「交通事故の被害者は、なぜこれほど苦しめられるのか……。先日、被害者・遺族の懇談会で、聴覚障害のお嬢さんを亡くされた井出さんとお話しする機会がありました。我が家も同じ損保会社から、障害者になった娘の生きる権利をも奪うような対応をされ、あまりに理不尽な現実に改めて怒りと疑問が込み上げました」

 そう憤るのは、2年前、長女が交通事故で全身まひの重度障害を負った、神谷さんです。

 神谷さんが意見交換をしたという井出さんの事故については、すでにメディアで大きく報じられているのでご存じの方も多いでしょう。

 井出さんの長女・安優香さん(当時11)は、ろう学校に通う聴覚障害児でした。2018年2月、下校途中に信号待ちをしていたところ、暴走してきた工事用の重機にひかれ亡くなりました。

 しかし、その後の民事裁判で被告側は、「聴覚障害者は思考力や言語力、学力を獲得することが困難。就職自体が難しい」として、健常女性の平均収入から60%カットして逸失利益(将来得られたであろう収入)を算出すべきだと主張してきたのです。

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 これに対して遺族は、「障害者への不当な差別だ」と反論。聴覚障害者の団体からも怒りの声が上がり、全国的な署名活動へと発展しました。

 こうした世論に反応したのか、2021年9月、被告側は裁判の途中で突然、これまでの主張を「聴覚障害者の平均賃金で算出すべき」という内容に変えてきました。

 このとき多くのメディアは「主張を撤回」と報じましたが、実は、新たに提示された逸失利益も健常者の平均賃金の6割にとどまっており、裁判は今も大阪地裁で係争中です。

■「危険運転致傷罪」で起訴された加害者

 続いて、神谷さんのケースを紹介します。

 2019年10月、近畿大学工学部(東広島キャンパス)の1年生だった長女のちさとさん(当時19)は、近所に買い物に行くため同じ大学の知人が運転する車の後部座席に同乗中、事故の被害に遭いました。

男子大学生が運転し事故を起こした車は大破。購入後間もなかったという(神谷さん提供)
男子大学生が運転し事故を起こした車は大破。購入後間もなかったという(神谷さん提供)

 運転していた男性(当時19)は、一般道を時速150キロで走行し、カーブの手前で時速100キロまで減速したものの曲がり切れず車が転覆。ちさとさんは第5頸椎の圧迫骨折による頚髄損傷、助手席に乗っていたもう一人の同乗者も頸椎剥離骨折等の重傷を負いました。

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 男性は危険運転致傷罪で起訴され、一審の広島地裁は懲役2年8月(求刑4年)の実刑判決を下しました。しかし被告は控訴し、現在、広島高裁で審理中です。

 神谷さんは事故直後のことを振り返ります。

「東広島医療センターに救急搬送された娘は数日間、意識がありませんでした。医師からは、『仮に命が助かっても、四肢にまひが残ることは避けられない』と説明を受けていたので、とにかくできる限りのことをしてやりたいと思った私は、札幌医科大学附属病院で行われている再生医療を受けさせたいこと、それに伴う交通費や介護費用などを支払ってもらえるよう、病院に来た加害者と保護者、そして、加害者が加入している三井住友海上の担当者にお願いしたのです」

入院中のちさとさん(神谷さん提供)
入院中のちさとさん(神谷さん提供)

■19歳の被害者に「余命10年で…」と告げた損保会社

 ところが、それから数日後、三井住友海上の担当者からかかってきた電話の内容に神谷さんはショックを受けたといいます。

「その担当者は、『娘さんは全身まひで寝たきりとなりますので、(介護料などは)余命10年で計算してください』そう言ったのです。娘は当時19歳です。女性の平均余命まではまだ70年近くあるというのに『10年で死ぬ』と言われたも同然です。何より、まだ昏睡状態の被害者に対して、余命の話をすること自体が信じられず、『あまりに身勝手な論理ではないですか』と言い返すと、担当者は何も言わず黙っていました」

 間もなく、加害者側には弁護士がついたため、以来、父親の神谷さんが三井住友海上の担当者と余命の問題について直接話すことはありませんでした。

 しかし、加害者側は2021年9月、ちさとさんがまだ治療中であるにもかかわらず「症状固定」という前提で調停を申し立て、実際に受けている再生医療やロボット治療については、『社会一般の診療水準からして著しく高額であることが明らか。損害賠償の対象となるものとは認められない』と主張してきたのです。

 後部座席で暴走運転の被害に遭ったちさとさんは完全な被害者で、何の過失もありません。しかし、損保会社からいきなり「余命」、つまり残りの人生を制限するような言葉を突き付けられ、そのうえ、回復への希望を託して臨んでいる治療さえも拒否されたら、いったいどうすればよいのでしょうか。

 ちなみに、神谷さんは医療機関等からこれまでに請求された数千万円に上る費用を、すでに支払っているといいます。

■被害者の余命年数を一方的に減らす損保会社の「手口」

 交通事故で寝たきりとなった被害者の「余命」を、加害者側の損保会社が平均より短く見積もるケースは過去にも相次いでいます。私はこれまで、損保会社からそうした提示をされた被害者や家族の取材を重ねてきました。

<被害者の「余命」を損保側が一方的にカットしてきた事例>

【20歳・男性に余命10年】

千葉県のAさんは、2001年、自転車乗車中の事故で遷延性意識障害に。当時の男性の平均寿命は78歳だったため、逸失利益や介護費用は58年間分で計算されるべきだったが、加害者側の損保会社は「20歳の寝たきり者の年間死亡率は約10%なので余命は10年である」と主張。しかし、東京地裁は2005年9月、その主張を完全に退け、平均余命までの介護料を認める判決を下した。

【62歳・女性に余命4.4年】

富山県のBさんは、2006年、自動車運転中、対向車に正面衝突され、頚髄損傷、脳挫傷などの重傷を負う。全身まひとなり、人工呼吸器を装着。事故以来、話すことも食べることもできず、寝たきりとなった。加害者側の損保会社は個室入院や人工呼吸器も“過剰”だと主張。さらに「寝たきり者は長く生きられない。余命は4.4年」として、逸失利益や介護費用を大幅に減額。納得できなかった夫は民事裁判を提訴2009年、富山地裁は損保側の主張を却下し、平均余命までの逸失利益や介護費用を認める判決を下した。

【68歳・女性に余命7年】

神奈川県のCさんは、1996年、自転車乗車中の事故で遷延性意識障害に。損保会社は「余命7年」を主張したが、2002年、東京高裁は平均余命まで22年分の逸失利益と介護費用を認めた。

【36歳・男性に余命10年】

千葉県のDさんは、2001年、歩行中、飲酒運転の車にはねられ遷延性意識障害に。加害者側の損保会社は「余命10年」で逸失利益や介護費用を算出。その後、裁判となり、一審の千葉地裁は余命10年の主張を却下。平均余命までの全期間を認め、二審の東京高裁でもほぼ同条件で和解が成立。

 これらはほんの一例ですが、民事裁判では「寝たきりの被害者」に対して、平均余命までの逸失利益や介護費用等を認める判決がいくつも確定していることがおわかりいただけるでしょう。

HALというロボットを使用して治療に励むちさとさん。しかし、損保側はこうした治療も、現段階では自動車保険での賠償を認めようとしない(神谷さん提供)
HALというロボットを使用して治療に励むちさとさん。しかし、損保側はこうした治療も、現段階では自動車保険での賠償を認めようとしない(神谷さん提供)

■三井住友海上の回答は……

 ではなぜ、損保会社は極めて過酷な状況に置かれている被害者に対して、「余命」を一方的にカットしたり、「治療や介護は社会的に不相応」などという理由で、支払いを拒否したりしするのでしょうか。

 神谷さんが保存している名刺によると、「余命10年」という言葉を告げたのは、三井住友海上中国本部の「広島自動車第一保険金お支払いセンター 損害サポート専任職」という肩書の担当者でした。そこで筆者はその名刺の写真を添付し、三井住友海上広報部に質問を投げかけました。

 しかし、同社からは以下の回答が返ってくるだけでした。

<質問1>

神谷ちさとさんの事故から1か月以内に、名刺の担当者が「余命10年で計算……」という言葉を、ちさとさんの父親に話された事実はありますか。

●三井住友海上の回答

お客さまにかかわる個別のことにつきましては、守秘義務がございますので、調査・回答は差し控えさせていただきます。

<質問2>

御社では寝たきり被害者の逸失利益を平均余命から差し引いて、提示されることはありますか。

●三井住友海上の回答

逸失利益は個別の事情に応じて判断されるものでございますので、一般論としての回答は差し控えさせていただきます。

 三井住友海上からの回答を確認した神谷さんは、こう語ります。

「守秘義務とは、いったい誰に対してなのでしょう。また『個別に回答できない』ということであれば、直接、個別の事故を起こした加害者の救済意思を尊重してはいかがでしょうか。私は『余命10年』という言葉をはっきり記憶しています。加害者にはまず、真実を知ってもらいたい。そもそも、加害者本人は自分の契約している損保会社が被害者にこんな主張をしていることを知っているのでしょうか。加害者の名前が、調停や裁判の文書に記載されているだけになっていないでしょうか? 法律や契約よりも先に、加害者の人間としての対応を直接聞いてみたいのです」

 また、神谷さんは「無制限」という自動車保険の用語にもこんな疑問を投げかけます。

「そもそも、自動車保険の募集時には『対人無制限』といった表現を使いながら、一方で、事故後にこうした主張を続けることが妥当なのか? このような暴挙を許している監督官庁も問題です。諸外国に従って『被害者庁』創設の検討も必要かもしれません」

 筆者は2021年の夏、広島地裁でこの事故の刑事裁判(一審)を傍聴しました。

 法廷で加害者の男性は『被害者に十分な賠償をしたい』という趣旨の言葉を述べていましたが、現状はまったくそのようには進んでおらず、被害者と家族は苦境に立たされています。

 加害者本人(損保会社にとってはお客様)が「十分な賠償をしてもらいたい」という思いを持っているにもかかわらず、損保会社がそれを意図的に無視し、結果的に自社の損害を抑えることが、果たして許されるのでしょうか。

 本件、「危険運転致傷」の控訴審は、広島高等裁判所で12月14日に予定されています。

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