぶ気持ちが楽になっていましたよ」

――想像以上の注目の中で10連覇を果たしたのですね。

内村「あの大会を乗り切れていなかったら、5月のNHK杯で優勝して世界選手権の代表権を獲得することはできなかったと思いますね。大きな意味のある優勝でした」

――試合勘そのものは、全日本個人総合とNHK杯の2大会を終えてどれぐらい戻りましたか?

内村「全日本選手権で予選決勝と2日間やったことで半分ぐらい戻って、さらにNHK杯で試合をして、8割ぐらい戻った感じはあります」

NHK杯での鉄棒の演技(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
NHK杯での鉄棒の演技(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

■「あえて変化を意識しない」その意図は?

――プロ体操選手になって半年、プロ選手だと実感することは出てきましたか。

内村「何というのか、実際のところは、あまりないんですよね。体操以外のところに出て行くことは増えましたが、それも以前からやっていたことなので、今のところ、プロになったなという実感というものは、あまりないですかね」

――それは自身にとって好ましいことなのでしょうか。あるいは物足りない?

内村「実際に挙げてみれば、練習環境や所属、コーチなど、変化したことはたくさんあるのですが、自分自身があまり変化として捉えていないというか、意図的に変化を感じないようにしているのかもしれません」

――なぜですか?

内村「変わったと思うことで、競技に影響が出るかもしれないという心配があったからですね。僕は今28歳なのですが、長崎の中学を卒業して高校生で東京に出て来て、大学に入って、社会人になって、その都度変化を経験してきた中で、環境が変わった時にケガをすることが多かったんです。

その経験を踏まえて、プロになってもやることは変わらないというスタンスでいた方が、競技に影響が出ないという思いが自然とありました」

NHK杯でのつり輪の演技(写真:アフロ)
NHK杯でのつり輪の演技(写真:アフロ)

■「どれだけ体操が好きなんだ」

――自身のものの見え方や考え方に変化はありましたか?

内村「それに関してはすごくりありすぎて、何を挙げれば良いかというくらいです。特にプロになってから体操を知らない人と話すことが増えたことで、ものの見え方はだいぶ変わってきました。

一例を挙げると、体操の大会は男女同時進行でやることが多いのですが、以前はそれが見づらいとは知らなかったんです。どうやったら体操がもっと分かりやすく伝わるかとか、どうやったら選手がもっといい環境でできるかとか、以前より、そういうことを考えるようになってきました」

――他競技のプロ選手に影響されたことはありますか?

内村「変化とは反対のことかもしれませんが、サッカー選手の中村俊輔さんと対談した時に、『プロとして意識していることはありますか』と聞いたときの返答が印象に残っています。

俊輔さんに言われたのは『特別なことはない。体操が仕事なんだから、それを全力でやればいい。別にあれこれ考える必要はないんじゃないか』ということ。

そうだよな、それがプロだよなと思いましたね。プロの体操選手なのだから、体操を全力でやる。そこが前提になる。それでいいんだよ、と。あの言葉にはうなずきましたね」

――原点的な感じですね。

内村「プロだろうが、アマだろうが、結局は自分が好きだからのめり込んだのが体操です。それを全力でやるんだ、それに限るんだと、あらためて思いました」

――プロになるということは、その競技に自分の全精力を注ぐという決意なのでしょうか。

内村「僕はそう考えています。以前から結果は残してきていますが、プロになってから尚一層、やっぱり自分は体操しかない、すごく体操が好きなんだなと感じました。

あれほど燃え尽きた昨夏のリオ五輪があって、でもまたこうやって新しい立場でやっている自分がいる。どんだけ体操が好きなんだよ、と思いましたね(笑)。もういいんじゃないかというところから、更にやっていますから」

■幅広い人々に影響を与える存在に

「普段着はこういう感じ」(内村)(撮影:矢内由美子)
「普段着はこういう感じ」(内村)(撮影:矢内由美子)

――プロ第1号として次世代に残したいのはどんなことですか?

内村「僕が思っているのは、その競技だけで見て欲しくないということです。体操が中心ではありますが、いろんな競技に影響を与えられる選手がもっと増えて欲しいですね。

体操の場合は、体操選手には影響があるけど、他の競技には知られてないというのが現状です。ウサイン・ボルト選手なら、誰でも知っているじゃないですか。陸上選手であり、100メートルで一番速い人であること。誰でも知っているでしょう。

まずは自分がそれぐらいの存在になって、他にも続く選手が出てくれればいいと願っています。それが体操競技の価値を上げることにつながると思います」

――率直に、プロになって、今良かったと思いますか。

内村「思います。自信を持ってそう言えますし、楽しいですよ。1人でやっているということで、正直しんどいこともあります。でもそのしんどい中で、自分が切り拓いていっているという実感がある。それがすごく面白いんです」

「自分が切り拓いているという実感があります」(撮影:矢内由美子)
「自分が切り拓いているという実感があります」(撮影:矢内由美子)

後記:一言でいうと、守られた世界では収まりきらない大志があったということだろう。

2004年春、長崎県諫早市の中学を卒業し、自らの意志で向かったのは、東京。小学生のころ、体操教室を営む両親に連れられて遠征していた朝日生命体操クラブで、五輪を夢見て基礎練習に明け暮れた内村は、大学進学後にその才能を花開かせ、日体大2年だった2008年の北京五輪で初めて世界の舞台に立った。

2011年にコナミスポーツに入社した後も実力を磨き続けた。2012年ロンドン五輪で金メダルを獲得してからは、日本はもとより海外メディアからも「キング」と称されるようになった。

この経歴から分かるのは、内村が節目ごとに自分で針路を定め、新たな環境に身を投じてきたことだ。

「プロ」を初めて意識したのはロンドン五輪の後。当時はプロになるための方法が分からずあきらめたというが、リオ五輪を機に自らアクションを起こして、念願を実現させた。

体操では過去にプロ選手がいなかったため、手本はない。今後の内村が示していくことがそのまま「プロ体操選手とは」の答えになっていく。夢は無限だが、一方で責任も重大だ。

インタビューでは「自分で切り拓いている実感がある」と話していた。口には出さないが、苦労も多いと思う中、新たな航路を開拓していく内村を応援したい。

※写真撮影:矢内由美子

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています】

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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