小4死亡ひき逃げ事件 目前に迫った時効の延長はなぜできたのか

未解決のひき逃げ事件に時効は必要か? 捜査継続を望む被害者遺族の声が高まっている(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 2009年9月30日、埼玉県の熊谷市で発生した小4男子ひき逃げ死亡事件。

 物証の少なさから捜査は難航し、事件発生から7年目に当たる2016年9月、犯人が見つからないまま、ひき逃げ(道路交通法違反)の罪は時効を迎えました。

 一方、加害者が死亡事故を起こしたこと(自動車運転過失致死罪)についての時効は10年のため、2019年9月30日がその期限となっていました。

 ところが、時効の12日前、事件は異例の展開を見せたのです。

『埼玉の小4ひき逃げ、時効直前に延長 危険運転に容疑切り替え』(「毎日新聞」2019年9月18日)

 すでに、多くのメディアが報じていますが、埼玉県警熊谷警察署は、事故を起こして逃走を続けている加害者の容疑を「自動車運転過失致死罪」から、より重い「危険運転致死罪」に変更。それによって時効は10年から20年に引き上げられ、時効は2029年9月30日まで延長されることになったのです。

 この事故で、当時10歳だった長男の孝徳くんを亡くしたお母さんは、9月18日、自身のブログ『<未解決>熊谷小4男児ひき逃げ死亡事故!』にこう綴っておられました。

『皆様のご協力のもと、法務省の方々、交通安全議員連盟の皆様が考えて下さり、取り上げてくださったおかげで、埼玉県警の方が検討し罪名変更してくれました。捜査を継続してくれます。本当にありがとうございます。1日も早く犯人が逮捕される事を願います』

■時効直前の「罪名変更」で時効延長、法律家はどう見るのか

 ひき逃げ事件の時効直前に罪名が変更され、その期限が10年先延ばしになる……。これは極めて異例なことです。

 今回の埼玉県警の判断に対しては、交通事故被害者や遺族の方々から、

「悪質なひき逃げ犯が時効を過ぎれば無罪放免だなんて許せない。警察はよく思い切ってくれた!」

 といった賞賛の声が上がっています。

 その一方で、法律家の間からは、慎重な意見が出ていることも確かです。

 9月20日朝の『まるっとサタデー!』(TBS)で、ゲストの山口真由さん(ニューヨーク州弁護士)は、「遺族の思いはよくわかる」と前置きしたうえで、

「罪刑法定主義は何物にも代えがたい。感情の法廷で裁かれてはならない。法廷で裁かれるのであって、世論で裁かれるのではない。国家が恣意的に、『こいつは悪い奴だ』と捕まえられることは怖いこと」

 という内容のコメントをしていました。

『罪刑法定主義』とは、以下のことをさします。

「どのような行為が犯罪であるか、その犯罪に対してどのような刑が科せられるかは、あらかじめ法律によって定められることを要するとする主義」(『デジタル大辞泉』より) 

 

 山口さんのコメントはとても客観的で、大切な視点であると感じました。

■元警察官に聞く、「罪名の変更」は何を根拠に実行されたのか?

 では、熊谷市で起こった死亡ひき逃げ事件の場合、なぜ「自動車運転過失致死罪」から、より重い「危険運転致死罪」に変更されたのでしょうか?

 この事件で調査・鑑定を行い、遺族をサポートしながら県警などと話し合いを続けてきたという(株)日本交通事故調査機構代表で、元宮城県警の佐々木尋貴さんにお話を伺いました。

――今回、異例の罪名変更が行われましたが、いつごろからこの要望を出されていたのですか。

「今年の8月からです。時効が迫る中、初動捜査を覆す事実も浮上したため、なんとか捜査を続行することはできないか? 熊谷警察の担当者に相談し、警察庁や法務省などにも働きかけました」

――罪名を変える、というのは、どのような考え方が根拠になっているのでしょうか。

「私たちは孝徳くんのひき逃げ事件に関して、『車でひかれたのは事実だが、犯人が逃げている以上、その行為に殺意があったかもしれない』という考えを主張したのです。たとえば、ひき逃げ死亡事件のご遺体を司法解剖に回す際には『殺人被疑事件』として令状を取ります。手続きとしてはそれと同じと考えてよいのではないでしょうか」

――たしかに、犯人がわからない段階では、過失による事故なのか、故意による殺人や傷害事件だったのかはわかりませんね。

「ひき逃げの場合、飲酒などの『危険運転』が絡んでいるかもしれません。実際に、警察に対して『この事件の犯人を過失運転致死の容疑にした根拠は何ですか?』と尋ねても答えられないんですね。逆にいえば、殺人や危険運転容疑はあり得ないとも言えないということです」

――なるほど、状況が交通事故だからといって、「過失運転致死」とは言い切れないじゃないか、ということですね。

「時効を延長する目的のために罪名を変えるのは、たしかにルール違反です。そうではなく、あくまでも、犯人がわからなければ容疑性もわからないのだから、より重い危険運転も含めて捜査をする必要があるのではないか、という考え方です」

――この考え方は、犯人が逃走しているすべてのひき逃げ事件に当てはまりますね。

「そうですね」

――最終的には誰が罪名変更の判断をしたことになるのですか?

「警察署長です。が、そこに至るまでには、法務省レベルでいろいろと煮詰めていたと思います。いずれにせよ今回は、警察、遺族、そして多くの支援者の方々がお互いに歩み寄りながら事故状況を再検討し、良好な関係を保ちながら相談することができました。それが罪名変更という結果につながったと思っています」

――ただ、危険運転致死罪は、飲酒や薬物の影響で正常な運転ができない状態で人を死亡させた場合に適用されるものです。もし、この先犯人が逮捕され、「危険運転」には当たらないことが明らかになったらどうなるのですか?

「危険運転での起訴が難しく、あくまでも過失運転致死罪だということになれば、10年の時効はすでに成立しているので罪を問うことはできません。しかし、犯人が特定されれば、遺族は加害者への民事責任を問うことが可能です。その点からも、時効が延長されるということには意味があるでしょう」

■「ひき逃げ事件の時効撤廃」を望む全国各地の遺族たちの訴え

 突然の事故で大切な家族の命を奪われた悲しみ。

 その上、被害者の命を救おうともせずに逃走した悪質な犯人の行方も、逃げた理由も分からない……。 

 遺族のこの悔しさは、想像を絶するものです。

 

『ひき逃げ死亡事故から7年… 時効を迎えた遺族が、今訴えたいこと』(2018/2/26配信)で取り上げた事件は、2018年2月、犯人の手掛かりがつかめないまま「ひき逃げ」の時効を迎えました。

 自動車運転過失致死の時効(10年)までは、あと1年半を切っています。

「悪質なひき逃げ事件になぜ時効があるのか……」今も事故が発生した日には佐賀の自宅から山梨の事故現場へ駆けつけて目撃者探しをしている平野さん夫妻(筆者撮影)
「悪質なひき逃げ事件になぜ時効があるのか……」今も事故が発生した日には佐賀の自宅から山梨の事故現場へ駆けつけて目撃者探しをしている平野さん夫妻(筆者撮影)

 息子の平野隆史さん(当時24)を亡くした佐賀県の平野るり子さんは、今回の罪名変更による時効延長のニュースを聞いてこう語ります。

「交通事故を起こすこと自体は避けられない場合もあるかもしれません。でも、ひき逃げは『事故』ではなく、救える命を見殺しにする極めて悪質な行為です。なぜその時効が7年なのか? 私たち遺族にとっては、引き逃げ(救護義務違反)の罪を問えないというのが一番辛いことですが、時効が延長されれば、どこかに潜んでいる犯人は無罪放免にならず、緊張が続くはずです。それだけでも本当に意味のあることだと思っています。時効が迫る中、私たちも何かできることはないか考えてみたいと思います」

山梨県で発生した平野さんのひき逃げ死亡事故は時効まで1年半。両親は今も懸命に犯人逮捕につながる情報を求めています(遺族提供)
山梨県で発生した平野さんのひき逃げ死亡事故は時効まで1年半。両親は今も懸命に犯人逮捕につながる情報を求めています(遺族提供)

■事件発生から40年経ってもあきらめることはできない

 『犯人不明で時効成立。夫のひき逃げ事件から40年。消えない家族の苦しみ』(2018/11/9配信)で取材させていただいた北海道の気田光子さん、近井直子さん母娘も、長年苦しみを引きずってきた被害者家族です。

 優しい夫であり、父であった気田幹雄さん(当時36)が凍てつく路上で重体となって発見されてから40年……。

 当時のひき逃げの時効は5年でしたが、犯人は今も不明のままです。

 脳に重い障害を負った幹雄さんは、その後38年間、要介護の状態で過ごし、2年前、75歳で亡くなりました。

 娘の直子さんは、前出の記事の中でこう語っていました。

「父をこのようにした人物が何の咎めも受けず、今もどこかで普通の暮らしをしているのだと思うと、やりきれない気持ちです。時効さえなければ、少なくとも犯人はずっと緊張して暮らしていたはず。せめて、そうであってほしいのです」

40年目のその日、「ひき逃げ事件」とされているものの、物証は乏しく、その事実すらはっきりしない。北海道真狩村の現場に佇む母娘(筆者撮影)
40年目のその日、「ひき逃げ事件」とされているものの、物証は乏しく、その事実すらはっきりしない。北海道真狩村の現場に佇む母娘(筆者撮影)

■時効までさらに10年、情報提供を求める母の闘い

 熊谷市で死亡した孝徳くんのお母さんは、「ひき逃げに時効は必要ない」と訴え、国に陳情を行うと同時に、現在も犯人逮捕に結びつく情報を懸命に求めています。

 ブログでは、<どんな人なのかわからない犯人を捜しています>と題して、次の呼び掛け文が掲載されています。

● 事故が発生してから10年、犯人は遠く離れた他県で生活しているかもしれません

● 突然ハッキリした事情もなくいきなり引っ越しをした家を知っている方

● 運転していた車を突然、廃車した人を知っている方

● 車を突然買い替えた方

● 何年も車両を放置している車を知っている方

● 事故当日、目撃された方。

● 「事故を見たことがある」という話を聞いた方

● 事故について、以前警察に話をしたことがある方再度お聞かせ下さい。行政機関でお話した方で同じ話でも構いません

● 事故について伝えたいことがあるけれど警察に連絡するのは難しい方、再度ご存知の情報をお寄せください。

 大きな秘密を抱えたまま、生きていくのは難しいと思います。

 犯人はきっとどこかで誰かに話をしていると思います。

 どんなささいな情報でも構いません。よろしくお願い致します。

孝徳くんの事故の目撃情報を呼び掛けるチラシ(遺族のWEBサイトより)
孝徳くんの事故の目撃情報を呼び掛けるチラシ(遺族のWEBサイトより)