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【競泳】古賀淳也に奇跡を起こさせた米国コーチの言葉

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
競泳日本選手権でリオ五輪切符を手にした古賀淳也(写真:アフロスポーツ)

4月4日から10日まで東京辰巳国際水泳場で行なわれた水泳日本選手権兼リオデジャネイロ五輪代表選考会。数々のドラマが生まれた今大会で、目立たぬながらも珠玉のミラクルストーリーを紡ぎ出したスイマーがいる。

09年世界水泳選手権男子100メートル背泳ぎの金メダリストでありながら、同種目ではロンドン五輪に続いてリオ五輪の代表も逃していた古賀淳也(第一三共)が、練習時間の2割ほどしか割いていないという“専門外”の自由形で、28歳にして初の五輪切符をつかんだのだ。

■2日間で自己ベストを0秒55縮める

6日夜にあった専門種目の100メートル背泳ぎで3位に終わり、リオ五輪切符を逃してから一夜。7日午前に行われた100メートル自由形予選に出た古賀は、全体の12番目である49秒98のタイムで準決勝に進むと、同日夜の準決勝では昨年4月の日本選手権で記録した49秒80の自己ベストを上回る49秒61をマークし、7位で決勝に進出した。

8日夜に行われた決勝には1コースで出場。前半を23秒74、7位で折り返すと、ターン後にバサロを使う背泳ぎ選手ならではの泳ぎで後半に追い上げ、49秒25をマークして4位になった。

失意から一転、2日間で自己ベストを0秒55も縮めた。背泳ぎ後の青ざめた表情を思えば、奇跡的な巻き返しだった。

結果として、古賀を含めた上位4選手のタイムがリレーの派遣条件をクリアしていた。電光掲示板で順位とタイムを確認した古賀は、1コースから急いで真ん中のレーンへ向かって泳ぎ、中村克(48秒25の日本新で優勝)、塩浦慎理(48秒35で2位)、小長谷研二(49秒07で3位)と互いに祝福し合った。男子4×100メートル自由形リレーでのリオ五輪出場を勝ち取ったメンバーだった。

■まさかの自由形で五輪へ

勝負を懸けていた背泳ぎで敗れ、失意に暮れてから12時間。古賀が、ごくわずかな時間で再び甦ることができたのはなぜか。そこには、12年末から練習拠点として過ごしているミシガン大学の指導者、サム・ウェンズマンコーチの言葉があった。

古賀は言う。

「100メートル自由形の予選前の時点では、100メートルは棄権して、(9日からの)50メートル自由形に絞ろうかなと思っていたんです。けれどもそこでコーチが話してくれたことが胸に響いて…」

ウェンズマンコーチが古賀に話したのは、「スイマーは、いつも顔を水につけ、ぐしゃぐしゃにさせて練習している。努力せずにこの舞台に上がってきたスイマーはいない。そこに誇りを持つんだ。誇りを持って、100メートルを泳いでこい」ということだった。

コーチの言葉を聞いて気持ちのスイッチが入った古賀は、無心になって100メートルの予選を泳いだ。すると、意外と身体も動いて調子も良いことが分かった。そもそも、敗れた100メートル背泳ぎも、最後に競り合いで焦って失速したことを除けば、身体自体はよく動いていたのだ。

「予選の後は完全に気持ちを切り替えることができていましたし、準決勝で自己ベストを出した後もまだ余力があった。だから、もしかしたら、いう希望を持って決勝に臨むことができました。自由形をやっていて良かった」

背泳ぎ専門の古賀が自由形に本格的に取り組むようになったのは、ミシガン大学に行ってからだった。古賀に自由形のポテンシャルを感じたコーチ陣が、この種目でも代表入りを狙うことを勧めた。

練習に費やす時間は、背泳ぎと自由形では8対2くらいだというが、古賀自身もやるからには中途半端ではなく、しっかり狙えるように取り組もうと思いながら練習をした。そうして自然と力がついてきた。

「背泳ぎで行けなかったので悔しい気持ちはあるし、一転してこんなに喜ばしい気持ちになるとは、背泳ぎが終わった時点では思ってもみませんでした。諦めなくて良かったです。それに、日本にいたままだったら背泳ぎだけで終わっていたと思う。新しい選択肢を作ってくれたミシガン大学のコーチや、周りの選手に感謝しています」

29歳で初の五輪舞台を踏むことになる苦労人は、しみじみとそう言った。

28歳、古賀淳也。リオでの五輪デビューを夢見て米国で奮戦中

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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