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【スピードスケート】24年ぶり快挙の小平奈緒に見る“28歳のブレイクスルー”

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
4月2日に帰国会見を開いた小平奈緒

■W杯参戦9シーズン目、150戦目で初優勝

成田空港に帰国した小平奈緒
成田空港に帰国した小平奈緒

今シーズン、オランダに拠点を移して活動していたスピードスケートの小平奈緒(相澤病院)が、ワールドカップ(W杯)女子500メートルで、日本人女子として島崎京子以来24年ぶりに種目別総合優勝を果たした。

日本勢の500メートルの種目別優勝は、1991-92シーズンの島崎(当時20歳)、95-96シーズンの清水宏保(同22歳)、96-97シーズンの堀井学(同25歳)に続き、男女を通じて4人目という快挙だ。

W杯初参戦は、20歳だった2006-07シーズン。そこから数えて150戦目だった昨年11月22日のW杯ソウル大会で、世界記録保持であり五輪2大会連続金メダルの李相花(イ・サンファ)を破り、W杯初優勝を遂げると、今年2月の世界距離別選手権では自身初の銅メダルを獲得。W杯参戦9年目にして大ブレークした。さらにはシーズンの締めくくりとなる3月22日のW杯最終戦でも3位となり、見事に種目別総合優勝を果たした。

「総合優勝のチャンスがあると知っていたので絶対に獲りたいと思った。5位以内が条件と聞いていたが、優勝を狙って攻めた」

4月2日に帰国会見を行った小平は、国際レースに出始めたころから変わらないほんわかしたムードに、キリッとした力強さを重ねた選手になっていた。12レース中8レースで表彰台に上がるという持ち味の安定感に加え、狙ったところで結果を出す力をつけたことが自信になっているようだった。

■なぜ、オランダへ向かったのか

長野県生まれ長野県育ち。昨シーズンまでの活動拠点もずっと長野県だった小平が、オランダに向かったのはなぜか。

23歳で迎えた2010年バンクーバー五輪では500メートル12位、1000と1500メートルで5位、チームパシュート銀メダルと躍進した。ところが、個人種目に絞り、中でも500メートルに照準を合わせて出場した2014年ソチ五輪では500メートル5位(1000メートルは13位)と、表彰台に届かなかった。

決して悪い成績ではない。けれども、満足できる成績でもない。コンスタントに実力を発揮できる調整力を持つ一方で、爆発的な力を出したことがないというのが、恩師の結城匡啓コーチを初めとする小平陣営の悩みにもなっていた。

ソチ五輪を5位で終えた小平は、昨年4月に一念発起して練習拠点をスケート大国のオランダに移し、オランダのプロチームの一員としてトレーニングを積むことを決意した。ソチ五輪で8個の金メダル、23個のメダルを獲得したオランダには約10のプロチームがある。小平が選んだのは、女子の五輪金メダリストらが多く所属する『チーム・コンティニュ』。女子のトップチームと言える集団だ。

チーム内で“外国人”であるのは小平とチェコの選手の計2人だけ。オランダ語もままならない中、英語と覚えたてのオランダ語を駆使して日々のトレーニングを積んでいく中、小平には「変化への期待」と同時に「変化への不安」が生まれた。

■練習量が少ないことへの不安

小平「24年前の島崎さんの優勝カップを見たいです」
小平「24年前の島崎さんの優勝カップを見たいです」

国土がほぼ平らなオランダでは、夏場は自転車による長距離トレーニングが多いが、日本と違って坂道がないため、追い込んだメニューにはならない。

小平によると、「日本と比べると精神的に追い込まれるトレーニングがなく、大事な日にいかに集中するかというためのトレーニングを積んでいくのがオランダ流。シーズン中に限らず夏場のトレーニングでも、決めた日に全力を出す準備を他の日に行っている」という。

日本のスピードスケート界では伝統的に、肉体的に限界まで追い込むトレーニングへの信頼感が強く、事実、過去にはこの方法でいくつものメダルを獲ってきた。自転車、エルゴメーター、登坂ダッシュ、筋トレ…。小平にも子どものころにスポーツ番組で見た岡崎朋美や清水宏保の猛烈なトレーニング風景の印象が強く残っていた。

「小中学生のころ、岡崎さんや清水さんが目標だったので、限界を超えるトレーニングがいいのだと思っていた」と話すように、とりわけ社会人になってからは年を重ねる毎に厳しいトレーニングをするようになっていった。

ところが昨春オランダに行くと、日本人が信じてきたその発想がまったくないことに驚いた。

「とにかく人の倍練習して、人より重い物を持って、という意識だったのが、オランダに行ってすべて覆された。もっと自分のペースでやっていいんだと気づいた」

小平の感覚で説明すると「夏場に限界を超えるトレーニングをしていたことで、冬のレースの時期にも頭が少し疲れていたし、体の奥の方にも疲れが少し残ってしまっていた。オランダに行った昨年は、頭も体もちょうどいいフレッシュな状態でシーズンに入ることができた」という。それは追い込んだ練習をせずにシーズンを迎えたからこそ分かったことだ。

■変化は「メンタルが8割」

オランダに渡って1年。28歳にして初タイトルを獲るに至るまでの変化については「メンタル面が8割」だと小平は言う。ただし、技術面についてはオランダ語の細かいニュアンスがはっきりと分からないため、まだまだ掘り下げる余地がある。今は、そこをどう突き詰めて行くかという探究心が芽生えている。

加えて、W杯総合優勝は果たしたものの、小平自身はまだ本当のブレークスルーを実現したとは思っていない。「今シーズンは米国選手が前半戦に出ていなかったり、最終戦に李相花選手が出ていなかったり。自分が頂点とは言い切れる結果ではない」と認める。

小平は今、もう1年オランダでトレーニングを重ねたいという希望を持っている。昨夏の時点では練習量が少ないことによる不安があり、「オランダでのトレーニングは1年で十分かなと思っていた」と言うが、「冬を過ごしてから、今までと違うという感覚があった。1年では分からない。もう1年やってみたい」と考えているのだ。オランダで活動するには費用面などクリアしなければいけない要素があるため、現在、所属の相澤病院や『チーム・コンティニュ』と交渉を行っている。

■日本流を否定するわけではない

根性論とも言える日本的な考えをオランダで覆されたと言う小平だが、日本流を否定しているわけではない。「日本で積み上げてきたものは無駄ではないと思っているし、オランダ人とまったく同じ練習をしていて勝てるかというと、そういうわけではないと思う」

欧米の選手に比べて目に見えて体格の小さい日本人が世界で勝っていくには、別のやり方が必要だと感じているのだ。「勝つためのやり方は、自分で想像していかないといけない。単純に日本流とオランダ流をミックスするというものでもない。どういうやり方が良いのか。創造し、ひらめくのを楽しみにしている」

今シーズンのオランダでの挑戦を経て、小平にはあらためて自己評価を高めた部分があったという。それは「誰かから与えられた道ではなく、自分で道を切り拓いていくというやり方」だ。

「2018年平昌五輪まだ3年あるとはいえ、決して長い時間ではない。幼い頃から持っていた自分のスタイルを崩さず、選んだ道を積極的に歩いて行きたい」

一定以上のハイレベルで戦い続けている選手が、さらにもう一段階上に行くのは、下から這い上がることよりも難しい作業だと言えるだろう。今シーズンは、コツコツ積み重ね型の小平が初めて逆転の発想に触れた年。28歳は、確固たるベースに新しいスパイスを加えて「もう一段階上」に足を踏み入れた。おそらく完成形になるであろう2018年平昌五輪への道が、ますます楽しみになってきた。

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サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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