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【安保報道】朝日新聞にパブリックエディターらが苦言 「正確な情報を」(下)

楊井人文弁護士
朝日新聞6月26日付朝刊(上)、27日付朝刊(下)

朝日新聞が昨年の誤報問題を受け、改革の目玉の一つとして今年4月に発足させたパブリックエディター(PE)制度。外部識者の1人として就任した元TBSアナウンサーの小島慶子氏が6月27日朝刊のコラムで「安保 正確な情報の提示を」と題して取り上げたのが、GoHooでも繰り返し指摘してきた昨年6月15日付朝刊1面トップの「アフガン戦争 後方支援 独軍55人死亡」だ。2001年10月から始まったアフガン戦争でドイツが派兵し、集団安全保障の枠組みである国際治安支援部隊(ISAF)で活動する中で55人の犠牲者が出た経緯を「集団的自衛権の事例」として報じたものだが、軍事アナリストの小川和久氏らが当初から誤報と指摘してきた。事実は、ドイツはISAF参加に先立って、NATOの集団的自衛権に基づく派兵もしていたが、その際に犠牲者が出たわけではなかった(詳しくは、【GoHoo旧注意報】「独軍55人死亡」 集団的自衛権の事例とミスリード)。

朝日新聞2014年6月15日付朝刊1面
朝日新聞2014年6月15日付朝刊1面

小島氏は、「集団的自衛権 海外では」というタイトルカットや前文の「集団的自衛権をめぐる海外事例」という文言に着目し、読者は「集団的自衛権を行使したドイツでは、後方支援で死者が出た」という記事だなと思うでしょう、と指摘。集団的自衛権から集団安全保障への移行の過程や両者の違いについて詳しい説明が必要だったとの認識を示し、「『適切な説明を省き、集団的自衛権の行使で死者が出た、と読者に印象付けようとしたのでは?』と不信感を持たれても当然でしょう」と批判した。朝日は1年近くたった今年5月30日付記事で、安保法制をめぐる国会審議とからめて独軍の事例を紹介した中で、問題の記事について「独軍のアフガン派遣全体が集団的自衛権に基づくという誤解を招いた」などと釈明したが(回答全文は【GoHooトピックス】「独、集団的自衛権で犠牲者」の誤報 朝日新聞、不備を認めるも訂正せず参照)、訂正という形はとらなかった。これに対し、小島氏は「過去の記事も載せるべきだ。何が問題か分からない」「説明不足で読者に不親切だった」といった読者やPEの指摘があったことも明らかにした。

小島氏は「いま読者にとって一番大切なのは、正確な知識に基づいて日本の安全保障のあり方について考えること」と至極まっとうな指摘をされていたし、記事が一般読者に与える印象を踏まえて具体的な問題点を挙げたことも「読者視点」でチェックする姿勢の表れといえる。とりわけ、事後対応を疑問視する読者の声やPEの指摘、編集部門の責任者(長典俊ジェネラルマネージャー=GE)の弁解などは、従来であれば紙面に載ることはなかったであろうから、画期的な一歩であることは間違いない。

これがPEが具体的に記事を検証して見解を公表した初のケースとなった。だが、果たしてPE制度は十分機能しているのか、裏を返せば朝日新聞はPE制度を本気で報道改革と信頼回復のために使いこなす気があるのか、気がかりな点もいくつかある。

昨年の教訓は生かされているか?

パブリックエディター4人の就任を伝える3月24日付朝刊
パブリックエディター4人の就任を伝える3月24日付朝刊

第一に、記事に誤りがあったのか、訂正する必要はないのか、という最も肝心な問題への考察を避けているようにみえることである。小島氏は、小川和久氏らの指摘や日本報道検証機構から「記事に誤りがあると認識しているか」との質問が寄せられたことに言及している。朝日が出した回答は質問に正面から答えたものではなかったが、訂正する必要性は事実上否定した(前出【GoHooトピックス】参照)。同様の質問は改めて広報部を通じPE宛てにも出していたのだが、小島氏のコラムは、朝日の編集部門が訂正しない理由をどう説明しているのか、この点についてPEがどういう見解をもっているのかは明らかにしなかった。

編集部門は、おそらく次のような理由から「記事に誤りがあるとまではいえない」と言っているのではないか。―(1)死者55人が集団的自衛権の行使によるものとは<明記していない>、(2)独軍がISAFに参加したことは明記しており、このISAFが集団安全保障の枠組みであることは説明しなくても<わかる人にはわかるはずだ>、(3)記事の本旨は海外派兵で後方支援した場合の危険性であり、独軍の事例が集団的自衛権に基づくか集団安全保障に基づくかは<問題の本質ではない>。よって、派遣全体が集団的自衛権に基づくという誤解を招く表現上の問題があったとしても、訂正の必要はない―と。

PEが朝日の編集部門からこれと似たような弁解を聞かされ、それに引きずられて「訂正しない」方針を追認したのではないかと想像する。というのも、小島氏によれば、PEは会議で「読者の理解に役立つよう、後方支援の実態や安全保障の種類について大型記事などで改めて丁寧に説明すべきだ」と提言しているからだ(後で触れるが、そうした解説記事は既に何度か掲載されている)。これがPEメンバー4人の総意なのか、訂正が必要と唱えたメンバーがいたのかは不明だが、この提言は「訂正は必要なし」という編集部門の考えを反映しているように読める。

しかし、もし上記のような弁解がまかり通っているのであれば、昨年の一連の誤報問題の教訓は全く生かされていないのではないかと危惧せざるを得ない。

不明確な訂正基準が「言い逃れ」を許す

「信頼回復と再生のための行動計画」を発表する渡辺雅隆社長(1月5日)。訂正報道の改革も掲げた。
「信頼回復と再生のための行動計画」を発表する渡辺雅隆社長(1月5日)。訂正報道の改革も掲げた。

まず(1)のような弁解が可能なら、「慰安婦狩り」証言報道だって故吉田清治氏の証言内容が真実だとは<明記していない>、「吉田調書」報道だって福島第一の所員が所長の待機命令を認識しながらあえて福島第二に移動したとは<明記していない>、と弁解することも可能となる。固有名詞の間違いなどを除けば、読者に誤解を与える報道でも<明記していない>という言い逃れをしようと思えばできてしまうことが多いのだ。そうと明記していなくても明らかに読者に誤解を与えるような記事には欠陥がある以上、訂正すべきことを正面から認めるべきではないか。

(2)のように、専門知識がない読者の<誤読>に責任転嫁することが許されるのならば、一般読者の視点で「わかりやすく正確に伝える」という一般紙としての使命は放棄したに等しい。知識や情報で優位に立つ記者が、あえて読者の理解に資する情報を省くことで一定のミスリードを誘うことを意図して報じることも可能となり、一般読者はそうしたミスリードを常に警戒して報道に接しなければならなくなる。

(3)のような弁解を許せば、メディアの問題意識や主義主張によって誤報かどうかの判断がブレることになる。現に「慰安婦狩り」証言報道も強制連行の有無は<問題の本質ではない>とか、「吉田調書」報道も待機命令の認識の有無は原発撤退問題の<本質ではない>といった類の弁解が、訂正を回避する口実に使われたのではないか。こうした弁解は、読者にメディア側の問題意識をくみとって理解しろと言っているようなものだ。

実は、朝日から日本報道検証機構に返ってきた回答文には「後方支援であっても戦闘に巻き込まれ、命を落とす可能性があることを紹介した内容です」と書かれていた。それが<問題の本質>なのだからそうでない部分は些細なことであり放置してよいというのだろうか。たしかに見出しには大きく「後方支援」と書かれているが、前文には(集団的自衛権の行使を)「限定するという手法で実際に歯止めが利くのか。集団的自衛権をめぐる海外の事例のうち、ドイツの経緯を追った」とはっきり書いているのである。「集団的自衛権」と「集団安全保障」は枠組みが異なるだけでなく、武力行使それ自体ではない「後方支援」と武力行使そのものである「集団的自衛権の行使」は要件も場面も異なる。それを一緒くたにしてよいというなら、論争的な政治的イシューについて、正確性を犠牲にしてでも特定の印象を抱かせることを意図する報道姿勢を容認したに等しい。

いずれにせよ、朝日は公式に「訂正しない」という結論を出しているようだから、PEは独立した「読者代表」としての立場からその是非について明確な判断をしてもらいたかった。訂正するかどうかの基準があいまいで恣意的に運用されているために、事後対応の判断を誤ったことが昨年の大きな教訓だったはずだ。PEにはぜひとも、編集部門の訂正基準が明確で妥当なものか、その基準を正しく運用しているかにも目を光らせてほしい。

事後対応の失敗は昨年の不祥事を想起させる

第二の疑問点は、PEによって今回の記事の作成経緯や原因が解明されていないようにみえることである。記者やデスクが「適切な説明を省き、集団的自衛権の行使で死者が出たと印象付けようとした」のかどうか、要するに故意なのか過失(事実関係の調査不足)なのかが分からない。小島氏が前者の可能性に言及したことは注目されるが、そうと断じているわけでもない。私は、作成に時間的余裕があり、多くのチェックが入っているはずの1面トップの企画記事であり、記事中でISAFにも繰り返し言及していることからすると、55人の死者が集団的自衛権の行使によってではなく、ISAFという集団安全保障活動に参加して発生したという事実を知らずに報じたとは考えにくい、と思っている。PEにはぜひとも編集部門にしっかり調査をしてもらい、外部からはうかがい知れない問題の解明に挑んでほしいものである。

第三の疑問点は、なぜ対応がこれほど遅くなったのか、そして再び中途半端な釈明記事を出すという失敗を許してしまったのかという問題である。これは、いま述べた2つの問題の検証が十分なされていないことと無関係でないように思われる。PEは読者の視点で批評を述べるだけでなく、誤報などの問題が判明次第、読者に迅速かつ十分な説明責任を果たすことを編集部門に求め、ダメージを最小限に食い止める役割も期待されているはずである。その機能があるか否かが、従来の制度(社内の記事審査制度や社外の紙面審議会)と一番大きな違いだと私は理解している。

しかし、今回、PEはこの記事について読者に説明責任を果たすことではなく、改めて安全保障制度の違いなどをわかりやすく解説する大型記事を載せるべきだと提言したようである。そのような企画はもちろん結構なことだが、問題の記事の後、たとえば昨年6月22日付朝刊の「やさしい言葉で一緒に考える 集団安全保障」などのように、すでに何度か比較的丁寧な解説記事は掲載されているのである。既報の問題点に対する説明責任は、そうした企画や解説記事とは別の形で読者にわかるように果たされる必要がある。中途半端な釈明記事を出した理由について「国会で話に出たので、急きょ1年前のことも触れる形で説明した」という長GEの話を聞くと、政府が吉田調書を朝日の想定より早く公開したためにあわてて社長会見を開く形になった昨年の展開を思い起こしてしまう(参照=【GoHooトピックス】調書公開前の訂正を計画も果たせず)。PEには、ぜひこうした問題の回避・先送り体質にもメスを入れていくことを期待しているのだが。

弁護士

慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHooを運営(〜2019年)。2017年、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年、共著『ファクトチェックとは何か』出版(尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー)。2023年、Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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