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尖閣諸島問題「火に油注ぐ」誤報相次ぐ(中)「防衛相が警告射撃の方針表明」

楊井人文弁護士

中国で瞬く間に広まった「警告射撃初表明」

少しさかのぼるが、朝日新聞も尖閣諸島問題をめぐって、極めて危険な誤報を出していた。朝日は認めていないが、誤報と言ってさしつかえない。

1月15日午後1時前にニュースサイト「朝日デジタル」無料版に掲載した、「防衛相『領空侵犯、信号弾で警告』中国メディア質問に」という記事だ。同日夕刊にも「中国領空侵犯、信号弾で対応 小野寺防衛相が方針」という見出しで掲載。小野寺防衛相が15日午前の記者会見で、中国機が尖閣諸島上空の領空侵犯を行った場合、「無線での警告などに従わずに侵犯を続ければ、警告として信号弾を射撃する方針を明らかにした」と報じた。翌日朝刊の記事=写真=も同様に報じた上で「領空侵犯への対処手順を示し、中国側を牽制する狙いだ。」と発言の「狙い」を解説していた。

朝日新聞2013年1月16日付朝刊4面
朝日新聞2013年1月16日付朝刊4面

ところが、小野寺防衛相は、この日の会見で「信号弾」や「警告射撃」という表現を一切使っておらず、特定の国や事案を想定した発言も行っていなかった。「安倍首相が警告射撃の検討を指示した」という報道(産経新聞1月9日付)に関連した中国メディアの質問に対し、小野寺防衛相は、中国機による領空侵犯に限らず、領空侵犯事案に対する従来の方針は変わっていないと回答。「警告射撃はあり得るのか」と再度問われても、「我が国としても、国際的な基準に合わせて間違いのない対応を備えている」と「一般論」に逃げる回答しかしなかった。

朝日デジタルの記事は、当初「防衛相『領空侵犯、信号弾で警告』」と防衛相の発言を引用した見出しをつけ、本文も「警告として信号弾を射撃する方針を明らかにした」と書かれていた。(*3)(*4)

この記事は、朝日の中国語版サイトでも、翻訳した記事を15日昼すぎに配信。瞬く間に中国の主要ニュースサイトなどに転電され、トップニュース級の扱いとなったのである。(*5)

ところが、小野寺防衛相に質問した当の中国メディア記者が自身のミニブログ(微博=ウェイボ=、俗に中国版ツイッター)に、朝日の記事は間違っていると指摘。同日夜、マスコミ誤報検証サイト「GoHoo」が、防衛大臣会見録と照らし合わせて注意報を出した。すると、翌日夕方、中国の最大手ニュースサイト「人民網」が「日本の防衛相は中国機への警告射撃を表明せず 日本メディア報道に誤り」と題する詳細な検証記事を掲載=写真=。GoHooの注意報も引用しつつ、朝日の記事が誤報だったと断じた。小野寺防衛相も、17日のテレビ番組で警告射撃の方針表明について問われ、「一言も言っていない」と否定した。

他方、朝日は、誤報と認めなかった。その証拠に、いまだ訂正を出しておらず、問題の記事(16日付朝刊に掲載した記事と同一内容)は朝日デジタルに掲載したままだ。

【注意報】防衛相「信号弾で警告」 発言の事実なし(GoHoo、2013年1月15日付)

事実と解釈を混同させた記事

朝日の言い分はこうだろう――外国機の領空侵犯に対し、自衛隊は(1)領空外に出るよう無線警告、(2)機体を振り視覚信号を送る、(3)曳光弾による信号射撃で警告という手順を内部で定めている、「従来の方針に変わりはない」との防衛相の発言は(1)(2)の警告に従わなければ(3)の手段をとることを表明したものと解釈できる、だからその「方針」の中身を読者にわかりやすく説明したのだ――。誤報でないと抗弁するには、そう言うしかない。朝日は、この3つの手順について16日付朝刊で解説していた。

仮にそのような解釈が成り立つとしても、報道の基本原則に反している。事実と解釈を(可能な限り)混同してはならないという原則だ。

こういうと必ず、事実と解釈は完全に切り分けられるものでないとの反論が出る。たしかに、どの事実を取捨選択して報道するか、ある事実をどう意味づけ・評価するか、どう表現するかは、記者の解釈や価値判断が不可避だ。しかし、ある発言・表明があったかどうかという単純な事実とその発言の意図・意味についての解釈とを区別して報じることは、実際は容易にできるのである。

朝日の記事を誤報と断じた「人民網」の検証記事。転載されているのは朝日の中国語版記事。
朝日の記事を誤報と断じた「人民網」の検証記事。転載されているのは朝日の中国語版記事。

今回の例に即していえば、防衛相は「従来の方針に変わりはない」という発言を引用した上で、その発言についての解説を加えたいのであれば、領空侵犯に対する「従来の方針」がどういうものか説明し、警告射撃を排除しない趣旨と解釈できる、と書けばよい(そのような解釈が妥当かどうかは別である)。新聞では「警告射撃の可能性も排除しないとみられる」といった表現がよく使われる。そうすれば、防衛相自身の発言ではなく、記者の解釈ないし解説だということは読者にも伝わる。それを「警告射撃の方針を表明した」と書かれると、記者の解釈・解説とは読めず、防衛相がまさにそう言明したと受け取ってしまう。(*6)

政府高官や政治家の発言は極めて重く、どのような場で、具体的に何を言ったかが第一義的に重要な事実である。実際に何を言ったかで、政治的、社会的意味合いが全く異なる。報道機関は、政治家の命といわれる「言葉」を正確に伝える役割を担っているはずだ。

「一般論」に逃げた発言を拡大解釈

「従来の方針」の中に「警告射撃」という手段が用意されていることは事実だとしても、その具体的手段を行使することについて大臣が対外的に言明することと、そう言明しないこととの間には、大きな隔たりがある。

会見録をみればわかるとおり、小野寺防衛相は中国のメディアの質問に対し「特に今回の、例えば12月13日にあった中国の政府機による領空侵犯事案を特定するわけではなくて」と強調するなど、明らかに「一般論」に逃げていた。中国を念頭に置いた挑発的発言と受け取られないように配慮した発言であったことは間違いない。

防衛相は会見で明言しなかっただけで、発言の真意について記者がブリーフィング(公式会見とは別に行われる背景事情説明)を受けていたのではないかと推測する向きもあるかもしれない。仮にそうであっても、会見という公式の場で言ったかどうかが重要な事実で、言ってもいないことを「会見で表明した」と報じるのは誤りである。

また、本当にそのような真意であれば、防衛相の発言はもっと違ったものになったはずだし、「一言も言っていない」と否定しないのではないか。つまり、あの会見で、中国メディアの記者に対し、朝日がいう「中国をけん制する狙い」を込めて、防衛相が発言したとは考えにくい。(*7)

本来はせいぜい「防衛相、領空侵犯の従来の方針堅持を表明」といった見出ししかつかない程度のニュース性に乏しい出来事だった。それを防衛相の「一般論」を拡大解釈することで、公の場で「中国をけん制する」発言をしたかのような、センセーショナルなニュースに仕立てあげられた例である。

「日中メディアが日本の防衛大臣の発言を『拡大解釈』したことで、日中両国民の対立を扇動した。」――米国の華人向けニュースサイト「多維新聞」に掲載された「日本の防衛大臣が濡れ衣」と題する記事は、こう総括している。

【注】

(*3) 朝日デジタルの記事は、翌日「領空侵犯に信号射撃 対中国で防衛相方針」という見出しの記事に差し替えられた。16日付朝刊4面にも同じ内容の記事が掲載されたが、見出しは「『領空侵犯続くなら信号射撃』手順示し中国牽制」となっていた=写真参照=。新聞記事において、「カギかっこ」は発言の引用を意味する。防衛相があたかも「信号射撃」に言及したかのように報じた点で、朝日デジタルに最初に掲載された記事と同じ過ちを犯している。

(*4) ほかに毎日新聞と産経新聞も、この防衛相会見について「警告の一環として射撃を行う可能性に言及した」(毎日)、「必要に応じて曳光弾での警告射撃を行う方針を明らかにした」(産経)と報じたが、いずれも雑報(見出し1段のいわゆるベタ記事)だった。今回は、朝日の記事が中国メディアで引用されて多大な影響を与えたことを重視して朝日の記事に焦点を当てたが、問題点は毎日と産経の記事も共通していることを補足しておく。

(*5) 当時、実際の中国語ニュースサイトでどのように掲載されたかは、GoHooの1月15日付注意報をご覧いただきたい。

(*6) 今回のような「事実と解釈の混同型」の誤報は氷山の一角。よく日本のマスコミ報道で見かける「~方針を明らかにした」「~意向を示した」「~認識を示した」という表現は、明示的に発言していない意図を記者が忖度して解釈してニュースに仕立てるときに用いられることが多い。注意が必要だ。

(*7) 小野寺防衛相は週刊朝日(2013年2月15日号)のインタビューで、信号射撃の報道について改めて問われ、「メディアが国際基準や過去の事例を調べ、独自に解釈して書いたのでしょう」と答えている。

弁護士

慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHooを運営(〜2019年)。2017年、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年、共著『ファクトチェックとは何か』出版(尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー)。2023年、Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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