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【体操】3きょうだい長兄・田中和仁 左肩手術を乗り越え、リオ五輪を目指す

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
鉄棒の演技をする田中和仁(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

ロンドン五輪の体操男子団体の銀メダリストで、『田中3きょうだい』の長兄である田中和仁(徳洲会体操クラブ)が、左肩手術を乗り越え、リオデジャネイロ五輪出場を目指している。

「リオ五輪は個人総合で狙いたい」と話す30歳のベテランには、銀メダルに終わったロンドン五輪の借りを返したいという思いと、13年8月に誕生した長男に「体操選手としての父の姿を見せたい」という願いがある。

11月29日には徳洲会のエースとして、体操全日本団体選手権決勝(東京・代々木体育館)に出場する。チームに好成績をもたらすことで存在をアピールし、来年につなげたいと情熱を燃やす。

徳洲会体育館にて(撮影:矢内由美子)
徳洲会体育館にて(撮影:矢内由美子)

13年8月11日に長男が誕生、その2日後に…

左肩に痛みが出たのはロンドン五輪の1年後である13年夏だった。11年11月に結婚した日大体操部の1学年後輩である麻智子夫人が、13年8月11日に長男を出産した2日後の8月13日。徳洲会での鉄棒の練習中に手放し技の伸身トカチェフを行なった際、バーを離して跳んだ瞬間に「変な感じがした」(田中)。

バーを超え、そのまま受け身になって着地。そのときは自分で起き上がり、アイシングをする程度で帰宅しており、大けがという感じではなかった。ところが翌朝起きてみると、左腕が水平以上に上がらなくなってた。出産から間もない妻はまだ入院中。田中は一人、自宅で「まずいことになった」と顔をしかめた。

既に出場が決まっていた同年10月のアントワープ世界選手権には何とか出られたが、左肩負傷の影響はぬぐえず、成績も演技内容もまったくふるわなかった。世界選手権から帰国してすぐ、しばらくは肩を治すことに専念することを決めた。

同年11月の全日本団体選手権を回避したものの回復の様子は見られず、12月に検査した結果、肩甲骨関節の周囲を取り巻くように覆う繊維状の組織「関節唇(かんせつしん)」を痛めていることが判明した。信頼するドクターとトレーナーの助言を受けながら、14年1月に「関節唇」の一部を取り除く手術を行なった。

手術は成功した。組織の一部を除去したことで、それを補う筋肉をつける必要もあり、リハビリは想像以上に厳しいものだったが、約3カ月たってから練習を再開すると、痛みがなくなったことに加えて、元々硬かった肩関節が柔らかくなるという副次的な効果も得られていた。その後は競技に復帰するため、徐々に練習量を増やしていった。

厳しいトレーニングを支えたのは、13年8月に生まれた長男の存在が大きかった。

「息子が生まれ、家族が増え、もっと頑張らないとな、と励みになった。復帰して、息子の記憶に残る、体操選手である父親の姿を見せたかった」

田中はしみじみと言った。元々、できるところまで体操を続けたいという思いはあったが、長男の誕生がその思いを膨らませてくれた。

全日本個人総合8位、NHK杯6位

左肩手術からの復帰初戦となった14年9月の全日本シニア選手権では、緊張で心臓が波打ち、体がガチガチになり、成績はなんと27位。さすがに厳しい結果だった。

けれどもそこで第一の山を乗り越えた田中は、2年ぶりに出場した今年4月の全日本個人総合選手権では8位になり、同5月のNHK杯では6位。世界選手権代表入りまであと一歩の位置までカムバックしてきた。全盛期のレベルまでもう少しというところだ。

左肩手術の影響も、心配していたよりは小さくて済んだ。技の難度を落としたのはつり輪と鉄棒だけ。他の種目には影響がなく、むしろ難度を少し上げた種目もある。田中自身、「復帰のシーズンとしてはちゃんと戦えたかなと思う」と15年の成績には及第点をつけている。

弟の佑典(コナミスポーツクラブ)が高校2年生でナショナルメンバー入りするなど、早熟の天才系であったのに対し、兄・和仁が初めてナショナル入りしたのは日大4年のときだった。

「(弟の)ゆう(佑典)は全日本ジュニアも国際ジュニアも勝っているし、インカレも取っている。(妹の)理恵もインカレやNHK杯で優勝している。そんな中、僕はインカレ7位。力をつけたのは社会人になってからです」

そう話す田中だが、決して「遅咲きとは思っていない」と言う。佑典や内村航平を皮切りに、今でこそ白井健三、萱和磨と10代でナショナルメンバー入りする選手が目白押しだが、大学4年生、あるいは社会人になってからトップレベルの仲間入りをするというのは、以前ならば平均的な成長スピードだった。

だからだろう、鉄棒の手放し技を増やしていったのが社会人になってからということに象徴されるように、田中自身、まだ伸びしろがあると感じている。なかでも、コールマンを習得できたのは、弟・佑典のコバチの手の離し方をじっくり観察したことで得たヒントが大きかったという。トカチェフも社会人になってから完成した技。まだまだ磨き上げていく余地が残されているという感覚も、30歳を後押しする。

内村航平が「見ていると癒やされる」と言った美しい平行棒

09年ロンドン世界選手権の種目別で銀メダルに輝いた平行棒は、田中が最も得意とする種目だ。内村航平をして「和仁さんの平行棒を見ていると癒やされる」と言わしめる、端正で美しい演技は世界に高く評価されており、今でも世界舞台に立てば表彰台を狙えるレベルにある。ベテランのたゆまぬ努力と前進は、体操ニッポンの財産でもある。

「「父(章二さん)からは『6種目やって体操だ』と言われていたし、そうやって育ってきた。だからリオ五輪は個人総合で狙っていきたい。その先があるとしたら、種目を絞ることもあるかな。でも、結果がでなくなるのが先か、体が壊れるのが先か…」

そう言って笑みを浮かべた。体操を愛し、体操に愛されるアスリートが五輪舞台を目指し、こうして日々精進を続けている。

13年体操世界選手権種目別あん馬金メダリスト・亀山耕平(左)も徳洲会所属(撮影・矢内由美子)
13年体操世界選手権種目別あん馬金メダリスト・亀山耕平(左)も徳洲会所属(撮影・矢内由美子)
サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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