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猪瀬知事は「イスラムの涙」を知っているのか? ~サッカーの取材現場より~

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

2020年五輪招致を巡り、ライバル都市イスタンブール(トルコ)に関わる失言が問題となった猪瀬直樹東京都知事。「イスラム諸国の人々が共有しているのはアラーだけで、ケンカばかりしている」という失言が4月下旬に発覚してからしばらくは「釈明」に躍起になっていたが、その後は「トルコ大使に謝罪(5月9日)」「アラブ圏の駐日大使に謝罪(5月24日)」と、路線を「謝罪」へ切り替えた。

釈明から謝罪へと態度を変えたのは、内外から受けた厳しい視線を払拭できていないと考えたからに他ならない。とはいえ、「謝罪」へと転じた今も、今ひとつわだかまるものが残るのは、謝罪が「発言したこと」というテクニカルな側面に対してのものにしか見えないからだ。

猪瀬知事の“失言後”の動向を各報道を通じて追っている間、筆者の脳裏に浮かんでいたのは、サッカーの取材現場で触れてきた「イスラムの涙」の数々だった。

「イスラム諸国はケンカばかりしている」のか?

「イスラム圏初ってそんなに意味あるのかな?」なのか?

カタールのサッカーW杯開催決定にチュニジア人記者が感涙

2010年12月2日深夜。東京都文京区にある日本サッカー協会には、内外から多くのメディアが集まっていた。

その日は、2022年W杯開催地の投票がスイスのチューリヒで行われており、投票の模様がテレビで生中継されていた。

開催地に立候補していたのは日本、カタール、韓国、オーストラリア、米国の5カ国。日本の招致委員長である小倉純二サッカー協会会長(当時)は最終プレゼンテーションのためにスイスに行っていたが、残留部隊が協会のラウンジに集結しており、カタールのテレビ局アルジャジーラを含む内外の報道陣がその様子を取材していた。

投票は、どこかが過半数の票を獲得するまで、最下位の候補を除外しながら繰り返し行われる方法で、日本は2回目の投票で落選。ガックリする日本人への取材がひとしきり終わったころ、カタールの当選が決まった。

すると、それまで日本の関係者の取材をしていたアルジャジーラの記者が、突然むせび泣き始めた。

取材現場ではどんなに感動しても、その場で泣く記者はまずいない。“自国で初めてワールドカップが開催されることが決まって、よほどうれしいのだろう”と思いながら、アルジャジーラの記者に「おめでとうございます」と話しかけた。

「カタールから来たのですか? 良かったですね」

彼はなおも震えの止まらない口元を手で覆いながら言った。

「ワールドカップ開催は私たちイスラム圏の者にとって、長い間の夢でした。イスラムの悲願がかなった。僕はカタール人じゃなくチュニジア人だけど、夢は同じでした。今日、僕はとても幸せです」

「アラブの春」の訪れをともに喜んだイスラム圏の記者たち

2011年1月のカタールではこんな光景があった。当時は世界中が「アラブの春」の話題で持ちきりだった。

折しも中東のカタール・ドーハでは同年1月7日から1月29日までサッカーのアジア杯が開催されており、西アジアからはカタール、ヨルダン、シリア、イラク、サウジアラビア、バーレーン、クウェート、アラブ首長国連邦、イランが大会に出場。日本や韓国、中国といった東アジアの記者はもちろん、イスラム諸国のサッカーメディアもドーハに集結していた。

取材陣の拠点となっていたメインプレスセンターにはイスラム諸国の記者が大勢おり、彼らはテレビやインターネットの報道で「革命」の進行を知るたびに、ある者は抱き合い、ある者はガッツポーズをしていた。

国籍とは関係なく喜び合う姿も多く、聞けば、「アラビア語圏ではどの国のアラビア語も基本的には同じだからね」と言う。日中韓でまったく違う言葉を話す東アジアとは正反対だと思ったものだ。

彼らは国によって異なる革命の進行スピードを互いにおもんぱかりながら、喜びを分かち合っていた。現在の「アラブの春」への評価はさておいて、当時の様子から思い返すのは、イスラム諸国の人々が「ケンカばかり」ではないということである。宗教を同じくし、言葉が通じるからこそ根深い対立が生まれるということも言えるが、本意の核の部分まで理解し合えるのもまた事実だろう。そもそも「ケンカ」が政治の世界を指すなら、東アジアだってケンカばかりである。

「ヒジャブ禁止」による失格でイランとヨルダンがともに流した涙

ヨルダン女子サッカー代表選手を取材したときに聞いた話も印象的だった。

2011年6月3日、ヨルダンのアンマンではロンドン五輪女子サッカーアジア予選が行われようとしていた。ところが、ムスリム(イスラム教徒)の女性が着用している髪を覆うための「ヒジャブ」がルール違反だとして、イラン女子チームの全選手と、ヨルダン女子チームの3選手が失格になった。(ヨルダンチームでヒジャブを巻いていたのは3人だけだった)

ヨルダン女子チームのキャプテンを務めるリーマ・ラムニエは当時のことをこう語る。

「すごいショックでした。ムスリム女性にとって公の場でヒジャブをつけないというのは考えられないこと。イランの選手は全員が泣いていたし、ヨルダンの選手もヒジャブを着けている着けていないにかかわらず皆が抱き合って泣きました」

ラムニエはその後、ビジャブ禁止の規定を撤廃するためにイラン女子選手たちと協力してフェイスブックなどで活動を開始。願いは通じ、2012年から女子サッカーの国際大会でヒジャブを着用することが許されるようになった。

イスラムはケンカばかりなのだろうか。少なくともスポーツの現場では選手も記者たちも互いに尊重し合っているし、同じ目的に向かってなら惜しまずに協力し合う姿がある。

イスラム圏初に意味はないのだろうか。少なくともサッカーの現場では、「イスラム圏の夢」としてW杯開催への思いを共有している人間がいた。トルコは政教分離を原理とする国ではあるが、イスラム諸国の人々には仲間意識があるだろう。

イスタンブールは賢明だ。失言に食ってかかることなく、IOCの「不問とする」というお達しも、安倍首相の謝罪も猪瀬知事の謝罪も、すぐに受け入れていた。うっかり東京と同じ土俵に乗っかっているうちに、レスリングを除外候補にして近代五種を五輪種目に残すことに成功した辣腕サマランチ・ジュニアのいるマドリードにうっちゃられることを、懸念したのかもしれない。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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